隣恋Ⅲ~戦場へ~ 20話


※ 本章は女性同士の恋愛を描くものです ※


←前話

次話→


===============

 ~ 戦場へ 20 ~

===============

 どのくらい経った頃だろうか。
 まーの声が、伊東君を呼んだ。

===============

 ぼーっとする頭のまま、パソコンの右下の時間表示を見れば、『15:49』との表示。
 もうそんな時間か、と両手の指を組み合わせて手の平を押し出すように前へと伸ばす。

 デスクワークは肩が凝っていけない。
 伸びをするわたしの横のデスクでは、まーと伊東君がなにやら話をし始めた。

「昨日帰ってないから、今から一回家帰ってシャワー浴びてきて。一応ネクタイは同じもの着用で、スーツは上下とも似た色があればそれでよろしく。シャツは着替えていいよ」

 ふむ。なるほど。
 先方に一度帰宅したことを、というよりは、昨日徹夜残業していた事を知られたくない訳だ。
 そりゃあ、なんで残業したのか問われると「貴社へのプレゼントの為に」とは説明できないし、それこそ「問題が起きてギリギリにパワーポイント仕上げました」なんて説明はもっとできない。

 だからお風呂には入るけれど、服装は同じにするようだ。

===============

 ぼんやりと二人の会話を聞くとはなしに耳に入れていると、突然、名前を呼ばれて顔を向けた。

「愛羽も一回帰ってきてもいいけど、どうする? 副社長が予約してた店に、秘書さんが車で送ってくれるんだって。18時半にここに集合してくれたらいいってさ」
「んーー……」

 早くも帰り支度を始めた伊東君を横目で見つつ、眉を顰める。
 2時間半で会社までの往復かー……。

「やめとく」
「そ。まぁゆっくりしときなさい」
「ん。ありがと。二人とも気を付けて行ってきてね」

 足早に荷物を持って去っていく二人の背中を見送って、わたしはふぅと息を吐いた。
 本当ならば帰ってシャワーを浴びてさっぱりしたいところなんだけど、いかんせん、徹夜を強いた体に、急ぎ足での帰宅、シャワー、身支度、出社は辛い。

 ――まぁ……何よりも辛いのは、もう一度出掛けなきゃいけないのに、雀ちゃんと顔合わせることよね。

 多分、雀ちゃんはわたしの帰りを待ってくれている。
 そんな人が帰宅して、「実はもう1回出掛けなきゃいけないの」と宣告したら、あの子はどんなに悲しそうな顔をするか。

 想像しただけでも溜め息がでるし、胸の辺りがぎゅっとなる。

 ――あぁぁ雀ちゃんに会いたい。

 帰宅した場合を思い浮かべたのが引き金になってか、彼女への恋しさがふつふつと沸いてきてしまった。

===============

 胸に、じんわりと痛むような感覚が広がる。

 あの時のように、今すぐ抱いて欲しい、なんて性欲は疲れすぎて今は無いけれど、彼女に会いたい気持ちは大きい。
 会って、あの腕の中に飛び込みたい。

 そうしたら、ぎゅっと抱き締めてくれるだろうか。

 いつもの優しい声で「おかえりなさい」と、言ってくれるだろうか。

 毎日のように耳にして、脳内で再生できるほど覚えてしまった彼女の声で、「おかえりなさい。お疲れ様でした」と言われた自分を想像して、癒される。
 あの声、あの温もり、あの安心感。
 リアルに思い起こせるあの感覚をわたしに与えられる人物は、彼女だけ。

 あぁ……会いたい。

 抱き締められたい。

 現実ではそう出来ないことを重々理解するわたしは、せめて妄想でだけでも……、と、雀ちゃんに抱き締められる自分を思い描き、ひとり、ゆるく口角を上げるのだった。

===============

 それからゆったりと仕事を進めていると、定時のチャイムが社内に鳴り響いた。

 無いなりに集中力は発揮されていたようで、その音ではっと我に返って、両手を上にあげて大きく伸びをする。

 さて、と。
 ちょっとコーヒーでも飲もうかしら。

 デスクから離れて、帰り支度をしている他の社員を疲れの混じった羨望の眼差しで眺めつつ、コーヒーメーカーにあったコーヒーをカップに注いだ。
 もちろん、ミルクも砂糖も入れる。

 使い捨てのマドラーでぐーるぐーるとコーヒーを掻き混ぜていると、わたしの方へやってくる社員が二人。
 横田君と神崎さんだった。

===============

「おつかれさま。気を付けて帰ってね?」

 二人とも鞄を持っている所をみると、これから帰宅するのだろう。
 さすが、優秀組は残業しなければならないような仕事の進め方はしないのだ。

「おつかれさまです。金本さんは、……残業ですか?」

 可愛いくて柔らかい声で尋ねられて、ああここに癒し系が居たなとほんわかする。

「んーん。取引先の人の接待があるの。部長も伊東君も一緒に行くんだけど、二人はシャワー浴びに帰ったのよ」

 わたしは一応、昨日お風呂入ってきたから。と説明すると、横田君がぎょっとした顔をしている。

「い、今から接待ですか」
「うん」
「……大丈夫ですかとは、聞かない方がいいと思いますが……。大丈夫ですか?」

 気の毒そうに、難しそうに表情を曇らせる彼は、わたしの体に蓄積された徹夜の疲労と、これから加算されるであろう接待の疲労を思ってくれているようだ。

===============

「まぁ、1対1の接待じゃないから、大丈夫よ」
「……」
「……」

 力なく微笑んだのがいけなかったのか、二人ともが言葉を失っている。
 似たような顔を二人が並んでするものだから、わたしはちょっと吹き出して、顔の前で手を振った。

「大丈夫よ、ほんと。心配しないで二人は、帰ってゆっくり休みなさい。接待しなくていい間は、それを満喫しておくべきよ?」

 この二人を接待に連れていったことはまだないけれど、そろそろ、接待の練習に連れていく必要はあるかもしれない。
 他の部署はどうしているのかしらないけれど、うちの部署は、なかなかに育った社員を飲み屋に連れていって、接待のノウハウを教える。
 そうでなければ、接待なんて教科書もないし、どうしていいかわからないだろう。

 現にわたしも、まーから接待のノウハウを教わった過去をもつ。

 わたしの台詞を聞いてもその場を動こうとしない二人に「回れ右」と命令して後ろを向かせ、その背中を押す。

 気の毒に思ってくれたり、体を心配してくれたりするその気遣いはありがたく受け取るけれど、二人がここに居ても出来ることはもうない。

 それならば、早く帰宅してゆっくり英気を養ってもらわなければ。
 もしもこの徹夜からの接待でわたし達3人が倒れたときは、この子達に仕事がまわる。
 それを受け止められるように、今回の疲れを癒しておくのが、この二人が今できる仕事なのだ。

===============


←前話

次話→


※本サイトの掲載内容の全てについて、事前の許諾なく無断で複製、複写、転載、転用、編集、改変、販売、送信、放送、配布、貸与、翻訳、変造などの二次利用を固く禁じます※


コメント

error: Content is protected !!