※ 隣恋Ⅲ~湯にのぼせて~ は成人向け作品です ※
※ 本章は成人向(R-18)作品です。18歳未満の方の閲覧は固くお断りいたします ※
※ 本章は女性同士の恋愛を描くものです ※
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こだわりは時にぶつかり合う。
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~ 湯にのぼせて 44 ~
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受話器を耳に当てながら、仕草で「悪いな」と断ったマスターは、わたし達の正面からすこし遠ざかった。
それでも狭い店内だ。
彼の話す言葉は聞こえてくる。
「おう。……あるぞ? ……いや冷めるって。……どうにか出来るもんでもねぇよ」
ガシガシと頭をかく彼はどうやら、奥様から何かお願い事をされているみたいだった。
わたし達はそれぞれ飲み物に口をつけながら、いけない事と思いつつも、彼の声にそれとなく耳を傾けた。
「そうは言ってもなぁ……まぁ、魔法瓶とか使えば……まぁなんとか。…………んなのでいいのか?」
ふー、と鼻から息を抜いた彼は片手を腰に当てた。
「分かった。用意しとく。……ん、気ぃ付けてな」
耳から外した受話器のボタンを押して通話を切ったマスターはウェイトレスさんに向かって言う。
「なち、奥から水筒もってきてくれ。全部」
「全部?」
頷きながらマスターは、ふたつのヤカンに大量の水を入れ火にかけると、調理場の横にある機械の前に立った。
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慌ただしくウェイトレスさんが、喫茶店の奥へと続く扉の向こうへ消えていった。
どうやらこの奥は、彼ら家族が過ごす自宅へと続いているようだ。この建物は自宅兼仕事場らしい。
「なんだか大変そうですね」
わたしに耳打ちする雀ちゃんは、彼の動きを目で追いながら言う。
「多分、奥さんからエスプレッソをここ以外で飲めるようにしてって言われたんでしょうね」
「あーなるほど」
確かに彼の会話だとそんな感じね。魔法瓶に入れたら温度もそんなに下がらないし。
「でも多分、マスター、本心は嫌がってそうです」
「え?」
「あれだけ美味しいコーヒーを淹れられるんですから、やっぱり、一番美味しい状態で飲んで欲しいじゃないですか。持ち運びしたらやっぱり、適温ではなくなりますし、本来必要のない容器を通すことで雑味が入るかもしれない。あと、運ぶときガチャガチャしてたら味が壊れてしまいそうですし」
雀ちゃんがちょっと困ったように眉を寄せる。
彼女もコーヒーを扱うひとだ。仕事でもプライベートでも。だからこそ、理解できる部分が大きいのだろう。
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「マスター、持ってきた」
「ありがとな。そこのお湯が沸いたら、中に注いでくれ」
「全部?」
「全部」
ウェイトレスさんが持ってきた水筒は全部で3本。見た感じ、子供が学校に持って行くような大きさのそれ。内容量は600mlくらいだろうか。
「あと、それ入れて運べるような袋用意」
「はーい」
やっぱり、仲がいい。
あの年頃だと反抗期になりやすいだろうけれど、義理の親子という壁が逆にいいクッションになっているのだと思う。
微笑ましく眺めながらカプチーノを口に含めば、もうずいぶんと冷めていた。
しかしここのカプチーノは冷めていても、おいしい。
甘味のあるそれは、わたしの喉をゆっくりと下っていった。
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どうやらお湯が沸いたようで、トートバックを片手に戻ってきたウェイトレスさんが、水筒にお湯を注ぐ。
「あとすることは?」
「とりあえずないな。ありがとう」
頷いて、やれやれといったふうにフロアに戻ったウェイトレスさんを、雀ちゃんが手招きした。
突然の行動に目を見張って、彼女の動向を見守る。
いったい、何をするつもりだろう。この状況でまさか注文はしないだろうし……。
「はい。ご注文ですか?」
「ううん。ごめん、違うんです。あれ、コーヒーを水筒に入れて、どこかに持っていくんですよね?」
「え? あ、はい」
エプロンのポケットからオーダー用紙を取り出そうとしたウェイトレスさんに首を振って、雀ちゃんが指差したのはマスターの側に置いてあるお湯の入った三本の水筒。
雀ちゃんの言葉に驚いたように返事をした彼女に、「余計な事かもしれないけど」と前置きをした雀ちゃんはこう続けた。
「温かいまま持っていくなら、水筒の蓋にもお湯を注いで容器全体を温めておいた方がいいですよ。あと、水筒を袋に入れるまえに、タオルで包んで入れると、保温効果があってもっといいと思いますよ」
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ウェイトレスさんからしたら、意外な人からの意外なアドバイスだったのだろう。
驚いた顔を続けながら、なんとか、「あ、ありがとうございます!」と頭をさげた。
そんなウェイトレスさんに、ちょっと申し訳なさそうな顔をした雀ちゃんは自分の頬をカリカリと指でかく。
「ごめんね。余計なお世話しちゃって」
「いえいえいえ! とんでもないです! ありがとうございます!」
じゃあ早速。と笑顔を残して、ウェイトレスさんはカウンター内で水筒の蓋にお湯を注ぎ、家へと続く扉の向こうへ消えた。多分、タオルを取りに行ったのだろう。
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「よく知ってたわね、そういう事」
ウェイトレスさんの姿が見えなくなってから、オリジナルブレンドを一口飲んだ雀ちゃんに言うと、彼女は「余計なお節介かもしれないんですけどね」と眉尻を下げる。
「うちの店でも似た事が前あったんですよ」
店長の恋人の遥さんの病院の患者さんで、物凄くコーヒー好きな人が居て。どーしてもその人がうちの店長のコーヒーが飲みたいってよくゴネるんですって。
苦笑がちな雀ちゃんは、その時を思い出すようにカウンターテーブルに組んだ腕を乗せて話してくれる。
「店長は店長のこだわりがあって、冷えたコーヒーはうちのコーヒーじゃない。ここで最高のカタチで飲んでもらえなきゃ意味がないって怒って。でも、遥さんは遥さんで、その患者さんの手術も近いから病院で不自由しているし、コーヒーくらいは好きなものを飲ませてあげたいって譲らなくて」
自分の仕事へのこだわりと、他人への気遣い……いえ、遥さんという方も、仕事へのこだわりなのかしら。
お互い、譲れないものがあったのね。
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「店長と遥さんが電話口で大喧嘩し始めて、結局、コーヒーが大好きなあの患者さんの最後のコーヒーがコンビニのしょぼいコーヒーになってもいいのかって店長が怒鳴られて、負けて」
へぇ、意外。あんな店長さんでも、人に圧し負けることがあるのね。
「でも、負けたから拗ねて適当にコーヒー作って届けるとかじゃなくて。ああやって魔法瓶の水筒を用意して、お湯で水筒を温めて、梱包材っていうのかな? プチプチを水筒に巻き付けて、それをタオルで更に巻いて発砲スチロールの箱に入れて。これが即席最大の保温装置だって言って、箱抱えて自分で病院まで届けにいって、患者さんに自ら提供したそうです」
またコーヒーを一口飲んだ雀ちゃんは、口元に笑みを乗せて語る。
「意固地って言ったらそこまでなんですけど。正直、そんな風に拘ってコーヒーを相手に届ける店長見てたら格好良いって私は思いました」
店長さんの顔を思い浮かべている雀ちゃんの顔は穏やかで、この純喫茶のマスターと話をしている時とはまた違った輝きを瞳に宿している。
推測だけど、雀ちゃんは店長さんを目標としているんじゃないかと思っている。
こうしてたまに彼女が教えてくれる店長さんの話を聞くと、憧れと尊敬の念を抱いている気持ちがひしひしと伝わってくるのだ。
わたしが森真紀という上司に憧れと尊敬の念を抱いているのと、同じ匂いを雀ちゃんと店長さんの関係に感じるのだ。
「身近に、そういう存在が居てくれるのは、本当に幸せな事よね」
あの人のようになりたい、あの人をお手本にしたい。
そう思える存在が、自分の活力になる。
いつか、その人と、肩を並べられるように。
そんな想いを胸に、わたし達は日々、精進してゆくのだ。
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