※ 隣恋Ⅲ~ブラジャーの日 後日談~ は成人向け作品です ※
※ 本章は成人向(R-18)作品です。18歳未満の方の閲覧は固くお断りいたします ※
※ 本章は女性同士の恋愛を描くものです ※
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~ ブラジャーの日・後日談(2019年加筆修正版) 5 ~
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コキュ、と彼女の喉が生唾を飲み込んで、妙な音を立てた。
多分それだけ雀ちゃんが焦っているんだろうなと頭の隅で考えるも、わたしの目尻にはじわりと涙が溜まり始めた。その後さして時間は掛からず、それが盛り上がって表面張力を超え、頬を伝い落ちる。
抱き着いているせいで、雀ちゃんの肩辺りを涙が濡らすけれど、ゴメン。ちょっと……止められない。
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涙の理由は、安心。と、すこしの過ぎ去った恐怖。
「あ、愛羽さん?」
「……ん」
わたしが泣いているかどうか、確信はもてなくてもその気配は察知している彼女。だから、雀ちゃんはわたしの顔を確認しようとする。
でもわたしは彼女の首に抱き着いたまま、ぎゅっと密着してわざと離れないようにした。
だって、泣き顔なんか、みられたくないし。
「愛羽さん」
「だいじょうぶ」
涙も4滴以降もう流れてないし、不安定な涙声は収まった。あとはすこし、鼻声なだけ。
もうこれ以上泣くことはない。伊達に、職場で悔しさも悲しさも浴びるOL、何年もやってないってのよ。
大丈夫と言っているのに、雀ちゃんは信じられないのか、わたしの腕に手をかけて密着を解こうとする。
「やだ」
「やだじゃなくて……ね? 愛羽さん……」
ね? と言われても嫌なものは嫌なのだ。
泣いた直後の顔なんて見られたくない。
鼻も目も赤いだろうし。見られなくない。
「雀ちゃんの体温、安心するから……もうちょっと、抱き締めてて」
だから、わたしはずるい手を使った。
こう言われたら、雀ちゃんなら必ず、従ってくれると知っているから。
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やはり予想通り。
何か言い募ろうとした雀ちゃんだけど、「おねがい」と言えばわたしの腕にかけていた手を背中に回して、強い力で抱き締めてくれた。
その腕には、謝罪と後悔が見えて、加えて、自分の体温が少しでも役立つのならばいくらでも、と献身さも見え、泣かなきゃよかったと胸に罪悪感が過ぎった。が、出てしまった涙はもう仕方がない。
さて。
こうなってしまったならば、このあと。
いかにこの事態を、丸く収めるか、だ。
記憶の残り方では、今後、Sっ気のある雀ちゃんを拝めなくなるかもしれないのだ。
……それは、イヤ。
今日のはちょっと怖かったけど、いつもはカッコイイもの。
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しばらく二人ともそのままの体勢で抱き合っていたけれど、わたしのくしゃみでその体勢は崩れた。
さすがに、えっちもせずにこの格好は寒かったみたい。
ずっ、と鼻水を啜ると、するりと二人の間に空気が流れこんできた。雀ちゃんが体を離したのだ。
「大丈夫ですか?」
「ん。ごめん、平気平気」
心も落ち着いて、泣き跡もない顔で笑ってみせると、雀ちゃんはすっくと立ち上がってわたしの手を引く。
「お風呂入ってあったまりましょう」
「っくしゅ!」
返事のようにもう一度でたくしゃみに、鼻を啜って、確かにその方がいいかもしれないとわたしは立ち上がった。
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わたしの格好を目にした雀ちゃんが「う」とか言って目を逸らした。けれど、今はそれどころじゃないと思い直したのか、軽く頭を振ってお風呂の方へ先に行った。
考えている事が安易に想像できるのが、彼女の可愛いところでもある。
自分が脱いだ服を拾い集めて抱え、彼女の背中を追いかけた。
わたしがバスルームへ足を踏み入れると、すでに洗ってあった浴槽に向けて、シャワーでお湯を貯める雀ちゃん。
彼女が発案したこの方法。
お湯を張りながら、バスルーム全体の温度を上げられるという冬にはもってこいの技。
「お湯貯めながら入ってくださいね」
あ、寒かったら、お湯張るだけじゃなくてちゃんと自分の体にもシャワーあててくださいよ?
なんて言い置いて、わたしの横をすり抜け、脱衣場から出て行こうとする彼女。
わたしは咄嗟に、その腕を掴んだ。
「どこ行くの?」
「どこって」
「一緒に入るでしょ?」
てっきり、そう思っていたのに。
困り顔の彼女に言えば、その瞳が泳いで、ただでさえハの字だった眉毛のお尻がもっと下がった。
「だって、泣かせちゃった私とは入りたくないでしょう……?」
ザーッ、と勢いよくお湯を浴槽に噴射するシャワーの音に掻き消されそうなくらい小さな声で、彼女は情けなく言った。
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ほんとにこの子は……。
一度くじけると、脆い。
ジワリと胸に広がった好意。
その理由は、こんな事、昔にもあったなと、あの時を思い出したから。
わたしの元彼を撃退してくれた夜。額に怪我を負っている彼女は、自らの額から血が流れる事にも気付かないくらい取り乱した瞬間があった。
たぶん、トラウマかなにかを抱えているんだろうな、と安易に想像できる取り乱し方。
嫌われる事が、前提。
嫌いにならないで、と繰り返した彼女の声は、今でも覚えている。
わたしにそのトラウマがある訳でもないのに、胸が切なくなって、締め付けられて、気を抜いたら涙さえ滲みそうになる程に悲痛な声だった。
その声が耳の奥に甦ってきて、わたしはそれを丁寧に記憶の引き出しに仕舞った。
彼女との思い出の中でも、大切さ上位に位置する記憶だからだ。
が。
大切は大切でも、今はとりあえず、置いておく。
今は、今にも脱衣場から逃げ出してしまいそうな、怪我した野良犬みたいな顔をする恋人への対処が優先だ。
腕を掴んで引き留めたそのひとの表情を見つめる。
失敗したら、全てが失くなるとでも思っていそうな彼女。
確かに、付き合ってから今までで、雀ちゃんが完全な悪者という状況で泣いたのは今回が初めて……かもしれない。
初めての体験に”やってしまった……!!”という感情が高まるのも分かるけれど、恋人というのはそれで崩れる関係ではない。
むしろ、そんなもので崩れる関係ならばさっさと別れてしまう方が良いだろう。
「愛羽さん、ここに居たら、もっと体冷やしちゃいますから」
苦い愛想笑いを浮かべた彼女に、切なさが込み上げる。
本気を出せばポーカーフェイスも愛想笑いも、社会人並みに出来るスキルを持っているくせに。
普段、バイト先のシャムで、バーテンダーの制服姿で見せる愛想笑いに比べれば、桁違いにヘタクソなその笑顔。
わざとなの? と問いたくなるくらい、普段は表情や仕草で心の中身を見せてくれる雀ちゃん。
引き攣って、それでもどうにか苦心して浮かべたぎこちない笑顔を向けてくる。
今は、そんなカオしか出来ない心境の恋人が、切なくて、かわいくて、可哀想で、好きで。だいすきで。
――……ほんと。……ばかなんだから。
「雀ちゃんも一緒に入るの」
強要するようなわたしの物言いに、困った表情を浮かべる彼女。
「……私も、ですか」
自分は貴女を泣かせてしまった張本人だから、とか。
泣かせたらもう嫌われるものだ、とか。
嫌われたら同じ空間に居る事も嫌がられるんだ、とか。
そんな事をぐるぐると考えていそうなカオ。
「そ。雀ちゃんも一緒に入らないと、わたし、お風呂入らないからね」
決めつけた言い方に、戸惑いと、驚きと、困惑を混ぜた目がこちらを向く。
「入るの? 入らないの?」
彼女の思考が闇に染まる前に、わたしは詰問するように決断を迫る。
それでも彼女は十分、悩んで、迷って、困って、それから小さく、呟いた。
「……入ります……」
「ん。いい子」
喉の奥で唸る雀ちゃんはどれだけ「いい子なんかじゃないです」の台詞を呑み込んだのだろうか。と思いながら、わたしは布地の少ないそれらを脱ぎ、湯気のけむる浴室へ向かうのだった。
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すこし話をしていたおかげで、浴槽にはだいぶお湯が貯まっていた。
かけ湯を済ませたわたし達はざぶんとそこに体を沈める。普段は体を綺麗にした後、湯に浸かるのだがとりあえず今日は、体を洗うことより体を温める事を優先させた。
お湯の熱さが冷え切った肌にぴりぴりと伝わって、予想以上に体が冷えていたことを理解する。
湯の熱さに体が慣れてきて、ようやくふぅと一息ついても、雀ちゃんの表情は晴れない。
少し俯いて、揺れるお湯を見ているのか、その先にある自分の曲げた膝を見つめているのか。
「嫌いになったりしてないからね」
「……」
わたしの言葉に、雀ちゃんの目が見開く様子があった。
やっぱり、彼女はその辺りの心配をしていたらしい。
まぁ……今「嫌いになったりしてないからね」と言い聞かせても、それをすぐに信じて元気を取り戻せる子ではないと理解もしているけれど。
コク、と頷いた頭へ手を乗せて、わたしは軽くぽんぽんと叩いてみせる。
「他人を一生、泣かせずにいる事なんて無理よ?」
「……」
「それこそ、恋人だ家族だ、って関係が深いものほど、たくさん泣かせるし、たくさん怒らせる」
置かれた手もそのままに、またコクと頷く彼女。
「それはそれでいいのよ。泣かせたって、怒らせたって。大切なのは、その後、どうするか」
「……ごめんなさい」
んー。まぁ謝るのは間違ってない。でもそれじゃあ、50点かしら。
「ん。わたしもちょっと、空気に呑まれちゃって言わなきゃいけない事、言えなくてごめんね?」
ああなるよりも早く、「もっと優しくして」とか「早く抱いて」とか言って長引かせなければ後で泣いてしまう事態は避けられたと思う。
それは、反省。
雀ちゃんは雀ちゃんで、ちょっと調子に乗り過ぎた所を反省。
わたしはわたしで、それに乗っかって自分のキャパオーバーまでやっちゃったのを反省。
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お互い反省とごめんねを済ませたら、次にしなくちゃいけない事が待っている。
仲直りして、笑顔になること。
「はい。顔あげて」
俯く彼女の顎を下から掬い上げて、上向かせる。
そこにあるのは、泣きそうな顔。潤みきった目は辛うじて涙を流していないだけで、もう、溢れそう。
「大丈夫。嫌いになってないから」
膝立ちになって、彼女の目元に唇を押し当てるとぽろりと零れた涙。
わたしと同じく、安心したのかもしれないその涙が無性にかわいくて、流れた頬を唇で拭った。
「大好きよ、雀ちゃん」
その言葉に、大きく、潤んだ瞳が揺れた。
そりゃあ、「もう完全に嫌われた」と思っている相手から「好き」なんて言われたらそうなるかもしれない。
でも、この子の……”嫌われるかもしれない”と常に恐怖しているのは…………このトラウマは……相当重症だ。
いつか、どうにか、変化をもたらしてあげられるといいのだけど……。
まぁでも、今は、今すぐどうこうは、出来ない。
そういう部分に手を伸ばすのは、もっともっと、長く付き合って、互いを知り合ってから。
そのための下準備を、日々、やっていくのだ。
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そんなわたしの決意は一旦置いておくとして。
雀ちゃんだ。
彼女の気持ちの変化が分からなくもないけれど、まぁ……大袈裟というか、不器用というか。
雀ちゃんはもしかしたら今まで、本気で喧嘩っていう喧嘩をしたり、仲直りをしたり、してこなかったのかもしれない。
それは育った環境だとか、友人関係とか、本人の性格とか、色んなものが折り重なっての経験だから、誰が悪いとか悪くないとかではない。
そういう経験がなければ、わたしが、これからたくさん経験させてあげて、慣れさせればいいのだから。
……まぁ、喧嘩をしょっちゅうしたいとか、そういう訳ではないけれど。
「ほらほら。泣ぁかないの」
「うぅ……」
一度決壊した涙腺は脆く、雀ちゃんは次々に涙を零し始めて、また、好意が募る。
ホント、可愛い。
泣いている相手にそれはどうなのかと思うけれど、仕方がない。
湯舟をざぶんと掻き分けながら、わたしにぎゅっと抱き着いてくる雀ちゃんは、可愛いくてたまらない。
普段カッコイイと思うことが多いひとだから、余計、こういう場面では可愛さが際立つのかもしれない。
撫でて。
抱き締めて。
なだめて。
あやして。
落ち着いた彼女を湯船からあげて、頭を洗ってあげていると、ぽつりと彼女が言った。
「嫌じゃ……なかったんですか?」
「ん?」
あー……。
彼女が突然始めたのは多分、あの派手な下着の話、よね……?
それを嫌ではないと言い切ればただの痴女になりそうだけれど……うーん。
「恥ずかしいから、このお風呂から出たら……わたしが今から言う事は忘れてくれる?」
悩んだ結果、このお風呂の中でだけ、羞恥心を捨てる事にした。
今の雀ちゃんには、変に隠し立てするよりは、思ったことを思ったままに伝えて、心の変化を話しておいた方が良いと判断したから。
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あれは、まーからの頂き物だということ。
一人であの下着を見たときは、派手すぎて着ないだろうなと思ったこと。
でも二人でえっちを楽しむための小道具の存在でならば、別に着ても構わないと思ったこと。
雀ちゃんの雰囲気がいつもと違ったこと。
そんな貴女にドキドキしたこと。
目の前で着替えるのは、抵抗があったこと。
嫌と戸惑いの狭間に居たこと。
だけどそれがスパイスにも成り得たこと。
なにより、雀ちゃんを嫌いになってないし、凄く好きなこと。
こういう喧嘩みたいな状況も、ふたりで経験していて悪い訳ではないこと。
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あれもこれもと話しながら、お風呂を済ませて髪も乾かして、わたし達はリビングのソファに並んで座った。
「わかった?」
「はい」
色々ありのまま話しすぎた所もあったかもしれないけど、雀ちゃんの表情はお風呂に入る前よりずっと明るい。
そんな彼女の変化に満足し、洗いたてでふわふわの髪を撫でてあげると、その腕を取られ、抱き寄せられた。
「ごめんなさい。愛羽さん」
必要以上に自分を責めている訳ではなさそうな声で、安心する。
わたしと雀ちゃんの涙、そして沢山の言葉は、無駄ではなかったみたい。
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彼女の胸に顔をくっつけて、背中に腕を回して、わたしは軽く首を振る。
「わたしも、ごめんね。雀ちゃん」
密着していると、雀ちゃんの体がふるふると揺れた。たぶん、雀ちゃんが首を振ったんだろう。
けれど、それ以上の言葉を彼女が紡ぐ様子はなさそうで、わたしはもっと、安心する。
謙遜や卑下を強くする傾向がある彼女がそこで言葉を終わらせたということは、そういうこと。
受け入れて、自分で処理をするのも大切で、相手の為にも、自分の為にもなる。
しばらく、お互い、相手の体温を感じて癒され合っていたんだと思う。
なんの会話もなかったけれど、すごく気持ち良い空間ができあがっていて、なんだか、心がとろりとした。
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