隣恋Ⅲ~戦場へ~ 13話


※ 本章は女性同士の恋愛を描くものです ※


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 ~ 戦場へ 13 ~

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「ま、では。休憩はこの辺にして、やりますか」

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 部長の声によって、その場に居た全員の顔付きが一瞬で変わった。

 とりあえず、最後に合流したわたしにはどの程度の作業進行具合なのかが分からず、伊東君のデスクを覗き込む。
 が、彼はどうやらパソコン作業ではなくて真っ白な紙に手書きでパワーポイントのページ図を書いている所のようだった。

 彼の椅子の後ろに立ったまーが、腕を組んでそれを見下ろす。

「無くなったのはパワーポイントだけだから、それを復活させるだけ。でもそのパワーポイントの詳細を思い出せるのは伊東しかいないのよ」

 彼の比類なき記憶力の良さが、ここで発揮されているらしい。
 大体ならば、同じチームでこのパワーポイントを作成してきたわたし達にも思い出せる。けれどそれは、大体、でしかない。

 何ページにどの内容があって、とかそこまで詳細は、不甲斐ないけれど思い出せない。
 これが消失するだなんて予想もしていなかったわたし達は、記憶する前提でパワーポイントを眺めていた訳ではなかったから。

 だから彼が白い紙に図を書いて、なんの情報を挿し込んでいたのかを簡易的にかく。

 それをあとの4人がパソコンでそれぞれ作成してゆくというスタイルらしい。
 伊東君に大きく負荷がかかる作業ではあるけれど、とりあえず、他の手立てがないのだ。

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「愛羽も大体なら覚えてるでしょ?」
「うん」
「だから、詳細は伊東の図を見て作ってね。最後に全部統合してから、皆でチェックしよう」
「了解」

 早くも集中モードに入っている彼のペンがすらすらと迷いなく進む様を見つめて、わたしは自分のパソコンを立ち上げた。

 資料自体は無事だったことを本当に喜ぶべきだけれど、パワーポイントが消えたのは本当に痛い。
 だって、これでもかと丁寧に作ったパワーポイントは、相当なページ数があった気がする。

 ――伊東君、頑張って。

 彼の集中力を途切れさせない為にも、わたしは心の中で呟いた。

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 皆でバーガー片手に談笑していた時が嘘だったかのように、静か。
 それぞれのデスクから聞こえるタイピングの音かクリックの音か。伊東君のペンを滑らせる音と紙をめくる音。それとたまに、誰かの咳払い。

 わたし達以外の社員がいない会社は、異様な程に静かだった。

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 わたしが来るまでに終わっていたのは、6ページ。
 このペースで行けばきっと終わる。

 同じペースで作業を続けられるのならば。

 けれど、作業しているのは人間だ。
 機械みたいに何時間も何時間も作業を一定のペースで進めることはまず不可能。

 作業が続けばその分だけ集中力は失われてゆくと考えていいし、疲労は逆に蓄積されてゆく。

 そしてわたし達は、このパワーポイントを作成し終えて仕事が終わるのではなくて、翌日のプレゼンが終わって、契約が取れて初めて、終了なのだ。
 わたしは密かに、契約がとれた後、接待に行かなければならないのだろうと予想しているのだけれど、それは先方の気分次第だから、どうなるか分からない。

 しかしどちらにせよ、家に帰るまでが、今回の大仕事だった。

 この2千万円の契約をかけた大仕事の終わりはまだまだ遠い。

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 なぜここまで優秀なメンバーを一所に集めて仕事をさせているのか。
 それはこの契約が会社の大きな利益につながるからだ。

 今回のプレゼンをする取引先とはもう何度か、取引をした仲だ。
 その実績は、先方がうちの会社を気に入ってくれている裏付けだけれど、この世の中、どこから商売敵が現れるかは分からない。

 海外進出をも果たし、その規模を大きくし続けている先方は、「いつもお世話になっているからこの仕事も任せちゃって大丈夫だろ」と適当な契約は結ばない。
 数社のプレゼンを見比べ、吟味し、最良の会社と契約を結ぶ。

 だから手が抜けない。
 だから、ミスは許されない。

 その意気込みをもって1ヶ月準備をしてきたのだが、まさか、プレゼン前日にこんな事件が起こるなんて。

 以前まーが面倒そうにつぶやいていた言葉を思い出す。

『誰かが予想できたらミスとか失敗は起きないの』

 確かに。
 こんなこと、誰も予想していなかった。

 だけどきっとこれは次の仕事の為の糧になる。
 いや……糧にするのだ。

 ミスや失敗に負けてはいけない。
 必ずこれをカバーして、明日、プレゼンを終わらせて、契約を取るのだ。

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 心の中で固く誓ったとき、パンツの右ポケットで携帯電話が震えた。
 誰からのメッセージか予想はつくけれど、取り出して”やっぱり”、と、目元を緩めた。

『家に無事到着です。お仕事頑張ってください』

 ありがとう、がんばるね。おやすみ。

 なんだか片言のメッセージになったけれど仕方ない。
 送信して、わたしは携帯電話の電源を落とした。

 今からは、完全に、仕事モードだ。

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