※ 隣恋Ⅲ~過去 現在 未来。嫉妬~ は成人向け作品です ※
※ 本章は成人向(R-18)作品です。18歳未満の方の閲覧は固くお断りいたします ※
※ 本章は女性同士の恋愛を描くものです ※
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~ 過去現在未来。嫉妬 8 ~
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わたしが食べるのが遅いのか、いつの間にか、お皿の上に乗っているピザはあと1ピースになっていた。
その皿をこちらにずいと押して差し出し、食べるように勧めるマスターは、チーズの油がついた指を僅かに出した舌で舐めて、猫みたいに笑った。
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「上手い調教師が居たものね」
「……その言葉やめて」
わたしはサーカスのライオンじゃないの。
「なら、躾かしら?」
「それも嫌」
わがまま。と括って、マスターはわたしを揶揄うのを一旦止めた。
灰に刺してあった火箸を手にとり、炭の具合を確かめるように掴んでは転がす。
その様子を眺めつつ、最後のピザを口に運ぶ。
マスターの忠告通り、少しずつお酒を頂いて、ナッツとピザをお腹に入れてよかった。ほろ酔いくらいなもので、いい気分でお酒を楽しめている。
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「愛羽の彼女も、バーで働いているのよね?」
「ええ」
「今から行きましょうか」
「ええ!?」
ピザを落とすかと思うくらいに驚いているわたしを他所に、マスターと由香理さんが、まるで明日の天気の話でもしているかのような軽さで言葉を交わしている。
「由香理? 任せて平気ね?」
「大丈夫ですよ。いってらっしゃい」
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「ちょちょっと待って、マスターでしょ? 店主でしょ? 今日も普通にお店やってるんでしょ?」
このバーは、蓉子さん目当てに来るお客さんが多い。
それは彼女と話をしたかったり、彼女の作るお酒がスキだったりするからだ。
なのに、その蓉子さん不在でお店をしているだなんて、よっぽどの理由がないといけないと思う。
焦るわたしが、マスターの暴走を引き留めるべく言葉を重ねるけれど、二人は顔を見合わせてから、こちらを見て、平然と言う。
「これがマスターの通常運転ですから」
「ねぇ?」
由香理さんに若干の苦笑が見られるのが救いだ。ほぼ諦めているのか慣れてしまったのか、マスターの暴走は認めるけれど良くないとは思っているらしい。
常識というものが少しは残っていて良かった。
一方、さも当然、というように、「ねぇ?」と言う本人は悪気も何もないところが良くない。
普通はいきなり欠勤というか早退というか、こんなことしないし、更に言えば、「お客の彼女を見てみたいから」などという超個人的な理由で立場のある人間がホイホイ出歩いてはいけない。
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「で、でも彼女のバーは8時オープンだから」
「今から私が着替えて、向かったら丁度いいかちょっと早いくらいじゃないかしら?」
店の壁にかけてある時計をちらと見たマスターがにっこりする。
ああもう、なにこの全て先回りされてる感じ。
「じゃ。着替えてくるわね」
ひら、と手を振って、座敷から降りるマスターは、店の奥にある扉を開けて消えて行った。
呆然と、ピザを片手にそれを見送ってしまったわたしは、とりあえず、冷えたピザをぱくりと口に入れた。
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ピザのお皿と、桃のカクテルのグラスを空にしたわたしはそれら二つを持って、座敷から降りる。
「あらあら。置いたままで大丈夫ですよ」
ほんわかとした笑顔に少しだけ慌てと申し訳なさを加えた表情で、由香理さんがわたしの元へとやってくる。
お皿とカクテルグラスを受け取ってくれて、「すみません、ありがとうございます」と頭を下げる代わりに軽く膝を曲げる彼女に、癒される。
癒し系女子を代表するようなおっとりふんわりした彼女は、カウンターの内へと戻りながら、「マスターはご機嫌みたいですから、よろしくお願いしますね」と微笑む。
「人の悩みで揶揄ったりするくらいご機嫌ですからね……」
「ふふ。大のお気に入りの方にしかしない、愛情表現ですから。受け取ってあげてください」
そんな愛情表現いらないと苦い顔をしてしまうのは、わたしの器量の狭さだろうか。
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この癒し系女子代表の由香理さんだったら、マスターから揶揄われても、「これが親しみの印なのね」と甘んじて受け止めて微笑んでいられるのかしら…?
彼女が作業をする姿を眺めつつ、元居たカウンターの席へと腰を下ろす。
「……ねぇ、由香理さん。恋人の好みに自分が変わってしまうのっていいこと?」
キュッ。と蛇口を締めて水を止めた彼女は、一瞬、思考の間を置いた。
「そうですねぇ」
タオルで手を拭った彼女はわたしの前へゆったりと移動してきた。
「いいとも、わるいとも、思ってしまいます」
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「と、いうと?」
彼女の答えの先を促すと、由香理さんは自分自身に立てた人差し指を向けた。
「わたしは九州出身で、かなり方言なまりの言葉遣いだったんです。でもこっちに引っ越してきて、恋人が出来て。その人が”ここらで九州の言葉使ってるの恥ずかしいからやめて”って言ったんです」
手を下ろして、当時の記憶を思い出したのか、由香理さんは苦みを混ぜた笑顔を見せつつ、話を続けてくれる。
「わたしは自分の出身も方言も、誇りがあっていいと思って標準語に直さなかったんですけど、それを機に直して今に至るんです。……言葉遣いを直さなかったら多分、わたしはこのお店で働いてません。ここで働けるようになった事はとても感謝していますし、働いてよかったと思っています」
苦みの消えた笑顔に戻った彼女を見上げて、彼女の笑顔が移ったみたいに、わたしまで微笑んでしまうのは、由香理さんの魔力だと思う。
「恋人の言葉がきっかけで言葉遣いは直せて、ここで働ける事になりましたけど、元々大切にしていた出身や方言は薄れてしまいました」
肩を竦める由香理さんは「例え話にしては不出来でしたね?」とおどけるけれど、なんとなく、言いたい事は理解できる気がする。
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わたしはゆるく首を振って、ありがとう。と返す。
良くも、悪くも、変化というものは、元々、両方の意味を持つ事象なのかもしれない。
「でも」
由香理さんは、唇の前に指を立てて、悪戯っぽく片目を閉じた。
「調教や躾でしっくり来ないようでしたら、開発、という言葉もありますけどね?」
「…………聞いてたんですか」
座敷でマスターと話をしていた時に出たキーワードを彼女が言うということは……たぶん、向こうでの会話はカウンターに居た彼女にほぼ筒抜けだったという事だろう。
顔が熱くなる。
両頬を手のひらで冷やしながら、由香理さんを見上げると「ごめんなさい。お客さんがいない状態だと、意外と反響して聞こえちゃうんです」と両手を合わせて謝られる。
そんなふうにかわいくゴメンナサイされると、許してしまいたくなるこの癒し系女子。たぶん、世渡り上手よね、このひと。
商談とかに連れていくよりは、接待に連れていった方がいいタイプの人間だなぁなんて思いながら、熱い顔にパタパタと手で風を送った。
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