※ 本章は女性同士の恋愛を描くものです ※
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~ 宿酔の代償 52 ~
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――せっかく、落ち着いてきてたのに……っ。
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相変わらず雀ちゃんの膝の上に、向かい合わせに座って、左手には今し方意地悪な雀ちゃんからひったくった携帯電話。
それはヴー、ヴー、と定期的に手に振動を伝えてくるけれど、わたしは通話ボタンを押せずに、彼女の左肩に再び額を押し付けながら、右手で彼女の二の腕あたりの服をぎゅっと握った。
先程の昂りを思い出させる物言いをした意地悪な彼女の腕の中から逃げ出せば、話は早い。
鼓動も落ち着くだろうし、顔の熱も収まるだろう。それこそ、今電話に出たら声が裏返るかもとか心配しなくてもいい。
でも、そうできないのは、この腕の中に居たいと願うからで、電話に出たくないという気持ちがまだ心の大半を占めているからだった。
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――しっかりしろ、わたし。ここまで公私混同してるだなんて珍し過ぎるわよ。
ここは社内ではないし、退勤して随分経つような時間に、公私混同もないだろうけれど、十中八九これは仕事の電話。
プライべートとは切り替えて、しっかり対応しなければいけない。
雀ちゃんの肩口で深呼吸をして、心拍数を落ち着けて、顔をあげる。
ここで電話して、という雀ちゃんの言葉に従うあたりはまだ公私混同極まりないが、それはもう、仕方ないと諦めよう。
いい加減電話に出ないと、なんだか、マズイ気がしてならない。
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わたしは通話ボタンを親指で押して、携帯電話を左耳にあてた。
「もしもし」
『やっと繋がった! 愛羽ドコ居たのよ!』
聞き覚えのある、というよりはほとんど毎日聞いている上司の怒鳴り声に、思わず顔を顰めて携帯電話を耳から軽く離す。
けれどそうすると雀ちゃんの耳に携帯電話が近付いてしまうので、すぐに元の位置まで寄せて、音量を下げるボタンを数度押した。
「ごめん、ちょっと忙しくて」
『おまけにすずちゃんも出ないし!』
「……ごめんって」
どうして一緒に居るとバレたのだろう。
一瞬どきりとして言葉に詰まるけれど、まぁ、隣の家だし、恋人だし、わたしと彼女が一緒にいるかもと考えるのは妥当だ。果たして、一緒に居てナニをしていたのかとまでは推測していないだろうけれど、なんだか先程までの行為を覗かれていたかのような恥ずかしさを覚えて、わたしは咳払いをして話を進めることにした。
視界の端で、唇の端をにやと上げた恋人も、ほっといて。
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「それで、どうしたの? 緊急?」
『ああそうよ緊急じゃなきゃこんな鬼電しないわよ!』
……また若者言葉を遣う。
言っておくがまーは、あれでもわたしより数個年上だ。
なのに、よく合コンに出掛けるからなのか、やたらと使う言葉は若い。
わたしでも、鬼電だなんて言葉は遣わないというのに、淀みなく使用する辺りはほんと、若いなぁと思う。
『多田がね、明日のプレゼンのデータ消したのよ!』
「バックアップあるでしょう?」
『だからそれごと消したんだってば!』
「ええ!?」
『横田と神崎にはもう連絡して今から会社に来てもらえるんだけど、愛羽は来れる?』
「い……」
行ける、と即答できなかった。
今回のプレゼンの為に組まれたチームの中でも主力メンバーを総動員する事態にも関わらず、わたしは言葉を詰まらせた。
だって……。
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放したくないと、言われた。
離れたくないと、思った。
仕事の量を減らすようにと、言われたばかりだった。
「行ってください」
すぐ傍から、聞こえたその台詞に、はっと視線を向ける。
わたしに「放したくない」と何度も言ったその人は、困ったように眉をハの字にしながらも、手を伸ばしてわたしの頭を撫でた。
どうやら、携帯電話との距離が近かったのもあって、今の会話は大体把握できているようだ。
わたしに目を向けた雀ちゃんは「明日なんでしょう?」と複雑そうな顔で言う。
「丁度、借りてる車あるんで、会社まで送れますし」
「でも」
「仕事がひと段落するまで、って言っちゃいましたしね」
わたしが言葉を失っている隙を突いて、雀ちゃんが携帯電話をとりあげて、自分の耳にあてた。
「あ、まーさん。こんばんは。愛羽さん今から行けますから。車で送るんで、多分3、40分くらいで到着すると思うんですが」
雀ちゃんが右耳にあてて通話をしているせいで、わたしの耳に、まーの声は届かない。
……いや、例え、わたしに近い側の左耳に電話をあてていても、まーの声が聞き取れるほど、わたしは冷静でなかったと思う。
さっきまでの互いを求め合う行為がなかったかのように、平然と通話を続ける雀ちゃんの心を、わたしが傷付けたのは確かだった。
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