※ 本章は女性同士の恋愛を描くものです ※
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~ 幸せの風邪 1 ~
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「は……」
「は?」
「……ぅくしゅっっ!」
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「なにそのクシャミは」
「う゛ー」
ずずっと鼻水を啜って、私の妙なクシャミに呆れ顔を向ける店長に「ずみまぜん」と鼻声で謝った。
うーん、どうも、昨日のアレをして、ちょっと風邪を引いてしまったらしい。
「なに。お風呂でセックスでもして風邪引いたの?」
「え゛! なんで知ってるんですか!?」
「……アンタねぇ……例えたまたま当たったとしても黙ってなさいよバカ」
本当、気の毒な素直さ。と溜め息を吐く店長は、磨いていたグラスを伏せて置いた。次のグラスを手に取って、グラス磨き用の布できゅっきゅと擦りながら、私にチラッと視線をやってから、また溜め息を吐く。
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「その風邪すら幸せだなぁみたいな顔してんじゃないわよホントに……」
「えー、なんでわかるんですか」
多分、今の私を表す言葉として最適なものは、”デレデレ”だ。
自然と頬が緩んでしまうんだから、仕方ないじゃないか。と誰にともなく言い訳をする。
「仕方ない。お客が来るまでその惚気聞いてあげるわよ」
「なんですか、幸せのお裾分けを嫌そうに。罰当たりますよ」
「もう部下が色ボケで体調不良になるっていう罰は当たってるからご心配なく」
鋭い切れ味の嫌味を言われても、へらっと笑えてしまうくらいに私は、確かに色ボケしているみたいだった。
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バーの開店時間は夜の8時。
だからオープンしてもすぐにお客さんが来ない事はままある。その間、ちょっと暇なので大概こうしてグラスを磨いたり、お酒やつまみの補充やちょっとした掃除なんかをして、その暇を消化しているんだけれども、今日はどうやら、私の惚気話がその大半を占める気配がする。
呆れた顔や嫌そうな顔をするくせに、店長の方から話を振ってきてくれるあたり、やっぱりこの人は優しいなぁと思う。
「愛羽さんが可愛いんですよ」
「ああそうよかったわね。いらっしゃいませー」
「ドアベルも鳴ってないし誰も来てないですから! なんですかその気のない相槌は!」
磨いたグラスを静かに置いた店長が、腰に手をあてて、完全に呆れ切った目をこちらに向けた。
「だってその馬鹿っぽい惚気とか聞いてもねぇ」
「馬鹿とはなんですか、事実ですよ!」
「事実でももっとこう、実はこういう事があって愛羽さんがこう言ってしてくれてそれが物凄くぐっと来て超絶可愛かったんですよー、とか言うならいいけど。愛羽さんが可愛いんですよだけ言われても、こっちはあっそうで終わるわ。もう一回最初からやり直し」
「惚気にそんな話のお作法があるんですか」
「惚気に限らず話ってのは相手に聞かせる為の手法や手順があるのよ。仮にもバーテンダーなんだからちゃんと話はしなさい」
お客さん相手ならもうちょっとちゃんと話してますよぅ、と唇を尖らせると、店長の目が「アタシ相手でも気ぃ抜くんじゃないわよ」と吊り上がった。
もう、こわいなぁ。
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店長の手が止まっていたので、グラスを取ってその手に乗せてあげると大人しく磨き始める。
わたしも同じくグラスを磨きながら、惚気話に再チャレンジした。
「愛羽さんって、どうも私の事を天使かなにかだと勘違いしてるらしくてですね。ちゃんと二十歳になるまで外食でお酒飲まない人だと思ってたそうなんですよ」
「すーちゃんが?」
聞き返す店長の顔には、ウソでしょう? と書かれているし、言葉の響きには、信じられない……と含まれている。
そう、こういう反応が普通だと思うのだ。愛羽さんの前で私が猫を被りすぎた結果なのかもしれないけれど、普通は、こうなるはずなのだ。
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「はい。そんな私と初めて外でお酒を飲む相手が自分でありたいと思って、二人で温泉旅行に行ったとき、部屋での夕食の時、ビール勧められたんですよね、愛羽さんに」
「へえ?」
「その事をもうずっと気に病んでたらしくて。あの天使の雀ちゃんに自分がルールを破らせたー的な感じで」
「そんな事を?」
片眉をくいとあげて、そんな些細なことを気にするのかと驚いている店長に頷いてみせる。
「自分が恋人の一番になりたいっていう独占欲的な心も可愛いし、そのせいで恋人に罪を犯させてしまったっていうジレンマをずっと抱えてたんですよ。もうそれが可愛くて可愛くて。しかも私が普通に外で酒飲むって知ってからものすごく驚いてて。この私をそんな人間だと信じ込んでる愛羽さんの方が天使みたいだと思うんですけど」
確かにね。と相槌をくれた店長は唇の端を持ち上げた。
「で、そういう愛羽さんが可愛い可愛いで、我慢できずにお風呂で襲っちゃったワケ?」
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「あ、いやー……それはちょっと……チガウカナァ」
「なに?」
磨いたグラスをまたコトリと置いた店長の目が、キラリと光った気がした。ていうか、絶対光ったな。
それまで流暢に惚気話をしていた私の口が重くなると、惚気話よりもそちらに興味があるとバッチリ書いてある顔をこちらに向けた店長は、新たなグラスを手にした。
「何が、違うのよ?」
「あー、やー……なんだったかなー」
「さっさと白状しなさい。お客が来たら話出来ないでしょ」
ピシャリと言われて、私は唸る。
昨日、自分の恋人にも伏せて秘密に出来たことを、どうして店長に白状して懺悔しなければいけないのか。
惚気話の代償にしては大き過ぎる、と口をへの字に曲げた。
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