※ 本章は女性同士の恋愛を描くものです ※
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~ 戦場へ 38 ~
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握られた蓉子さんの手は、するりと逃げていった。
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逃がした手を残念そうに視線で追ってから、赤城さんはやっと手を下ろす。
その瞬間、由香里さんの目から怒りが消失して、彼女の理性の凄まじさに舌を巻く。
そんな従業員の心を知ってか知らずか、蓉子さんはあからさまな程に布巾で手を拭いつつ、まーに目を向けた。
「なにかしら、このお猿さんは。詩人の方かしら?」
奇しくも、元カノと同じ言葉を用いて詰った。
蓉子さんからしてみれば、一見さんが突然あなたと深い関係になりたいのだと迫ってきて、一度断ったが更に要求してきた、といったところだ。
だから、身体目的の男性という判断を下されて、お猿さんと口にしたのだろうが……。
一応、彼は取引先の重役、そしてその接待だと電話でまーから伝えられ、承知しているだろうに、その物言い。
流石蓉子さん、としか言えない。
だが言われた当人は、
「愛羽さん、俺ってそんな猿顔かな」
とペタペタ自身の顔に手をやるのだった。
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心の問題だと思いますよ、とは言えない。だって接待だもの。
「可愛らしいお顔、ということですよ」
「確かに童顔かもしれないけど」
そんな猿っぽいかなぁ……とまだ気にしている赤城さんに、何にしますかと話題を変えるために尋ねた。
するとやはり、彼はこういう店は訪れ慣れているのだろうか。
「マティーニをお願いできますか?」
と、やはりにこやかにオーダーしたのだった。
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雀ちゃんに聞いたことがある。
『マティーニは、別名カクテルの王様。カクテルはマティーニに始まり、マティーニに終わるって言われてて、簡単な材料と手順なので誤魔化す隙がなくて、コレを美味しく作れるバーテンダーは腕がいい証拠です。だから飲み慣れてる人は、初めて行ったバーで最初にマティーニを頼んで、その味で滞在時間を決めると言われています』
ま、一概にはいえませんけどね。と付け加えた雀ちゃんの笑顔を思い出してほっこりするも、「かしこまりました」と中性的な声が応えたことで、わたしは現実に引き戻された。
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由香里さんからおしぼりが三人に配られ、わたしとまーのオーダーが取られた。
わたしはおまかせ。まーはビール。
「あ、あとピザが食べたい!」
「森さん……」
さすがに、元カレの前でも、まーと愛称で呼ぶことはできない。
苗字を呼んで、接待中にピザを食べようとする彼女を窘めるけれど、赤城さんからまーへと援護射撃が入る。
「ピザがあるのか?」
「らしいよ。あたしもまだ食べたことないんだけど」
「え、俺も食べたい」
愛羽さんは? と尋ねられるけれど、苦笑気味に首を横に振った。
だって、さっき、フルコースでご飯食べたばっかりなんだけど。
どうしてまたピザなんてチーズがお腹にくるものを食べようというのかこの二人は。
「じゃあ、ピザ2枚で」
とピースサインを突き出すまーに、陰で嘆息をついた。
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「おまたせしました。マティーニです」
早い。
簡単な材料と手順とはいえ、さすが、蓉子さん。
手早く作ったそのカクテルを赤城さんの前へ差し出す手は、優雅そのもの。
すぐにわたしに視線を向けた蓉子さんがいつものように微笑んで、「少しだけ待ってね」と断りを入れて、ビールサーバーに向き直った。
まーのビールが、綺麗に3対7の割合で泡と黄色い液体でグラスが満たされ、差し出される。
わたしのカクテルは、何を混ぜているとかはよく分からないけれど、ピンク色の液体がカクテルグラスに注がれて、わたしの前へと差し出された。
由香里さんはピザの準備に入っているので、ドリンクを全て蓉子さんが準備した。素人のわたしが見ても、彼女の手腕は目を見張るスピードと正確さをもっていて、さすが、雀ちゃんの師匠の師匠様だなと感心したのだった。
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