※ 隣恋Ⅲ~湯にのぼせて~ は成人向け作品です ※
※ 本章は成人向(R-18)作品です。18歳未満の方の閲覧は固くお断りいたします ※
※ 本章は女性同士の恋愛を描くものです ※
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旅行を懐かしんだあとは。
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~ 湯にのぼせて 111 完 ~
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「偶然で、必然、か……」
ゴールデンウィークに使った旅行鞄からポロリと落ちて出てきた栞を拾い上げた私は、その頃を懐かしむように呟いた。
たぶん、気のせいだろうけれど、鼻の奥にふわりと温泉の硫黄の香りが広がった気がして、栞からの匂いなのかと疑って、それを鼻に近付けてみるけれど、なんの匂いもしなかった。
萌黄色のその栞に目を細めて、あの喫茶店のマスターや、ウェイトレスさん、そして旅館の仲居さんは元気かなぁと思いを馳せる。
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あの時マスターに頂いたコーヒー豆は、美味し過ぎて、もうとっくに無くなった。
美味し過ぎて、というけれど、やはり、マスターが淹れたコーヒーと、私が淹れたコーヒーとでは何かが決定的に違って、飲む度に唸っていたら、愛羽さんにこう言われた。
「経験と、年季が違うんじゃないの?」
テーブルに両肘を着いて組んだ手に顎を軽く乗せて、悪戯に微笑む彼女の言葉が、妙に説得力があって、自分に出せる味は今はこれだけか、と納得したものだ。
最高に頑張って淹れた最後の一杯を、どれだけチビチビチビチビ飲んだことか。
またあの味を舌に感じたいと思うけれど、そう易々と行ける距離ではない。
それに、行くのなら愛羽さんと行きたいし。
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「栞見てにやにやするとか、ちょっと怪しいわよ?」
栞を拾うために床に片膝を着いていた私の背中におぶさるように、愛羽さんが抱き着いてきた。いつの間に背後まで近づいて来ていたのか、気付かなかった。
「これ、覚えてます?」
「ん? あぁゴールデンウィークに行った旅館の」
肩越しに愛羽さんに、手にしていた栞を見せると、さらりと言ってのけた愛羽さん。
よかった。ここで、「なにその紙」とか言われたら、泣いてしまうところだ。
だって、二人で初めて一緒に行った旅行だし、私にとってはかなり、いや、人生で一番楽しかった旅行だから。
そこで最後に、カウンターで記念に貰った栞。
それを紙だなんて言われたら、女々しくも泣いてしまう自信はある。
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「楽しかったねぇ、あの旅行」
愛羽さんはしみじみと思い出すように言いながら、私を後ろから抱き締め直してくる。
……ちょ、……っと。胸が、あたる。
ふにりとした柔らかさに心臓の音が速まるけれど、そんなことを愛羽さんに言おうものなら絶対、揶揄われる。
ぐっと我慢して、私は動揺を押し隠す。
「今度は私が旅行の計画立てますから、楽しみにしててくださいね」
ゴールデンウィークの旅行は、全部と言っていいほど、愛羽さんが計画を立ててくれて、新幹線や旅館の手配をしてくれたから、今度は私がそういった計画や手配をすると、前々から宣言しているのだ。
こうでも言っていなければ、出張慣れしている愛羽さんは、ひょいひょいっと旅行計画を立ててしまう程に器用なのだ。
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「楽しみに待ってる」
こちらに身を乗り出すようにした愛羽さんが、私の頬に軽くキスをして、耳元で微笑んだ。
吐息が耳朶に触れて、さらに跳ねた心臓を隠すのが難しい。
「が、がんばります」
若干、言葉が詰まってしまった。けれど、ここは強気に宣言する。
「喜ばせてみせます」
と。
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「んー……」
愛羽さんのことだから、たぶん「ん。期待してるね」とか言ってくれると予想していたんだけど。
耳に届いたのは、困ったような、思案しているような、なんだか複雑な声音。
まさか、「喜ばせてみせます」が、気に障ったとか…!?
いや、それよりも前の「が、がんばります」が嫌だったとか!?
やっぱり愛羽さんは大人だから、頑張らなきゃ旅行計画の1つも立てられない訳? みたいな気持ちにさせちゃったかな…!?
嫌な汗を脇にかきそうになった寸前で、愛羽さんが軽く息を吸った。その口からどんな言葉が飛び出てくるのかと身構える。
「わたしは雀ちゃんと行く旅行なら、どこでも喜んじゃうんだけど、いい?」
困ったようにそう言う愛羽さんの表情は、今の体勢では見えないけれど、多分、ハの字眉毛で困ったような笑顔を浮かべている表情じゃないかな。
愛羽さんのくれた言葉に、焦っていた心が一気に晴れていくのを感じながら、私は大きく頷いた。
「それなら、旅行中、ずっと笑顔でいられるような旅行、考えますね!」
愛羽さんの笑う吐息が首筋にかかって、柔らかな声音が、耳に届く。
「ん。期待、してるね?」
愛羽さんならそう言ってくれると思ってた。
じわぁっと胸に広がった温かさに目を細めて、栞をどこに飾ろうか、と私は思案した。
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隣恋Ⅲ~湯にのぼせて~ 完
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