隣恋Ⅲ~戦場へ~ 14話


※ 本章は女性同士の恋愛を描くものです ※


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 ~ 戦場へ 14 ~

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 契約が、結ばれた。

 濃く、力強いサインが書かれたその光景を、わたしはこの先忘れない。

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 ――……いや、忘れるかも。……ねむ、すぎて。

 や、駄目。待って待って。
 と自分に言い聞かせる。

 ここで舟を漕ぐとか絶対在り得ないから!

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 時刻は14時よりも数分前。

 わたしは副社長と、取引先の方が固く握手を交わしている光景を前に、誰にも気付かれないように、自分の太腿を抓った。

 目を閉じたまま眠れるんじゃないかと思うくらいの睡魔に襲われているのだけど、それを痛みで取り払おうという作戦。
 だけど、一瞬の痛みでは、一瞬の睡魔しか取り除くことはできなくて、ぼんやりする思考をなんとか奮い立たせていた。

「皆さんも、ありがとう。とても良かったよ。一緒にいい仕事が出来そうだ」
「ありがとうございます」

 まー、わたし、伊東君と並んで部屋の隅に控えていたのだが、先方がこちらに目を向けて労いの言葉をかけてくれた。
 代表してまーが告げて一礼をする。それに倣って、わたし達は頭を下げた。

 頭をさげた拍子に、くらりとするが足の親指に力を入れてなんとか踏みとどまる。
 ここで倒れる訳にはいかない。

「では、赤城さん、こちらへどうぞ」

 副社長が会議室の外へ続くドアへ、取引先の方――赤城さん――を促した。
 副社長の声をきっかけにわたし達は顔をあげて、彼らを見送る。

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 これからの事を話しつつ、コーヒーでも飲むのだろう。
 貴賓室へと向かうのだろうなと予想しながら、姿勢を崩さないように頑張る。
 心の中では、さっさと行って欲しいと願いながら。

 しかし、地位のある人というものはいつでも優雅なもので、ゆったりとした足取りで扉へと向かう一行。

 なんともスローモーションだなと心の中で呟いていると、やっと、副社長の秘書の手が扉を大きく開ける。
 副社長、赤城さん、赤城さんの秘書、副社長の秘書、の順で優雅にゆったりと会議室の扉から出て行った。

 パタと扉が閉まり、残されたわたし達3人は多分、同時に耳を澄ませながら、数を数え始めた。

 その数が29に到達したとき、伊東君が「へあぁぁ……」と情けない声をあげて一番近くにあった椅子の背もたれに抱き着くみたいにして凭れかかった。

 どうしてわたし達が30秒数えてから肩の力を抜いたのかというと、まーの教えだ。
 取引先の方が見える範囲から消えて、30秒、そのまま待つ。

 もしかするとひょっこり戻ってくるかもしれないし、「よっしゃー契約とれたー!」と嬉しさのあまり叫んだりした声が聞こえてしまうやもしれない。
 そういう事態を避けるために、まーは、重要な場に顔を出せるまで育った人材には必ず、30秒ルールを教えて、守らせていた。

「ぬぁぁ……」
「ふあぁぁぁ」

 まーに続いて、わたしも情けない声をあげて、手近な椅子を引き寄せて、どさりと身を投げ込んだ。

「……やった…………」
「やった……」
「やったねぇ……」

 伊東君もまーもわたしも、契約が無事に結ばれたことを、心境的には大喜びしたいんだけれど、体力的にそれが出来ない。

 結局、パワーポイントが完成して、最終チェックを終えて、リハーサルの2回目をしていたら、タイムリミットを迎えてしまうくらい、ギリギリだったのだ。

 トイレ以外休憩に立った人もいないし、この3人は昼食抜き。
 横田君と神崎さんは一足先に社食でご飯食べてきてと言ってプレゼンに来たので、きっと今頃、満腹で食堂で机に突っ伏しているか、せめて自分のデスクに戻ってきて突っ伏している頃だろう。

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「……多分俺明日知恵熱だ……」

 熱に浮かされた人みたいな声色と口調で言う彼は、床に膝をついたまま、上体だけを椅子に乗せている。
 ぐったりしているその様子から見ても、ずっと隣で見てきた仕事振りを思い出しても、彼が明日知恵熱を出しても、仕方ないと思えた。

 優に50ページを越えるパワーポイントの内容を記憶から引き摺り出して、その作業が終われば、パワーポイントの作成作業、それが終わればチェックとリハーサル。
 昨日からの徹夜作業で一番疲労しているのは明らかに彼だし、功労者だ。

「……伊東君は熱出て仕方ないっていうか当然だと思う……」
「……うん、許す……」

 背もたれに完全に体重をかけて座るわたしとまーは、力なくそう返して、その後、会議室には静寂が訪れた。

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