隣恋 第9話 朝の5時38分。起床。

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 朝の5時38分。起床。

 気分は最高の最低。

 枕に顔を埋めて、布団をかぶって、叫んだ。

「金本さんとキスしたーーーーー!!!」

 夢で、ね。



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「はあぁぁもう……絶対こないだのだんご事件が原因じゃないか」

 また眠る気にもなれず、ブラックコーヒー片手に、一人愚痴る。
 だんご事件。
 それはこの間の、月見だんごを頂いた日のこと。

 もう。

 もうどーすればいいのか、と。

 禁・横恋慕なのに。
 マジで泣きたい。

 夢にまで……彼女が登場してくるなんて。
 そして更に、キスまでするなんて。

 きっとあれだ。
 だんごを食べさせてあげた時の、あーんして待ってた時の、あの可愛い感じと、去り際の可愛い笑顔が作用して、夢の中でキスなんていう犯罪的な事を私は……。

「……」

 思い出しても、あれは柔らかかった。
 私が想像で作り上げたのであろう、唇。
 ……めっちゃ……! 柔らかかった!

「……って……喜んでる場合じゃないんだよ馬鹿か……」

 ここ最近、火曜のギシアンは相変わらず、無い。

 いっそのこと「恋人はいるんですか?」と尋ねてしまえば早い。
 この悶々とした生活に終止符が打てる。

 待っているよりも、行動した方が吉?
 いや。いやでも。

「……多分ノンケだよなぁ……」

 そこだ。
 それが一番の問題。

 たとえあのギシアンの彼氏と別れていようとも、同性愛を嫌がられたら、おしまいだ。

「ぬぅぅぅぅ……駄目だ。走ろう」

 考え過ぎてお腹が痛くなってきたので、走ることにする。
 ジャージに着替えて、いざ、出陣。

 こういう時は、頭が真っ白になるくらいにダッシュだ。



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 結構、早朝ジョギングをしている人はいるもので、信号待ちをすれば、ジャージのおっちゃんやらお姉さんやらとその場駆け足を共にした。

 家から川原まで、ジョギングのスピードではない速度で駆け抜け、川原の一本道の途中で、へたりこんで自販機を見回すが、無い。

「……し、……死、ぬ……」

 喉が張り付き、えずきそうになりながら、酸素を貪る。
 いったいどんだけ走ったんだ自分。それとも体力落ちたか?

「すーちゃん、ナニしてるの」
「…………し、に、……かけ、てる……す」

 店長!!

 その手に持つ聖水をお分け与えください!!

 指差して示すと、ああ、と聖水(ただのミネラルウォーター)を店長様がくれた。

 店長、女神だ。
 ジャージ姿でも、いつもより断然美しいっす。



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「ありがとうございました」

 流石に聖水を全部飲み干す訳にもいかず、途中でペットボトルを返却する。
 にしても、ジョギングするのに水持って走るとか、変わったジョギングするなぁ。大概の人は基本持つなら、鍵とケータイくらいだぞ。

「いいわよ、お返しは今日の残業で」
「えー!? 昨日もしたのに!?」

 昨日3時から11時までバイトしたじゃないか!
 訴えると、店長は半分以下になった聖水を見せ付けてくる。

 う、なんだこの逆らえない無言の重圧。

「今日は22時まででいいから」

 10時上がりか。
 今日は開店からだから……9時半には店行って……。

「12時間30分労働!?」
「休憩引いてないでしょ」
「引いても8時間労働超過っす!」

 言い返したら、店長の目がすぅっと細められた。

「機嫌悪いわねぇ?」

 アンタ残業好きでしょうが。と店長は言う。
 いや別に好きじゃない。ただ貯金をたくさんしたいから、手当がつく残業は嬉しいだけだ。

「べ、べつに悪かないです」

 そう。機嫌だって、悪くない。

「ふぅん?」
「……なんすか」

 後ろに回りこんできて、じろじろと私を眺める店長。

 い、居心地が悪すぎる。
 なんなんだ。私の背中に何か付いてるっていうのか?

「すーちゃん、家からココまで走ってきたの?」

 黙って頷く。

「アタシがここまで来るとき、ペース配分全く無視してバカみたいに走ってる背中を見たのよ。まさかそれが、すーちゃんだったとはね」

 見られてたー!?
 爆走してるの見られてたー!?

「なにかあったの、雀?」



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 真面目に話をするとき、店長は下の名前を呼び捨てにする。いつもは「すーちゃん」と呼ぶのに、こういう時は「雀」と。
 それをされると、ドキっとして、反射的に背筋が伸びる。

 でも、私は体育座りで、膝を抱えた。

「言ったら絶対笑いますもん、店長」

 片思いの人とキスする夢見たとか、中学生かっての。
 自分でもアホかと思うもん。
 しかも、禁・横恋慕を自分では必死に掲げているくせに、ロクにそれを守る事も出来ず、度々彼女にときめいている始末。

 金本さんにモーションかけるでもない、かといって、恋心を断ち切ることもできてない。
 向こうが甘えてきたときには、突き放さずに甘やかして。

 中途半端すぎる。

 こんな状況を説明すれば、大人な店長には一蹴されてダメージ受けるだけだ。

「部下の悩みを笑う上司じゃないわよ」
「絶対、鼻で笑う」
「雀」

 困ったような、呆れたような、それでも優しい声で名前を呼ばれた。

「同伴出勤しましょうか」

 店長に、拉致された。 



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 付いて来ないとクビ。今月代も退職金もあげないわよ。

 そんなセリフを叩きつけられて、走ること20分。
 店長のお住まいに到着。

 何気にウチと近い!
 
 前にも来た事あるけどこんな距離近かったのか! 3LDK! 広い! さすが店長!!
 あまりキョロキョロするのも失礼かと、大人しくしていると、店長が振り返った。
 

「ご飯は?」
「まだです」

 冷蔵庫をごそごそする店長。

「パンでもいい?」
「なんでも大丈夫っす」
「何でもとか言ってるとステーキだすわよ」
「おぐ……パンでお願いします」

 朝からステーキはない……。
 店長が言うとマジで出てきそうだから、やだ。こわい。

「アタシがシャワー浴びてる間に食べときなさい。で、すーちゃんの家行って、身支度して店行く。いい?」

 コクコク頷いて、指されたダイニングテーブルの椅子に座る。
 なんか、急にお邪魔しちゃった挙句イロイロしてもらって、悪いなぁ。

「いいんですか?」

 お邪魔したとは言え、拉致したのは店長だ。でも実際にはイロイロ世話を焼いてもらっているし、そもそもなんで店長が私を拉致ったかというと、私の心配をしてくれているから。この状況に、どう言っていいか分かんなくて、とりあえず聞いてみた。
 すると、コーヒーを淹れてくれている店長が振り返って、にやりと笑う。

 ――こ、この笑みはキケンだ。

「なに? どういう意味かしら?」

 ソーサーに乗せたカップを私の前に置き、店長が更に近寄ってきた。
 座った私にぐっと身体を寄せ、椅子の座面に膝を乗せてきて、彼女と視線を合わせるにはぐっと顎をあげて真上を向かなきゃいけないくらいに接近してくる。

「いいっていうのは、食事? それとも、あなたが居るのに無防備にシャワー浴びること? それとも、同伴出勤の車という密室で二人きりになること?」

 そう。
 この店長……やたらとエロいのだ。言い回しも、仕草も。

 そういう事をして、見せつけておいて、それで人の反応を楽しむという悪人の性質を持つ。

 目が妖しい目が!!
 朝からエロ全開か店長!
 部下を拉致っといて、なんて大人だ!

 そんなイケナイ大人には……制裁だ。

「遥さんに言いつけますよ」

 舌打ちする音が聞こえた。

「小癪な手を覚えて。可愛くない」

 ペン! と私の頭をはたいて、悪人はバスルームへ去った。

 ちなみに、遥さんというのは店長の恋人
 看護師さんでこの家で同棲してるらしい。今は居ないから、出勤してるのかな?

 ちなみに、店長も女性。遥さんも女性。
 そう。私と同種のレズビアンなのである。

 しかも、人を揶揄って遊ぼうとしていた店長がすぐに悪戯を止める程、遥さんの事が好きなのだ。
 私は店長だけでなく遥さんとも面識はあって、話をしたりするが、その端々からも店長への愛情が感じ取れる。

 付き合っている歴も長く、二人ともお互いが大好きというのが端から見ても良くわかる。
 店長という立場であり、結婚こそ出来なくてしていないが、恋人と家庭を築いている。そんな店長の事を私はとても尊敬しているのだ。



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 店長の車に乗り込み、シートベルトを締めたところで、彼女が言った。

「で?」

 ……。

「で? とはなんでしょう?」
「そんな事言ってると、ラストまで帰さないわよ」
「ごめんなさい」

 最後の抵抗も虚しく、私は自宅に到着するまでに事情説明をさせられてしまった。
 

 好きな人がいて、夢でキスしちゃったんです。
 爆発しそうになって、川まで走りました。

 あああ恥ずかしい。

「……」
「……店長、なんか言ってください」

 話し終えて、黙り込まれると不安すぎる。
 なんで、なんも言ってくれないんだ。

「そうねぇ……」

 鼻で笑うと思いきや、店長は考え込むように顎に指をかけた。
 エレベータに乗り込み、降りるまでずっとその姿勢。

「そんな悩みます!? 店長が!?」

 大人だろ!? 経験豊富だろ!? なにをそんなに悩んでるんだ!?
 廊下を歩きながら、店長を振り返る。

「うーん。だってそんな青春、アタシには経験が無いんだもの」

 なんだ? 私が青いと言いたいのか店長!
 そりゃ今の店長は大人だけど、そういう青い学生時代もあったでしょうに!

「一回もないんですか? そーゆーの」
「アタシがキスだけで終わると思う?」
「……いえ」

 ふふん、と得意げにする店長。
 遥さーん。朝からエロいっすこのひとー。

 まぁ確かに、店長レベルの人にもなると、学生時代から狙った獲物は逃がさない即捕食、みたいな感じだったのかもしれない。私みたいに、悶々としたり、夢に見たりとか、そういうのも無かったんだろう。

 そりゃあまぁ、経験が無いとなると、言う言葉も見つからないものか……。
 結構アテにしていたのになぁ、店長のアドバイス。と残念に思いながらマンションの廊下を歩く。

 金本さんの部屋が見えてきた時、その扉が開いた。



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 タイミングが良いやら悪いやら。

「わ、びっくりした。おはよう、雀ちゃん。行ってきます」

 扉を開けてすぐ人間が居たことに驚きつつ、少し眠そうな目で瞬きをした金本さんは、忙しなく鍵を閉めて挨拶をしてくれた。

「おはようございます。気をつけていってらっしゃい」

 金本さんはすれ違い様に店長に会釈をして、廊下を足早に行く。
 カツカツいう靴音を背中に、自宅の鍵を開けていると、去っていく金本さんの後ろ姿を眺めている店長。

「目ぇつけないでくださいよ」
「可愛い顔してるんだもの」
「遥さんにメールします」
「まだ何もしてないじゃない」 

 肩を竦める店長。
 そんなことをしても駄目だ。

 しかも、『まだ』ってナニ。なんかするつもりですかあなたは。



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 私がシャワーから戻ると、店長はゲームソフトを並べている棚を眺めていた。

「これ、ハルが持ってたわ」
「ああ、有名なやつですから」

 遥さんも、ゲーマー仲間。店長を介して、ゲームの貸し借りをする仲。

「すーちゃん?」
「はい?」

 店長に背中をむけて、忙しく身支度をしながら返事をする。

「さっきの子」

 ……金本さんのことか。
 まさか可愛いかったから店に連れて来いとか言うんじゃないだろうなぁ。

「駄目ですよ、店長にははる――」
「――好きなんでしょ?」

 私のセリフを遮り放たれた言葉が、異様なくらい、部屋に響いた。



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 んなバカな。
 なんでソッコーばれてるんだ!?

 いや! いやいやいや待て。
 コレは店長得意のカマかけかもしれない。

 冷静に冷静に。

 大丈夫。
 店長にはまだ情報が少ないはず。

 バレるはずがない。

「ただのお隣さんですよ」
「店長様を舐めてるのかしら?」

 しらばっくれる私に、ニヤと鋭い笑みが向けられ、店長の推理が展開された。

 その1。夢でキスした相手は、ちょっとマズイお相手。川原まで爆走しなければならないほど。
 その2。さっき廊下で会った子を、雀はとても気にしている。
 その3。さっき廊下で会った子の苗字は、金本さん。表札でチェック済み。
 その4。机に飾ってある店長ドリンク+手紙。差出人は金本さん。
 その5。仕切りの壊れたベランダ。

「これだけ情報が揃えば、楽勝よ」

 と、店長は誇らしげに言った。

「言っておくけど、家探しして情報探ったわけじゃないわよ。殺風景な机の上で、あの空瓶は目立ちすぎ。タバコ吸おうと思ってベランダに出たら隣の子の下着丸見え」

 う……それを言うな。
 洗濯物のとき、毎日ドキドキするの苦労してるんだから。

「雀、あの子が、好きなんでしょう?」

 ずばり言い当てられて、諦めた。ここまできて、言い逃れは出来ない。

 私は黙って、頷いた。



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 ゆっくり、店長が微笑む。
 下を向く私に近付いてきて、店長はまるで、子供をあやすようにふわりと抱き締めた。

「なにが、心配なの?」
「……」

 言いづらくて、胸が苦しくなる。

「アタシとハルは何があっても、雀の味方よ」

 静かに言う店長が、私の頭を撫でる。
 その手にはいつもの厳しさや意地悪が欠片も含まれていなくて、ここ最近、ずっと金本さんの事で悩み通しで、それを誰にも相談出来ずにいた私には、泣きたくなるくらいに沁みる優しさだった。

「店長……優しすぎます」
「雀は頑張り屋だから、甘やかしたくなるのよ」

 抱き締めてくれる腕に、店長に、頼りたくて。
 彼女の腰に腕を回すと、わしゃわしゃと髪をかき回された。
 さっきセットしたばっかなんだけど、この際いいか。

 店長はゆっくりと体を離した。

「それで、何を悩んでるの?」
「……彼氏持ちかもしれないんです」

 店長は頭の回転が速い。

「かも、ってどういう事?」



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 車で店へ向かう間に、私は一から全部を店長に話した。
 ギシアンが聞こえていた、とか他人に話をするのはちょっとどうなんだ? という内容だったけれども、まぁ、そこを話さないと説明が付けられないし、もともと店長はエロい事すぐ言うからいいかなーって感じで、最初から最後までを全部、話した。

「なるほどねぇ」

 すべて納得、満足。というようにハンドル片手に、タバコをふかす店長。
 この人も、まーさんと同じように美味そうに紫煙を吸う。

「雀は、自分が横恋慕する事が許せないけど、金本さんは好き、と」
「はい……」
「まず彼女に相手がいるかハッキリさせなきゃ進めないわね」
「ですよね……」

 しかしその方法がわからない。

 そう言うと、店長は呆れたように私に目を向けた。

 いやいやいや前! 前みて運転してくださいっ!!

「店、連れて来なさい」

 アタシに任せればちょちょいのちょいよ、と店長は不敵に笑った。

「何嫌そうな顔してるのよ。すーちゃん、自分でなんとか出来そうなの?」

 ……出来ないから燻ってたんですけど。

「だったら文句言わずに連れてくるのね」

 ハイ、と言うしかなかった。



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