隣恋 第4話 ゴミ袋片手に

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 ゴミ袋片手に、私は溜め息をついた。

 ちなみに今はエレベータが来るのを待っている。
 6階からいちいち階段で降りるのは疲れる。朝っぱらからそんな重労働はしたくない。

 1階から上がってくるエレベータ。
 光る階数を目で追いながら、私はもう1回溜め息をついてみた。

 やばい。

 ほんっと、やばい。

 数日前のアノ夜に、私は隣人さんこと金本さんに本格的に恋をしてしまったみたいだった。

 それまでは、毎週火曜日にギシアン聞いて、抱いてみたいなぁとは思っていたものの、彼女にしたいとまでは考えていなかった。

 でも。

 それが今となっては。

 ゴミを出しに行くだけなのに、隣を意識しすぎて大学へ行く格好をしてしまった。
 今日は受講授業がないから、1日家に居る予定なのに。

「なにしてんだか……」

 誰もいないエレベーターホールで、私はもう一つ、溜め息をついた。



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 チン、と到着を知らせるベルが鳴り、エレベータが口を開ける。
 中には人が一人。その人物の顔を見た瞬間、私はゴミ袋を落としそうになった。

「あ、おはよう」
「おは、よございます」

 なぜ居る金本さん!!

 びっくりしたじゃないか!

 どきってしたじゃないか!

 急に出現して、可愛い笑顔で挨拶なんかされたら吐血するから!!

 なんて馬鹿なことを考えている私の横をすり抜けた彼女は、廊下を小走りで行ってしまった。

 
 すれ違った時、ふわりと香ったいい匂い。
 あの日の夜にはこんな柑橘系の匂いはしなかったから、多分、香水だろう。
 爽やかだけど、ほんのりと甘い香り。

 酔いしれてると、エレベータが閉まりそうになって、私は慌てて体を捻じ込んだ。



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 ――……しかし……?

 ゴミ置き場へ持ってきた袋を置きながら、私は腕時計を覗いた。

 もうこの時間だと、社会人は出社ギリギリなんじゃないかなぁ。
 あぁでも、会社がこのマンションから近いなら、余裕で間に合うのか。

 またエレベータ待ちをしながら、先程の金本さんの姿を思い出す。

 スーツ姿も……いい!!

 しかも今日は暑いせいか、長い髪をまとめてて可愛いかった。
 ピシッとしたスーツだけど、アップにした髪型が女性らしさを溢れさせていて、格好良いし可愛い。
 それを見れただけで、今週いっぱい頑張れそうだ。

 ホクホクした気分でしばらく待っていると到着を知らせるベルがチンと鳴った。
 軽い音を立ててドアが開いたエレベータへ乗り込みかけて、ピタッと足を止める。

 またナゼ居る金本さん!!

 向こうも私に気付いて、すれ違いざまに、手を振ってくれる。その反対の手にはゴミ袋。
 どうやら、ゴミ出しを忘れかけて慌てて家へ戻っていたみたいだ。

「また会った。いってきまーす」
「い、いってらっしゃい! 気をつけて!」
「はーい」

 軽く急ぎ足の彼女のヒールの靴音はすぐに遠ざかっていく。
 私はどきどきする胸に手をあてながら、向けられた笑顔を、脳内で再生させて、ほわんとした気分に浸る。

 やばい……。

 幸せだ……。……っていや!?

 だめだ!

 駄目なんだって……!!

 私はぶるぶると首を横に振って、邪念を払うとエレベータに乗り込んだ。



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 彼女は彼氏持ちかもしれないんだから。

 ただ毎週火曜日にあったギシアンが、無くなっただけ。
 例えば喧嘩中なのかもしれないし、例えば生理中とか仕事が忙しいとか予定が合わないとかかもしれないし。

 金本さんがフリーになったという証拠は、何もない。

 片想いするのは自由だと思うけど、それが良くないのも十分、理解してる。
 実らない恋をしているのは、精神衛生上も良くない。

 しかも相手は、家が隣の住人とか……。

 エレベータから降りて、廊下を歩く。
 金本さんの部屋の前で、扉を見つめて、私は首を振って溜め息をついた。



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 家に戻った私は、ベランダのドアを開けた。
 そこに置きっぱなしにしているスリッパを履いて、「さて」と一人気持ちを切り替える。
 きっと、この穴をあけっぱなしにしていたから、いけないんだ。
 この穴が開通してから数日間、私は大学とバイトが忙しいのだから、と自分に言い訳をして、修理を先延ばしにしていた。

 正直、浮かれていたんだ。
 あの夜、それまでただの隣人だった関係の人と、「雀ちゃんかぁ。かわいい」と言ってもらえるような関係になったから。
 だからもしかすると、この穴をそのままにしておけば、また彼女がベランダへ出てきてくれて、そして話が出来るかもと期待をしてしまっていたんだ。
 でも……まぁ、私のバイトが大体夕方から深夜にかけてだから、ここで月見酒をするのが12時前後になっていた。だからここ数日彼女と遭遇出来ずに居たのだが、それが逆に、冷却期間になってよかったかもしれないとさえ、今は思う。

 彼女は、ノンケだ。
 彼氏がいるかもしれない。
 私が恋なんかしていい相手ではない。

「……」

 そう、思うけど。
 やっぱり心のどこかで、期待してしまう物はあって。
 彼女への興味は、少しずつ少しずつ、増してしまって。
 気付けば金本さんとの会話を思い出してしまったり。
 ああ駄目だ駄目だと自分を諫めたり。

 私は反省と暴走を繰り返しながら、この数日を過ごしていたのだった。



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 そんな私の目の前にあるのは、隣の家のベランダとの仕切りの壁。そして、そこに開いた大穴。その向こうには、金本さんの洗濯物。……見てはいけない、色々。マジこれは駄目だと思う私は変態が過ぎている。

 外からは見えないようにバスタオルで上手く囲って隠しているが、ここからなら見える。薄い桜色の下着。
 いかん。マジ、駄目だ。見ては駄目だ。

 自分の頬をパァンと音が立つくらいに強く叩いて、私はベランダ仕切りの穴の残骸に手を掛けた。
 まるでジグソーパズルだ。なんて思いながら、ピタリと嵌るように組み合わせて、木工用ボンドで接着固定していく。

 くっつけるのは、テープか木工用ボンドか迷ったんだけど、流石にテープでは剥げるだろう。丁度、家に木工用ボンドもあったことだし、これでまた壊れてしまうようなら、今度は瞬間接着剤を買ってこよう。

 残骸といっても、大きな破片ばかりなので修理は30分ほどで完了した。

 久々に、今日は買い物にでも出かけよう。



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 昼過ぎから出かけて、途中友人に会ったり、買い物では欲しい物が見つけられなかったり、なんだかんだで、帰ってきたのは日が落ちた頃だった。
 買った雑貨を棚に整理しながら、お気に入りのCDを流す。夜なので、小音で。

 歩き疲れたせいか、すこし眠い。
 欠伸の息を吸った時、ガンガンガン! とけたたましくベランダで音がした。

「な、なんだ……!?」

 まさかこの6階でベランダに変質者が出現!?
 閉めていたカーテンを恐る恐る開いてみる。……が、特に異常はない。変質者も居ない。

「はぁ……?」

 一体なんの音だったんだ?
 首を傾げて、カラカラカラとドアを開ける。
 まさかマンションの前の道路で、事故とか?

 ベランダ用スリッパに履き替えて下を覗き込もうとしたら、横から身体に衝撃が加えられた。



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 やばい。殺された。

 本気でそう思った。

 人間、あまりに驚くととっさに大きな悲鳴が出ない。
 息を吸い込むのと同時に、「ひぃっ」という情けない声しか出せなかったし、それは声というよりは引き攣った息という具合だった。

「雀ちゃん! なんで壁直すの」

 その声を聞いた途端、膝に力が入らなくなって、腰が砕けた。

「ちょ! ぇええ!? 雀ちゃん!?」

 カンガンガン! という音は、金本さんが仕切りを再びぶち破ったものだった。
 
 横から私の身体に加えられた衝撃は、金本さんが抱きついてきたものだった。

 そう理解した途端、私はベランダにへたり込んでしまったのだ。
 冗談抜きで、人生で初めて、腰が抜けた。

「刺されたと思った……」

 私の情けない声の呟きを聞いて、金本さんは大爆笑。

 そんなに笑う事ないじゃないか……。
 本気で思ったんだから。
 本気で腰抜けたんだから。

 未だに笑い続けている彼女を睨んで、立ち上がろうとするけど、立てない。
 腕で少し体が持ち上がっても、腰が立たないからまたぺたんと座り込んでしまう。

 腰が砕けるという言葉を聞いた事はあるけれど実際にこう味わってみると、この感覚は生理痛とかヤリ過ぎた次の日の朝みたいな……ってそんなことを考えていると、どアップで金本さんの顔が接近していた。



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「う……」
「大丈夫?」

 まだにやけ顔の彼女。

 ――ち、近っ。近い。近すぎ!

 そんな近いとキスしたくなる!

 内なる私がムラムラしだすのをクールな素振りで誤魔化す。
 バイトで培った表情筋コントロール能力を捻り出し、私は少し目を細めて、迷惑そうな顔を作った。

「誰のせいでこうなったか、知ってますか」
「驚くかなって思ってたけど、腰抜かすとは思わなかった。可愛い」

 か、確信犯だったのか金本さん……。
 んで、最後の言葉はべつにいらない。なんならあなたの方が可愛い……ってだから顔近いっつーの!

「いい大人がイタズラですか……」

 がっくりと肩を落とすフリをして、赤くなった顔を俯いて隠す。
 なんか知らんが、彼女が距離をやたら詰めてくるから困る。

「ごめんってー。だってね? 朝も会えたけど帰ったらまた雀ちゃんと話できるかなって楽しみにしてたのに、壁直してあるんだもん。そりゃあ壊すでしょ」

 さらっと、今この人はかなり常識外れな事を言った気がする。
 その上、前半は結構嬉しい内容だったと思う。

 顔がにやけそうになるのを抑えて、改めて破壊された仕切りに目をやった。



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 彼女の肩越しに見た仕切りは、なんだか……でかい。
 朝修理をした時よりも…………でっかいぞ……?

「昨日より穴、大きくなってませんか」
「うん。ずごい叩いたらあんなんなっちゃった」

 まるで、弱い仕切りのせいです。みたいな言い方につい笑ってしまう。
 そりゃあれだけの音がするほど叩けば、風穴も巨大化するだろうよ。

「なんで壊すんだか。話したいなら、玄関から来ればいいでしょうに」
「普通すぎない? ベランダがつーつーなのがいいの。二人の秘密基地みたいで」

 ん。立てる? と金本さんが手を引っ張って起こしてくれた。
 少しフラつくものの、手すりと金本さんに助けられ、私はなんとか立ち上がる。
 立つとやはり、彼女の背の低さが目立って、どこからともなく”金本さん可愛いな”という感情が湧いてくるが……今度は、初めて触れた手へと意識が行く。
 
 指が、細い。恋人繋ぎしたら、どんな感じなんだろう。

 私が邪な思考の元、助け起こしてくれた金本さんの手を握り続けていたからだろうか? 

「へいき? 中まで送ろっか」

 との提案。

「そうしていただけると、助かります」

 連れ込み成功!! と咄嗟に喜んだものの、あああ違う駄目なんだ! と思い直す。
 彼女には、彼氏の存在があるかもしれないんだから。



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 結局私の手を取ってくれていた金本さんは、部屋の中へさっさと足を踏み入れた。彼女は私を気遣いながら歩かせ、

 
「あ、うちと間取りが逆なんだ」

 と、零した。
 部屋に入り一瞬で間取りを把握した様子をみせる金本さんの肩を借りていた私は、なんとなく、この人頭の回転速いなぁと感心を抱きつつベッドに腰を下ろす。

「ああ、水場が背中合わせにしてあるからでしょう」

 とりあえず流れで彼女を部屋に連れ込んだけど……どうにもできない。
 だってちょっとまだ腰立たないから。

 ……ん?
 いや!
 って言うか!!

 だから彼氏いるかも疑惑の金本さん狙っちゃ駄目なんだって!!
 なにしてんだ自分!?

 内心、そんな葛藤をしている私を他所に「へー」とか、「ふぉー」とか言いながら他人の部屋を物色してる金本さん。
 子供か。
 とツッコミたくなるけれど、そんなとこも可愛い。と、若干のときめき。

 ……ってときめいちゃ駄目だろ自分!!
 しっかりしろ!!

 あああもうこの一人ツッコミ止めたい!
 横恋慕は駄目なんだってば! いい加減覚えろよ私!!



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 だめだ。近くに本人が居て、コントロールできるときめきなんて無い。
 金本さんがこちらを見ていない隙に私は軽く首を振って、彼女を呼んだ。

「金本さん」
「え? 愛羽でいいよ」
「はい?」

 え、や、違う違う。そんな展開嬉しいけど望んでるんじゃなくて。
 私はアナタに早く帰ってほしいだけです。

 そう思うけれど、金本さんが軽く眉を顰めて手を振ったので、私は口を開くタイミングを逸する。

「あ、駄目。でも、愛って呼んで」
「?」

 なんで”羽”を減らした?
 

「わたし、あんまり好きじゃないから、愛羽って名前」

 ……名前が……好きじゃない……?

 先日私の名前を教えた時に感じた親近感がまた、湧く。
 もしやこの人も。

「……何か嫌な思い出でも?」

 不躾だろうかと思ったが、気になって尋ねると金本さんは首を振った。
 縦に。

 とても嫌そうに眉をぎゅっと寄せて。

「初対面の人に、絶対、ぶりっこだと思われる。だからヤなの」

 ぅぐ……可愛い……。言い方が、いちいち可愛い。
 い、いかん。気をしっかり持つんだ自分。

 彼女は彼氏持ちかもしれないんだぞ。



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「だからいっそ、愛って名前ならいっぱい居るからいいかなって」

 むしろ誠とかの名前つけられたかった。と呟く金本さんはベランダへ向かう。

 お、帰る気になってくれたみたい。ラッキー。
 これでやっと、ときめかずに済む! ……せっかく連れ込んで、機会としては絶好だけど。

 片手でドアを開けながら、くるりと振り返った金本さんは先程嫌そうに寄せていた眉をなだらかにして小さく笑んでいる。

「だから、愛って呼んで。ね?」
「は、はい」

 うわ、うわっ。

 ね? がものっすごい可愛いんすけど! 可愛い過ぎるんすけどっ!!

 うわあああっ!

 あああ違う。駄目なんだ!
 いかん!
 いかんぜよ自分!!
 気をしっかり持つんだっ!!



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 大人の女性に「ね?」とか可愛く言われて、ときめかない訳がない。
 顔に熱が集中しそうになるのをなんとか堪えていると、金本さんはドアに手を掛けたまま、まだ何か言いたげにしている。

 え? なに? なんかある?
 あ、お礼か。言ってなかった。

「ここまで連れてきてくれてありがとうございました」
「ん? あぁ、うん。ごめんね、びっくりさせちゃって」

 いやいやと首を振ってみせるが……やはり彼女はまだ帰ろうとしない。
 ドアに鍵がかかっている訳でもないのに、こちらを振り返ったまま、何かを待っている様子の彼女。

「……?」

 なんだ? というよう両眉を上げて、表情で促すと金本さんはこっちを振り返る。体ごと、くるっと。
 そして、出て行くために開けたドアを後ろ手にカラカラカラと閉める。

 当然、金本さんが閉めたのだ。

 誰が閉めたのかはわかるけど、なんで閉めたのかはわからない。
 彼女の行動の意図が読めなくて私が首を傾げると、

「はやく」

 金本さんが催促した。

「え?」

 なにを? なにかするの?
 私が? と自分を指差したら、同じように金本さんが、自分へと人差し指を向けた。

「愛って呼んでよ」

 う……ぐ……。

 なんだこの隣人はぁぁぁぁあぁぁぁあああ!!

 私をどーしたいんだーーーーーーーーー!!!!!



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 脳内で絶叫した私の心中を知らず、可愛い人はにやりとした。
 多分、私の顔が赤くなっているからだと思う。

「はーやーく。呼ぶまで帰んないぞ?」

 にやにやした意地悪な笑顔で何を要求してるんだこの人は。

 ――こ、小悪魔が居る。ここに小悪魔が居るぞ…!

「べ、べつに今言わなくても――」
「――駄目。雀ちゃんは今言わせとかないとずっと金本さんって呼び続けそうだから」

 私の台詞をピシャリと遮って言う金本さんは、どうやらなかなか人の性格を読み取るのが上手らしい。
 このまま流して以降出会ってもそれとなく苗字で呼べばいいやと計画していた私は、”お見通しかよ……!”と胸中で悔しさを吐き捨てた。

 でも、だって、そんな下の名前で呼ぶとか更に親しくなる第一歩を踏み出してしまうのはマズイと思うぞ私!!

「ほれ。ほれほれ」

 野良犬相手みたいに言いながら、近付いてくる金本さんはやけに楽しそう。
 後ろで両手を組んで、余裕な感じで揶揄ってくる。

「愛って言ってみ?」
「う」
「キミは包囲されている」
「う……」
「無駄な抵抗は止めて投降するんだ」
「……身代金の代わりに逃走経路を要求します」
「人質は?」
「……器物損壊を大家に報告」
「あれにはキミの指紋も、修理の痕跡もバッチリなのに?」
「ぐ……」
「ネタはあがってるんだよ」
「……カツ丼うまいっす」
「食べた分は払いなさいよ」
「……経費で落ちませんか」
「落ちません」

 
 最初は刑事ドラマみたいなやり取りだなと思ってたけど、そのうち取り調べっぽくなって、だんだん、意味不明な会話になってきた。
 金本さんはなんでこう調子を合わせて悪乗りしてくるんだ。
 大人なのに茶目っ気ありすぎだろう。

 けど結局よく分からなくなってきて、金本さんが吹き出した。
 クスクスと転がすように笑いながら、後ろで組んでいた手を解いて、両腰へあてる。

「もー。いいから、照れてないで呼びなさい」

 やっぱり、こっちが恥ずかしがってるっていうのは把握済らしい。
 まぁ……そのほかに、これ以上この人と仲良くなるのは得策ではないというのが多く含まれているんだけど、それを彼女本人が自力で悟ることはないだろう。
 きっと金本さんは、私がレズビアンだなんて気付いてないから。

 私がだんまりをしていると金本さんは、

「ほーら早く。恥ずかしいなら目、つむっててあげるから」

 と、譲る気などさらさら無いと云いたげに、私の前で仁王立ちをして瞼を閉じた。

「……」
「……」
「……」
「……」

 あああもうっ。

 もう!

 マジでこの人呼ばれるまで帰らない気だな……!?

「…………愛、さん」

 真っ赤だ。
 絶対いま、顔真っ赤だ。

 閊えながらどうにかこうにか、彼女の要望に応えると、金本さんは「呼び捨てでいいのに」とクスクス笑う。
 ああああもうすっげー恥ずかしい! なんなんだよもう! もう!!

「年上にそんなことできません」

 ぷいとそっぽを向いて、きっぱり言ってやる。
 流石にマジで、それはムリ。
 あだ名って言っていいかも迷うけど、「愛さん」って呼ぶだけでここまで苦労しちゃうのに、呼び捨てだなんてとんでもない。

 でも、せっかく仲良くなろうと歩み寄った彼女を拒否したのに、彼女は気分を害するでもなく、笑みを含んだ声で告げた。

「このへんで勘弁したげる」

 視界の端で彼女の腕が浮いた、と思った次の瞬間、座ったままの私の頭をくしゃりと撫でる、彼女の手。

「またね、雀ちゃん」

 さっきまでの意地悪さは欠片もないくらいに柔らかい手つきで撫でた彼女は、私の返事も待つ様子もなく、ベランダへ消えていった。



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