隣恋 第6話 あれから3週間

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 あれから3週間ほど経ったある日。バイトから帰って時計を見ると、22時前だった。
 私の努力の甲斐もあって、あれから金本さんと顔を合わせてない。
 正直、会って楽しく話をしたいけど、我慢だ、我慢。

 ちなみに、愛さんと呼ぶのも止めた。
 そもそも彼女と顔を合わせていないので名前を呼ぶ機会などない。
 だからなんの問題もないのだ。

 うん。これでいい。
 禁・横恋慕、なのだから。
 このまま忘れよう。

「腹へったー」

 言いながら、コンビ二で買った弁当とビールをテーブルに置き、ソファにどっかと腰掛ける。生憎、瓶ビールがなかったので、缶ビール。
 しかし、未成年にホイホイ酒の購入を許す日本のコンビニはいったいどうなっとるのか。
 ま、ありがたいからいーけど。

 さすがに、オープンから夜の時間までのバイトは辛い。8時間労働を優に超えてる。
 箸を口に運ぶ腕がだるいし、それ以上に立ち仕事だから足も怠い。
 まぁでも怠くとも、空腹を満たす為の箸は止まらない。私は5分とかからず弁当を食べ終えると、満足の息を鼻から吐きつつ、ビールのプルタブに指を掛けた。

 小気味よい音で空いたそれを、3口分ほど飲み干せば「っ、あーーー。うまい」と心からの感想が口から零れ落ちる。
 やはり、労働時間が長ければ長いほど、一日の終わりに飲むビールは美味くなる。

「美味いなぁ」

 溜め息と共にまた零した私は、ちらとベランダへと視線を向けた。

 今夜はよく晴れていて月が綺麗そうだ。帰ってくる道中も、夜道は明るかった気がする。満月だろうか?

「……」

 ――……ちょっと、くらい…………いい……よね?

 今日はバイト頑張ったし、久々の月見酒。
 自分に対するご褒美も、たまにはあげないと!

 そうやって自分に言い訳をしてカーテンをシャッと開き、ベランダのドアも開け放つ。

「ほら開いたって絶対帰ってる!」

 やたら大声が隣から聞こえたと思った次の瞬間、うちのベランダに人影が出現した。

 ―― で……でかい。



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 声もでかいが、背もでかい。
 そんな第一印象の女性が、缶ビール片手の私を見下ろしている。

「ぇ………………?」

 誰コレ何これこの状況。
 知らない人が私の部屋のベランダに居るんですけど。たぶんこの人酔っ払ってるっぽいんですけど。私は悲鳴でもあげるべきか?

 思わず口から零れた「ぇ」から、3度ほど瞬きをし終えた頃、

「こんばんは!」

 とめっちゃ通る声で挨拶をされた。

「ぇ、あ、こ、こんばんは……?」

 挨拶されたので、返事はした。
 すると、でかい女性はズカズカ人の家のベランダの中まで入り込んできて、私の腕を掴んだ。

「こっちで一緒に飲もう!」

 私の飲みかけのビールと、私を持って、でかい女性は隣の部屋に。
 つまり金本さんの部屋に戻った。



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 え、え、え……ちょ……え!? と思っている間に、私はでかい女性によって、ベランダの仕切りに開いた穴を通り、隣の家のベランダを通り、そして、金本さんの家に足を踏み入れていた。

 まぁ考えてみれば、6階にある自宅ベランダに突然人が出現したと言えども、出現したのは右の方向からだったし、そこには修繕もせず放置していた通路があるんだし、そっちから来たんだろうなと分かるようなものだ。
 突然の展開過ぎて、そこまで考えが至らなかっただけで、このでかい女性は、金本さんのお友達な訳だ。

「まー?」

 まー? なんだ? もしかして、このでかい女性の名前か? いや、名前っていうよりは、あだ名みたいな物だろう。
 聞き覚えのある声が、更に続く。

「なに騒いで……って雀ちゃん!?」

 キッチンからやってきた金本さんは、黒いエプロンをつけている。
 手には焼き鳥が。

 か。

 可愛い…………。

 予想としては、白いふりふりエプロンをつけてそうだったけど。
 でもまぁシックな格好もまたいいなぁ。
 と、金本さんのレアな姿を見れた事に喜ぶ一方で、私は、ちょっと、泣きそうだった。

 努力の3週間が水の泡。
 ときめいてる場合じゃないだろ自分。 

 あああもうサイアクだ。

 禁・横恋慕とか言っといて、会った途端にときめくとか、駄目駄目じゃん。もう呆れる。自分駄目すぎる。



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 そんな心境で居ることを、この場に居る年上二人は知るはずもない。
 そのうちの一人。でかい女性は、私が握っている缶を、私の口元へ近付けながら、やはりでかい声で言う。

「飲め飲め! 独り酒より美味いよ」
「ぅわ、ちょ」

 ま、待て待て待ってくれ。ビール零れるから!
 ぐいぐい来る彼女になんとか抵抗していると、焼き鳥の皿をテーブルに置いた金本さんが「まー!」と窘めるような声音で言った。
 やっぱり、その「まー」というのは、このでかい女性のあだ名のようだ。
 女性の動きが、大人しくなった。

 ほっとしながら、でかい女性の手から缶を遠ざけるように反対の手に持ち替える。あんまりまだ飲んでないから、揺らすとすぐに零れて、金本さん家の床を汚してしまう。それは良くない。 

「ごめんね雀ちゃん。このひと、お酒が入ると見境なくなって……ってこらまー!」
「飲めー!」

 眉尻を下げ、申し訳なさそうにしながら私に近付いてきた金本さんの台詞の最中にも関わらず、でかい女性は片腕をぐいと私の首へ回し、引っ張ってきた。
 どうやら私をここに座らせたいらしい。
 つ、つーか、この人、力強いな……っ。

 これは駄目だ、無駄に抵抗すると、この酔っ払いは余計ヒートアップするタイプだ。

「わ、わかりましたから」
「分かったなら飲む!」

 私は崩れるようにその場に座ってビールを一口飲む。こういう酔っ払いは言う事をとりあえず聞いてあげると大人しくなるものだ。
 ほら、デカイ女性はへにゃっと笑ってる。
 私のバイト先にはいろんな酔っ払いが来るけれど、酔っ払いって、こういう所がかわいいというか、おもしろい。



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 しきりに謝る金本さんが「まー」という人物を叱っても、彼女はへこたれずに私に絡み続けた。
 だから帰るタイミングを逸して、それからなんだかんだ、1時間ほど金本さんと、「まー」さん……本名を森 真紀さんと楽しんでしまった。

 まーさんは最初こそ強引だったものの、話をしてみれば面白い人だった。しかも、それでいて、さり気なくテーブルの上を片付けるテクを持っていて、なかなかに場慣れしてそうな人物だった。

 しかし私は、この1時間のうち、金本さんにときめいた回数、6回。単純計算10分に1ときめき。

 ぬおぉぉぉぉぉおお!

 なにやってんだ自分!!

 禁・横恋慕!!

 なんかここまでくると、自分が禁・横恋慕しようという意志がないのかと疑わしくなってくる。

 いかん。

 いかんぜよー。
 マジで駄目だって、自分。

「そろそろ、おいとましますね」

 どうだ。ちゃんと禁・横恋慕意志はあるだろう!

 誰にともなくいばってみた……けどもう6回はときめいてるから遅いって……。



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 飲み潰れたまーさんが、私に寄りかかっていたので、少し揺すって起こす。
 この家に泊まるのか、これから自宅へ帰るのか知らないけど、とりあえず、起きてくれ。

「んー……? もう帰るのすずちゃん」
「今日はバイトで疲れたんですよ。それに、急にお邪魔してしまったのであんま長いこと居るのも申し訳ないっすもん」
「えええー……? かーえーるーのー?」

 立ち上がろうとすると、腰にしがみついてくるまーさん。
 ホント酒癖わるいなぁ。おもしろいからいいけど。

 私の事を妙に気に入ったのか、しなだれかかってくる彼女の手が不意に、ベルトに引っ掛けられた。

「っちょ! もうズボン下ろそうとするなっ。まーさん! こら!」
「だって帰るとか言うんだもん」
「だもんじゃなくて!」

 ああぁもうやめろって! バックルに手を掛けてくるまーさんと攻防戦を繰り広げつつ言い争っていると、横からまーさんの額に金本さんの指が押し当てられた。

「真紀」

 びし、というかバシ、という音と共に、金本さんのでこピンが炸裂して、まーさんは額を押さえてうずくまる。

 うぐうぐ言っているところを見ると、相当痛そうだ。

「ほら雀ちゃん、今のうち」
「あ、あー……じゃ、お先に……」

 痛めつけられたまーさんが気にならない訳じゃなかったけど、これ以上いると色々大変なので、持ってきた缶ビールの空を持ってベランダに向かう。

「片付けとか、いいですか」
「いいの、大丈夫。あ、ねぇ?」

 ベランダまで出て見送りに来てくれた金本さんに、呼び止められた。



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「最初、まーに連れて来られた時、元気なく見えたんだけど、平気?」

 ひやり、とした。
 禁・横恋慕計画がオジャンになったので凹んだのは確かだ。

 自分の意志の弱さに胸が痛んだのも、確か。

 そんな私に、金本さんは追い討ちをかける。

「というより……泣きそうな顔だったから、心配」

 まさか、顔に出てたなんて。
 それを、見られていただなんて。

「なにか辛いことあった?」

 私が顔を隠そうとして俯いても、立った状態で金本さんが近づくと、身長差の関係で思うように顔を隠せない。
 だから、顔を上げたままで、それに笑顔を貼り付けて、私は首を横に振った。

「辛くないっすよ。バイト疲れただけで」

 あ、まずい。
 ちょっと声がふるえたかもしれない。

「……そう?」
「そっす」
「……そっか」

 金本さんは、何か思うところがあったのかもしれない。
 でも、彼女は手を伸ばして私の頭をぽんぽんぽんと、3回軽く叩いた。

「なら、よし」

 そうは言っても本当は、何か言いたげだった。
 でも追及しないで、彼女はドアに手をかけ、部屋に戻る前にこっちを見て微笑んで言ってくれた。

「おやすみ。しっかり寝なさい」

 気付いても、何もしない。
 それは金本さんなりの優しさなのかもしれない。

 追及されなかったことを安堵しつつ、でも、ちょっとだけさみしくて。
 でも、寂しがる自分を叱咤して、私は自宅に戻って、閉めたドアの内側で、空の缶を頭に押し付けた。

 ペキ、と音を立ててへこむ缶は、随分前に、飲み終わって空だ。

 私の心も、空になれば、どんなに楽か。
 液体みたいに、逆さまにすれば排水溝へ流れていけばいいのに。

 溜め息は少し震えていて、情けなかった。



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