隣恋Ⅲ~戦場へ~ 36話


※ 本章は女性同士の恋愛を描くものです ※


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 ~ 戦場へ 36 ~

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 見慣れて何度もくぐったことのある扉を押し開いて、うきうきとした後ろ姿が店へと入ってゆく。

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 タクシーを降りて、「初めての店だなぁ」と看板をしげしげと見上げた赤城さん。
 そして、まーが扉を指差し、「ここに美人のマスターがいるから」と言えば、彼は先陣をきったのだ。

「いらっしゃいませ」
「いらっしゃいませ」

 慌てて後を追いかけて、店内に入れば、聞きなれた中性的な声。と、もうひとつ、可愛らしい声。

 あぁ今日も、蓉子さんの隣には、由香里さんが居るのだ。

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 そういえば、以前来たとき、由香里さんの口から衝撃の事実を知らされたのだった。
 正確に言えばハッキリと彼女自身が口にした訳ではなかったけれど、察するに蓉子さんが好きらしい。

 蓉子さんは、この人好み、と思ったら仕事中でも構わずホテルへと連れてゆく人だ。
 当然、ここの従業員である由香里さんもそれを何度も目撃しているし、きっと、ツヤツヤ肌になって満足気に戻ってくる姿も目にしているだろう。

 最悪、情事の痕跡などを、彼女の肌から発見してしまう事だってあったかもしれない。

 そんな人を好きで居られる精神が、もう、聖母か、と思ってしまう。

 うちの雀ちゃんも大概、天使か、と思うシーンはたくさんあるのだけれど、それを上回る何かを、由香里さんからは感じるのだ。

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「おぉ……美人……」

 一番に入店した彼は、呆然とした様子で呟いた。
 蓉子さんの美貌に見惚れて立ち止まった彼を邪魔そうに避けて、前へ出たまーが馴染みのマスターに「こんばんは」と告げれば、彼女は妙な男を吟味していた真顔をやんわりと綻ばせて、先程の台詞を繰り返した。

「お久しぶりね。真紀」
「ご無沙汰してます。今日は突然すみません」
「いいのよ。そちらは?」

 拭いていたグラスを置くと、立ち尽くす彼へと優雅に視線を向ける蓉子さん。
 射貫かれた赤城さんは、ぶるっと体を震わせて、やっと我に還ったようだった。

「名前も名乗らず、失礼しました」

 まーが紹介するよりも早く、赤城さんはツカツカとカウンター席へと近付く。
 胸に手を当てる仕草がなんとも紳士気取りで、苦笑が浮かぶ。

「私は赤城優一と申します」

 座っても? と蓉子さんの真正面の席に手を掛けて問う彼に、蓉子さんが唇の端だけで笑った。

「どうぞ。真紀も愛羽も、お座りなさいな」

 促されて、わたし達もカウンターへと歩み寄った。

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「どうぞ」

 目の前の光景に軽く目を見張った。
 まーが座るために引こうとした椅子を、赤城さんが一足早く、引いたのだ。
 俗に言うエスコートというやつで、てっきり蓉子さんに心を奪われて夢中になっていると思った彼が、そんな気遣いをするだなんて、予想外だった。

 どうやら腐っても専務らしい。
 いや、どこの会社の専務もがこうやってエスコートが出来る訳ではないけれど、少なくとも、この赤城優一という掴み処のない人物は、女性に対して紳士的に接することが出来る人物のようだ。

「ドーモ」

 しかし相手が相手なだけに、そのエスコートの手はやんわりと払われて、まーは最後まで彼にそうすることを許さなかった。
 自分で椅子に座ったあとに、「そういうことは初対面の女性にしなさいよ」とわたしを示した。

「初対面じゃなくてもすることはするよ。愛羽さん、どうぞ」
「すみません。お気遣いを頂いてしまって……」

 恐縮したふうを装って、椅子に腰掛け、「男の方にこうして頂くのは初めてで……なんだか照れくさいですね」とはにかんでおく。

 真っ赤な嘘だけど。

 男性を立てるというのも、接待に必要な技術の一つである。

 現に、嬉しそうに笑った彼の目は若干得意気で、わたしは心の中で、ちょろいと呟いた。

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