隣恋 第8話 ピンポン、とチャイムが鳴った

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 ピンポン、とチャイムが鳴った金曜の晩。

 珍しくバイトが入ってなかったので、部屋でまったりゲームをしていたのを中断し、インターホンの所へ。
 ちなみに、映像が出るやつ。
 これで、1階に居る来訪者を確認して、入ってもいいなら1階のセキュリティドアのロックを解除し、自宅階まで来てもらう寸法だ。
 マンションの鍵を持つ人は、鍵を差し込んで暗証番号を打ち込むとセキュリティドアのロックが外れる。

 つまり、鍵を持つ人か、マンション住人の許可取得者しか、このマンションには入って来られない。
 やっぱりこの危ないご時世、一人暮らしするならちゃんとしたとこに住まないと、と家族には言われたし、自分でもそう思う。

「やほー。すずちゃん、入れてー」

 インターホンのTVモニターに映ったのは、まーさんだった。
 一度一緒に飲んだだけなのに、ものすごく親しげに話し掛けてくる。まーさんは酔っていなくても、めっちゃフレンドリーな人らしい。

「え? なんでうちのピンポン押すんです? 隣でしょ隣」
「いや、呼ばれて来たんだけど、居ないのよ愛羽。だから開けてー」
「は、はぁ。どうぞ」

 セキュリティドアの開錠ボタンを押し、待つ事1分ほど。
 やはりうちのインターホンが鳴った。今度は、玄関のとこのブザー音。

 まぁ、金本さんが居ないのにマンションに入りたがるってことは、うちに来る流れなんだろうとは思ったけど、マジでフレンドリー極まりないな、この人。
 そんな事を思いながら玄関を開けると、先日同様スーツ姿のまーさんがそこに居た。

「や~、ごめんね、突然。暇してたら相手して?」
「どうぞ」

 にこにこしながらやってきたまーさんを、苦笑しながら招きいれた。



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「おっじゃまっしまーす」

 間取りが逆向きとはいえ、金本さんの家で慣れているのか、それとも持ち前のフレンドリーさが活きているからか、まーさんは意気揚々とリビングに入っていく。

「麦茶か、コーヒーありますけど」
「じゃ麦茶で」
「適当に座っててください。あ、くれぐれもコントローラーに触れないように」

 言っておかないとあちこちいじりそうなまーさんに、ソファに転がしているゲームのコントローラーを指差して注意した。
 何を隠そう私はゲーム好き。休みの日に何をしてる? とか趣味は? とか聞かれたら必ずゲームと答えるくらいにゲームは好きだ。そういう人間は、勝手にゲーム関連の物をいじられると凄く嫌なんだ、ってことを、一般人はあまり理解してくれない。「えーちょっとやりたーい」とか言ってコントローラーをいじってキャラのHPが0にでもなって、その前にセーブがしてなければ私は怒る自信がある。

 だからきちんと注意をしてから麦茶を用意して、まーさんの元へ戻ると、彼女はゲームの説明書を真剣な顔で捲っていた。
 最初の、操作方法のあたりを飛ばしている様子は、読み馴れている。
 っていうことは……。

「まーさん、もしかしてゲーマーですか?」
「ん? うん」

 説明書から顔をあげないまま、あっさり頷く彼女。
 容姿からしても、社会人という年齢からしても、その事実はにわかには信じがたい。

「意外っす」
「ははは、よく言われる。合コン女だと思われてるから」
「でも合コン行くのは本当でしょ?」
「え、なんで知ってるの?」

 説明書からやっと顔を上げたまーさんは、「あたしこないだ言ったかな?」と首を捻っている。
 流石にどれほどフレンドリーな彼女でも、初対面の私に「合コンめっちゃいくのよ」と教えてくれたりはしていない。
 あのテーブルの片付け方を見て、私が勝手に読み抜いただけだ。

 だから私は首を横に振って、彼女に麦茶を勧めた。

「なんとなく、分かります」
「ほーん? なんとなくか」

 ま、いっか。と云いたげに一口麦茶を飲んだまーさんは、ゲームが映し出されているテレビを指差した。

「ね、これやって」

 これ、とはゲームの続きか。

「あたしこれ買おうか迷ってて。面白そうなら買う」
「そうなんですか。私は世界感が好きっすよ。合成とかも結構できるし」

 コントローラーを手に取りながら、説明書の合成のページを見せてあげると、まーさんが歓声をあげた。

 あれ? ……そういえば、まーさんって金本さん家に来たんじゃなかったっけ?



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 私が招いたわけではないが、一応人が家に来ているのにゲームをするのはどうなんだろう。でも、まーさんがこれをやってくれと言ったんだし。
 そんな言い訳を胸中で零した私は、ゲームを再開しながら、まーさんに問いかけた。

「金本さんに、メールとかしなくていいんですか?」
「んー? 一応しとこうか」

 おいおい一応って。
 金本さんに会いに来たんでしょうが。

「また家飲みですか?」
「いや、今回はよくわかんない。こないだは、相談があるとか言って呼ばれたんだけどー、今回は何も聞いてないのよね。で、来たらいないとか、どうよ?」

 困ったように笑うまーさん。
 なんだか二人の仲は相当いいみたいだ。

 ……うらやましがったら駄目なんだけど、……こないだの差し入れでかなり恋心が復活しつつある。

 勉強机の上。端っこにある、捨てるに捨てられなかった飲み終えた店長ドリンクの瓶と白い紙を眺めながら言う。

「ちょっと買出しに行ってるのかもしれないっすよ」
「そうかもねぇ。あ、そのキャラ可愛い!」

 携帯電話片手に、まーさんは目を輝かせた。



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 しばらくゲームをしていたら、まーさんの携帯電話が震えた。
 慣れた操作の様子を見る限り、どうやらメールが来たみたいだ。

 まーさんは内容を一読してから、私の方へ顔を向ける。

「あー。愛羽ね、ご飯買ってきてくれてるみたい。すずちゃんも一緒に食べるかって聞いてるけど、どうする?」

 え。

 ……えええ……。

 そんな魅力的なお誘いは受けたいけど……、駄目、だよなぁ。

「今日は、遠慮しときます」
「そう?」
「はい」

 小さく頷きメールの返信を終え、まーさんは携帯電話を膝元に放り出した。

「やきもちか」
「へ?」

 脈絡のないセリフに首を傾げると、彼女が首を振る。

「なーんでもないよーぅ」
「うわっ」

 急に横から抱きつかれて、コントローラーが手から転げ落ちる。

「ちょ、もう、戦闘中!」
「あごめん」
「おおおラークが死ぬ死ぬっ」
「キュア、キュア!」

 急げいそげっ、とまーさんが応援してくれた甲斐あって、ラークはHP2で戦闘終了。一命をとりとめた。



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 滅多に鳴る事がない我が家の来客を知らせるブザーが、1日に2回も鳴った。

「お、愛羽かな?」
「ですかね」

 まーさんと顔を見合わせてから、ゲームを中断し私は玄関へ急ぐ。
 お待たせしては申し訳ない。

「こんばんは」

 扉を開けるとそこにはやはり、金本さんが居た。
 スーツ姿で、…………可愛い。

「こんばんは。まーさん、お待ちかねですよ」
「ほんとよー。呼び出しといて居ないなんてどういう了見だぁ」

 奥から鞄を持ってのっこのっことゆったりした足取りでやってきたまーさんが、別に本心では怒ってもないだろうにちょっと怒ったような顔をして見せている。

「ごめんって、ちょっと事情があったの。今度埋め合わせするから。あ、で、コレ」
「へ?」

 私の肩越しにまーさんに謝っていた金本さんから手渡されたのは、小さな箱。
 月見だんご、と筆で書かれている。

「まーのお守りのお礼。ちょうど、十五夜だから」
「え、そんな気を使ってもらわなくても」
「いーから。ぁ、えっと……迷惑?」

 困ったような表情で、小首を傾げられては堪らない。
 ほんと、なんでこうすぐ可愛い仕草で、私の恋心をくすぐるんだこの隣人は!

「迷惑なんて、とんでもないっす!」
「よかった。じゃ、もらって」
「そーそ。もらえるもんはもらっときなさい。すずちゃん」

 まーさんの後押しもあって、私は頂いた箱を持ち直すとペコと頭を下げた。

「じゃあ、お言葉に甘えます。ありがとうございます」
「いいえ。じゃ、まー、行くよ」
「ほいほい。すずちゃん、色々ありがとねーお邪魔しました。あたしアレ買うわ」

 ウィンクを飛ばしながら、まーさんが金本さん宅へ入っていった。
 アレとは、ゲームのことか。
 どうやらプレイの様子を見て、あのゲームが気に入ったらしい。

 見送りを終え、玄関の扉を閉じようとしたら、再びひょこっと、まーさんが出現。

「また遊びに来ていい?」
「じゃあ手土産持参で」
「おっけー」

 まーさんがひらりと手を振って、パタンと、ドアが閉まる。

 あ…………。手土産……冗談だったのに。



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 それから夕食にパスタを作って、独り飯。
 やっぱり一人暮らしを始めた頃は寂しいと思ったけど、慣れてしまえばなんの事はない。
 好きな時間に、好きな物を食べられる。メリットだらけだ。

 と思いきや、隣から楽しそうな笑い声が微かに聞こえてくれば、少しは寂しさが滲んでしまう。

「お誘い、断らないほうがよかったかなぁ……」

 頂いた月見だんごの箱に、話しかけて、いやいやだめだめと首を振る。

 物に話かけるのも、重症だけど。
 玄関で即行ときめいてしまったんだから、あれ以上長く一緒に居たら、金本さんをもっと好きになってしまう。
 禁・横恋慕。

 気を紛らわせるためにも、私は再びコントローラーを握った。



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 夕食から2時間ほど経つと、小腹が空く。
 そして丁度いいように、目の前には月見だんご。

 空には、十五夜の月がぽっかり。

「これは、お月見しないわけにはいかんでしょう」

 てことで、だんごには、抹茶かな。
 棚からインスタントの抹茶オレを取り出し、お湯と共にカップに注ぐ。 
 そして、だんごと、抹茶オレを持ってベランダに出て、折りたたみイスに腰かけた私は、室外機の上に置いた月見だんごの箱に両手を合わせた。

「いただきます」

 包みを開けば、白くて丸いだんごがお目見え。
 口に放り込んで、月を見上げれば、今夜は一段といい輝きをしている。流石十五夜だ。

「んまい」

 口元が自然とゆるむ。
 うまい。
 さすが金本さん、美味いです。ありがとう。

 抹茶オレを啜っていると、サッと隣のベランダのドアが開いて、驚いた私はカップを取り落としそうになった。



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「ぁっつ」

 ぐらりと揺れたカップから指に伝った抹茶オレはなかなかに熱かった。
 そりゃあまぁさっき沸かしたてのお湯で作ったんだから熱いに決まっている。ぴっぴと手を振って飛ばし、指をなめる。

「おおーすずちゃん。今日はよく会うねぇ」

 すぐに私に気付いたまーさんが、こっちのベランダに来る。
 その手にはタバコとライターが握られていて、目を瞬かせた。

「吸われるんですか」
「ん? うん。あ、タバコ苦手?」
「いえ全然」

 バイト先では、成人を迎えたスタッフも、お客さんも皆吸っている。
 でも私は吸ったことがない。

 未成年っていうのもあるけど、煙がおいしいというのには、なかなか理解を示せないのだ。

「じゃあ遠慮なく」

 まーさんは安心したように一本咥えると、その先端を手で囲って火をつけた。
 深く吸い込み、深く吐く。
 さも美味そうに紫煙を吐く様が、画になっている。

「なんか、大人の魅力っすね」

 煙がうまいのは不思議で仕方ないが、その吸う様は私にとって憧れの対象だった。



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 ベランダの手すりに肘をかけたまーさんが、座ったままの私をびっくりしたように見下ろしてくる。
 なんだ? 褒めたのが、そんなに驚く事か?

「え、なに? 口説いてる?」
「まさか」

 それは有り得ん。
 失礼ながら、鼻で笑いながら否定してしまったぞ。

「なによその即答。あたしはそんなに魅力ないって言いたいのっ!?」

 私を半眼でにらんだ挙句、まーさんはなにやら芝居がかった口調でくさいセリフを吐く。

 ……。
 ……。
 えーと。

 生憎、今はまったりしたい気分なので。

「酔ってます?」

 まーさんの冗談を、流し気味にしてみた。

「だはっ。ちょっともー、ノッてきなさいよ」

 カモン! みたいな仕草されても。

「今は静かにお月見なんです」
「お月見ねー? ま、確かに綺麗」

 空を見上げ、まーさんはタバコをふかし、私は時折、カップに口をつける。
 ゆるゆると時間が流れていった。



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 そういえば。

「今日のお呼び出しは、また相談とかだったんですか?」

 あまりに会話がなさすぎて、苦しくなってきたので。
 何の気なしに聞いてみた。

「ああ、相談っていうかねぇ…愚痴? 悶々としてるわ」

 なにを思い出したのか、くすくすと笑っている。
 ひとの愚痴を笑っているけど、ばかにしてるとかそんなんじゃない。強いて言うなら、仕方ない子ね、とお姉さんが妹を呆れながらも見守る様子に似ていた。

 まぁ、愚痴なんてものは、本人にとっては重大だが、他人からすれば笑い飛ばせてしまえるものなのかもしれない。

「愚痴の原因、はやく解決するといいですね」

 ストレスは溜めてもなんにもならない。

 まーさんは、そうね、とタバコを吸った。
 その横顔はどことなく何かを含んでいて、私は首を傾げる。

「愛羽が暗いとおもしろいのよ。ちょっと怖いけど」
「そうなんですか?」
「うん、いつもと別人みたいになるから。……ね、ね、ソレちょーだい」

 あーん。と自分で言いながらまーさんがこっちに顔を向けて、口を開いた。
 このひと、一体何歳なんだ?
 迷いもなくそんなふうに他人に大口を開けてみせるとか、すごいな。

「自分で食べてください」
「えー。あたしタバコより重いもの持てないの」

 またそんな事を平気で言う。

「じゃあまーさん家のコントローラーは相当軽いんですね」

 呆れながらも、爪楊枝に刺して、その口に月見だんごを入れてあげる。

「おいひー」

 もっくもっくと咀嚼しながら美味そうに目を細める彼女。
 そうだろうそうだろう。金本さんが選んで買ってきてくれた物なんだから美味いはずだよ。と私がちょっと内心自慢げにしていると、

「真紀、お風呂」

 にこにこしていたまーさんの笑顔が、微妙に、固まった。



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「空いたわよ」

 どうやら、まーさんがタバコを吸いに来たのは、金本さんがシャワータイムで暇になったからのようだ。
 でも……? 金本さんの声を聞いた瞬間から……なんか、まーさんの表情が固くなった気がするんだけど。

 ドアの所から顔を覗かせている金本さんとまーさんを見比べていると、まーさんは私に向けて合掌した。

「すずちゃん、ごち」
「ぇ、あ、はい」

 そして金本さんの部屋に飛び込むと、なぜだか金本さんをベランダに無理矢理押し出した。

「じゃ、愛羽、晩酌バトンタッチ」

 え。

 ええええ!?

 ちょ! ちょっと待てまーさん!? なにやらかしてくれてんの!?
 嬉しいけどいいって! なんの為にご飯のお誘いを断ったと思ってるんだ!?

 まーさんが夕食を断った理由を知るはずもないのにそんな事を脳内でぶちまけながらも、私は座っていた椅子の上でなんとなく姿勢を正した。

「ちょっとまー……っ」

 押し出された金本さんも少し戸惑った様子で振り返るけれど、目の前でドアをピシャンと閉められて、「……もう」と零している。
 鍵までは閉めてないだろうけれど、……多分これは、この流れはきっと金本さんとお話をしないとダメな感じだ。

 私はもう、乾いた笑いをするしかなかった。



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 金本さんはこちらのベランダへ、おじゃましまーす、と言いながら入ってきて、困ったように笑った。

「ごめんね、迷惑な人で」
「いやそんなとんでもない。一緒に居ても楽しいし、意外な面もあるし。趣味も合うんですよ」

 手をふりふり、首をふりふり、全く迷惑じゃないですとアピールしておく。
 一緒に居ても別に苦じゃないし、金本さんにまた気を遣わせてしまったら大変だ。
 だから私は至って真面目に、迷惑ではないことをアピールしておいた。

「ふーん。そっか」
「ええ。あ、このだんご、おいしいです。ありがとうございました」
「うん」

 ……。

 会話終了。

 ええと。

 えーと。

 ―― くそ、なんで二人っきりなんかにするんだよまーさん!

 心の中で恨みを叫んでも、お風呂に行ったであろうまーさんがすぐ姿を現してくれる訳でもなく、二人も人間がいるのにベランダはとんでもなく、静かだった。



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 話題。
 なにか話題を……。と思うものの、金本さんはまーさんに愚痴を聞いてもらうくらいに何か溜まっている。それが何かも知らない私には、どの話題がタブーであるとか分からない。

 しかも、二人きりという状況に緊張して物が上手く考えられない。

 金本さんは元気がないのか、前会った時よりずっと口数少ないし!

「……」
「……」

 ――ど、どう、どうすれば……?

 悩み、焦る手のひらにじんわり汗をかく。
 頭をがりがり掻いた後、折りたたみ椅子から立ち上がって金本さんの隣に並んで、夜景を見下ろす。

 
 チラッとだけ窺った顔はなんだか暗い表情……。

 私は意を決して、玉砕覚悟で、言ってみた。

「えっと……元気、ですか?」



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「え?」

 驚いた顔で、金本さんが私を見上げる。
 なんで? って表情。

「い、いや、まーさんがなんかその、元気無いみたいなことを言ってたもので、あの、聞いてみました……」

 金本さんの目を見ていられなくて、広がる街並みに視線を移す。
 それでも落ち着かない私はかゆくもないけど、鼻をこする。

「聞いて、どうするの?」
「え、え?」

 どうするってそんな……。
 後のことまで考えて発言してないっすよ!?

「えーと……」
「わたしが元気じゃないよって言ったら?」
「い、言ったら、それは……」

 こないだみたいに抱きしめるなんて論外だ。
 イヤ気持ち的に抱きしめたいのは山々だけど。……ってナニ考えてるんだ私!

「ええと……」

 えっと……、どうしよう。

 ヤバイ。パニック起こしそうってかもうパニクってるけどっ。
 ど、どうしよう。
 どうしようどうしよう。

 そんな私を横目で見ていた金本さんが、ふっと吹き出した。
 そして、ベランダの手すりに乗せていた手を軽く持ち上げて、ひらと左右に振る。

「ごめん。ちょっと意地悪した。いーよ、何もしてくれなくて。大丈夫」



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 大丈夫。

 そう言う金本さんの言葉に、ひどく、違和感を覚えた。
 大丈夫には聞こえなかった。

「本当、ですか」
「疑うの?」

 目を細めて、金本さんが私を眺めた。
 顎をすこしだけ上げて、どこか挑戦的な視線をこちらへ向けてくる。

 それが虚勢なのか、はたまた、生意気な奴と思われているだけなのか。後者ならば私は自重すべきなんだろうけど……。
 彼女の目をちゃんと見て、なんとか、口を開く。

「む、無理してる気が……するんで」

 どこがどう、なんて説明できないけど。
 まーさんみたいにあなたと付き合いがある訳じゃないけど。

 言うなれば、直感。
 金本さんは今「大丈夫」と口で言っても、”大丈夫”ではない。
 そう思ったんだ。



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 少しの間、そのまま見つめ合っていると、先に視線を外したのは彼女の方だった。

「無理、ね。……そうかも。わたしのことなのに、よく分かるのね?」
「すみません、生意気言って」

 頭を下げると、挑戦的な姿勢を無くして柔らかく微笑む彼女が首を振ってくれる。

「ちがうの、雀ちゃんが謝ることじゃないから」

 関係ない、と、暗に言われたような気がして、瞬間的にちょっとへこむ。
 でも確かに、ただの隣の住人が、彼女の抱える問題をどうこうしてあげられる立場にないのも、理解は出来る。
 何かを出来る立場じゃない。

 そう自負する私に、

「……ねぇ?」

 金本さんは、少し迷う様子を見せて、言った。

「……元気でるまで傍にいてくれる?」

 それは私がこの間、言ったセリフで。
 果たして、言葉に有効期限があるのかないのか。

 ちなみに、私の言葉にはそんな野暮なものはなくて。

 ついでに、金本さんの可愛らしさの前では、自制心までもが無くなってしまった。

「私でよければ、いつまででも」

 と、後で絶対後悔しそうなセリフが口から滑り出た。



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「やさしーんだから」

 おどけた口調で言い、肘でつついてくる金本さんに、やはりときめいてしまう。
 それだけ近い距離に立っているということも、彼女の方から触れてきてくれる関係にいるということも。
 なにをとっても、金本さんが絡んでいるだけで、どうしようもなく、ときめいてしまう。

「そんなことないっす」

 緩んでしまいそうな口元に力を入れて、これ以上浮かれて、妙なことを口走らないよう押し黙る。
 けれど、金本さんは私の心境なんて知らない訳で、ぽつぽつと話を始めた。

「ねぇ。無理しないには、どうすればいいと思う?」
「……。無理、しないには?」

 金本さんが頷く。

 う、うーん。そうだなぁ。

「肩の力を抜くとか……なにか我慢してるんなら、出来る範囲で自分のやりたいようにやってみるとか……ですか、ね?」

 金本さんの状況も悩みも分からないので、なんとも抽象的な答えになってしまう。



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 私の抽象的アドバイスを聞いて、ふーん。と返事をしたあと、金本さんは溜め息をついた。

 あぅ……役に立たないアドバイスですみません……。

 力不足やら不甲斐なさで、うなだれる。
 だってそりゃそうだよな。社会人のOLさんより、人生経験の少ない大学生が為になるアドバイスなんて、あげられる訳ないもん。
 なんていうか、いらないアドバイスを彼女へしてしまったと思う。思わず溜め息が出るくらい、役に立たないアドバイスを。

「……」

 こういうときに、あの彼氏さんならもっといいアドバイスができるんだろうなんて、思ってしまう。
 社会人として働いてて、週に一回しかない休みを彼女と共に過ごす優しい人なら……。
 もっと頼れて、すぐ、金本さんを元気にしてあげられるんだろう。

 
 私は手すりに組んだ腕を乗せて、突っ伏すようにその腕に額を押し当てた。
 ……ああぁ……何。なんで泣きそうなんだ自分。金本さんの前で。馬鹿か?

 なに勝手に例の彼氏さんと自分を比べて、何も出来なくて何もかも足りない無力さを改めて自覚してんだよ。
 なんにもできない人間ってのは元々、知ってた事じゃないか。
 いまさらなんだよ。そんなのでへこむとか、馬鹿だろ?



◇◇◇◇ ◇◇◇◇ ◇◇◇◇


 
「肩の力を抜く……ねぇ」

 金本さんがぼそっと言った後、私の体に異変が。

 肩が……重い。

「……」

 いや。

 いや違う。

 力を抜くは抜くんだが、違う。

 肩に!
 私に、私の肩に寄りかかってくるんじゃない!

 ましてやちょっと頭を預けるなんてすんなーーー!!

 ときめきMAXじゃないかぁぁああぁぁぁっ!!



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「したい事してみたら、いい?」
「わ、わか、りません……」

 肩に乗る、彼女の温もり。

 顔が、上げられない。
 めちゃくちゃ、どもってる。

 心臓がうるさい。

「雀ちゃんが言ったのに?」
「いや、あの、と、時と場合を、考慮して……」
「難しいこと言うなぁ。じゃあ、今は?」
「え?」
「やりたいこと、やってみていい?」

 なっ……!?

 ななななななんなになにをぉ!?

 『ヤりたいこと、ヤッてみていい?』

 そう脳内変換された金本さんのセリフに、私は頭を跳ね上げた。



◇◇◇◇ ◇◇◇◇ ◇◇◇◇



「わぁ!? な、なに!?」

 ガバッと体ごと起こしたせいで、私に寄りかかっていた金本さんを弾き飛ばしてしまった。

 慌てて謝る。

「ごごめんなさいっ、い、いやその! え、ええと、何言われるのかと……」

 肩や腕に残る温もり。
 未だに激しい動悸。

「そんな大それたお願いしないわよ。アレ、わたしもほしいなって思っただけ」

 アレ、という彼女の視線を追うと、椅子に置かれたままの月見だんご。

 あ。

 だんご、だんごですか。
 アハハハハハハハ……ハァ……自分何考えてんだ……?

「くれる?」
「いくらでも」

 箱を取り上げると、金本さんがあーんと言いながら口を開いた。

 待ってる。私を。

 ってイヤ! 違う! だんごを、だ!
 勘違い野郎か自分。

 でも金本さん……。

 か。

 可愛い。

 いかん。ときめくな自分がんばれ自分まけるな自分。
 慌てて自分を叱咤。
 そしてまーさんの時よりも丁寧に、だんごを口に入れてあげると、満面の笑顔。

 ――う、まぶしい……!

 和菓子が好きな人だったんだろうか?
 彼女はやけに美味しそうに咀嚼を済ませると、こくんと飲み干した。

「ありがと。そろそろ、まーもお風呂あがるかもだし、部屋戻るね」
「あ、はい。おやすみなさい」
「おやすみ」

 さっきとは打って変わって、にこにこ笑顔で手を振る金本さんが彼女の自宅へ引っ込み、部屋の扉が閉まる。

「……」

 残された私はちょっと鼻をかいて、月見だんごの箱とカップを片付け始めた。と言っても、手に持つだけなんだが。
 どことなく、胸の所がふわふわしている。
 落ち着かない。全然、落ち着けない。
 意味もなく、何も口の中にないのに、ごくんと唾を飲んだりしてしまう。

 が、突然。

「ぅわひょあああ!?」

 と、奇怪な悲鳴が聞こえた。
 声がしたのは、隣の部屋だ。
 たぶん、まーさんの声。

 気になったけど、まーさんの声だったから、いっか。と随分とひどい考えを抱いた私は、部屋に戻る。
 焼き付いたように離れてくれない金本さんの可愛い笑顔を何度も思い返しながら。



◇◇◇◇ ◇◇◇◇ ◇◇◇◇

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