隣恋 第25話 翌朝

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 翌朝、朝日を瞼の向こう側に感じて、私は目を覚ました。
 うっすらと明るい部屋の天井。いつもの風景だ。
 でも、ひとつだけ違う事がある。

 横に視線をずらすと、すぅすぅと寝息を立てて眠るお姫様がいる。

 姫は言いすぎ?
 でも私の姫だ。

 あの男ではなく、私の。

 金本さんの顔にかかる髪を耳にかけて、頬を撫でる。
 すべすべで滑らかな肌。

 形のいい柔らかなラインを描く眉。
 閉じられた瞼に影を落とす睫毛。

 小さい鼻に、ぷくっとした唇。

 ドキッとして、慌てて唇から目を逸らす。

 検査結果が出るまで禁止令が出てしまったんだから、なんだ、その……欲情しては自分が辛いだけだ。



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 どのくらいの間、寝顔を見ていたんだろう。

 胸が幸せでいっぱいになっていた。
 彼女の寝顔ひとつで、こんな気持ちになれるなんて……金本さんはいつの間に、私の中でこんなに大きな存在になっていたんだろう。

 そんな事を考えていると、ゆっくりと瞼を押し上げた金本さん。
 ぼんやりとした瞳に、しっかりとした意識がもどっていく様子を眺めていると、覚醒した金本さんが私に視線をあてた。

「ん~……」

 唸りながら枕に顔を埋める彼女。

「も~ぉ……」

 そのままの状態で、くぐもった声で言う。

「なんでみてるのー……よだれでてなかった……?」

 どうやら、照れてるらしい。
 かわいい。

 私は微笑んで、枕にばさりと落ちている彼女の髪を梳いて、首の後ろへ流してあげる。
 そして現れた横顔は相変わらず枕に埋められたままだが、こめかみ辺りにキスをした。

「可愛いかったです」
「……ばか」

 照れてる声も、めちゃくちゃ可愛かった。



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「あーも仕事行きたくない……むしろ雀ちゃんの病院に付き添いで行きたい」

 そう言って私の頬を撫でてくる金本さんと朝食をとり、宥めすかして出社準備の為部屋に戻ってもらった。
 もっと一緒に居たいのは私も同じだけど、仕事を休ませるわけにいかない。それに私は一限目からテストだ。昨日結局勉強はあれからできなかったけれど、今ならどんな難しいテストもクリアできる気がする。

 顔を洗いに洗面所へ行くと、びっくりした。鏡を凝視しながら、頬に手をやる。
 右が、右頬が、青い。
 押さえるとちょっと痛いし……。

 だから金本さん、やたら頬を撫でてきたのか。
 気を遣わせてしまった……。

 溜め息をつきながら、冷水で顔を洗った。

 いろいろと準備を済ませ、戸締りチェックをして靴を履く。
 玄関のドアを開けようとして、ガツンとぶつかって思わず「え?」と声を漏らす。

 あ……。

 開かない。ドアが。



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 そういや昨日、壊したドア無理矢理閉めたんだっけ……。

「よっ……ぐ、ぐぐ……あ、開かない……っ」

 押しても、蹴っても、開かないドア。
 すぐさま、こんな時に頼りになるあいつにメールしながら、ドアを蹴ってみる。

 開かない。

 ――まずい……。

 部屋から出られない!
 ち、遅刻する!? テストがっ!?

 はっと閃いたのは、ベランダ。
 しかし金本さんがもう出かけてしまっていたらその道は使えない。

 靴を持って、ベランダへ走り、隣の部屋のドアをノックした。



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 ガラスの向こうに見えた金本さんは、ちょっとびっくりした顔でベランダのドアを開けてくれた。

「どした?」
「あの、玄関のドア壊れてて開かないんです……」

 玄関お借りしていいですか、と申し訳なく思いつつお願いする。
 私が外に出るには、このルートしか残っていないから。

 ひと様のお宅の玄関を朝っぱらからお借りするとかマジで申し訳ないと思っているのに、金本さんには何故か爆笑された。
 腰抜けたとき以来かな、こんな笑われたの。

「なんか暴れてる音がするなーって思ってたら、まさかそんなことになってたなんて」

 金本さんの部屋にお邪魔しながら、うるさくしてすみませんと謝ると、彼女は首をふった。

「半分以上は、わたしのせいだもん。修理代も出すから」
「あ、それは大丈夫です。ツテがあるんで」
「? ツテ?」
「ええ。さっきメール送っ……ちょっとスミマセン」

 携帯電話が震えた。
 送ったメールを読んだのだろう。そのツテから返信メールだ。
 内容は今日中に修理屋を手配して直してもらっておいてくれるとのこと。
 ありがたい。

 お礼のメールを送って顔をあげると、ストッキングを片手にもっている金本さんと目が合った。



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「ぁっ、すみませんっ」

 慌てて体をくるりと反転させて、ベランダの方へ向く。

 アホか自分!
 なに金本さんがストッキング穿くシーン想像してるんだ……!

「スケベ。なに想像してるの?」
「べっ、べつになにも…!」

 な、なんでバレるんだ……。
 金本さんこわい。エスパー。

 なんて思っていると、携帯が震えた。

 メール受信。
 内容が、失笑してしまうほどの物だったので、割愛。

「なーに笑ってるの?」

 後ろから抱きつかれた。
 う、わ。なんか、柔らかい……っ。

「なんでもないです。……それよりスミマセン。まだ準備中なのに来ちゃって」
「んーん。いいの。もう会いたくなってたから」

 あまりに可愛い事を言ってくれる金本さんの腕の中で、私は体をくるりと反転させる。
 見上げてくる彼女が、可愛いくて頬がゆるむ。

 しかも、言ってくれるセリフが可愛いすぎるんですが。

「仕事いきたくなーい」
「……行ってください」
「じゃあキスして?」

 それはもう、しないわけにはいきませんね。



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 朝日の中で、金本さんを抱きしめる。
 しっかりと抱き返してくれる腕が嬉しい。

 私はゆっくり息を吸って吐き、少し体を離して彼女を見下ろした。

「ん?」

 私はそんなに、なにか言いたげな顔をしていたんだろうか。
 何も喋らないうちから察知してくれた彼女に眉をあげて促され、咳払いをひとつ。

「あの……」
「うん?」
「ちゃんと言葉にして伝えておかないといけないことがあります」

 金本さんが、私のセリフに表情を引き締めた。
 大事な事を言うと伝わったらしい。

 が、キリッとした顔もいい……ってそうじゃなくて!

 言わなきゃいけない事がある。



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「私も金本さんも女です。絶対に、男女の付き合いみたいに楽しいことばかりじゃありません。むしろ、辛いと感じる事の方が多いと思います」

 異性を対象とした恋愛が、楽しい事ばかりだとは言わない。
 言い合って喧嘩もするし、悲しい別れもあるだろう。

 でも、同性の恋愛は、外に出れば、手を繋ぐことすら、不審な目で見られることだってある。
 それ以前に、二人を包む独特なオーラを、敏感な人は感じ取り、好奇の目が向けられたりする。

 そんな事は、序の口だ。
 挙げてしまえばいくらでも、障害はある。

「日本で、同性の結婚は認められてないから、なんていうか……ゴールがないと思うんです。子供だって、女同士ではできません」

 ぅ、わ……まずい。声がちょっと震えてきた。
 私は一度、深呼吸をして自身を落ち着かせようと試みたが、一度くらいの深呼吸で落ち着けるものではないと判って諦め、次の言葉を紡ぐ。

「…………もしも、今のを聞いて少しでも気持ちが揺らいだなら、昨日の事はなかったことにしましょう。わざわざ辛い道に、引っ張り込みたくない。私は金本さんを大切にしたいし、幸せになってほしいと思ってます」

 金本さんは私の言葉に小さく頷きながら、じっと私を見つめている。

「そういう事を全部含めて、考えてください」

 心臓が、バクバクいって、また額から血が流れるんじゃないかと思うくらいに、顔は真っ赤だ。

 でも、頭は妙に冷静で、この後の金本さんの答えを想像している。
 もし、断られたら多分今日のテストもバイトも、まったく身が入らないことは確実だ。

「金本さん、私と、付き合ってください」




 

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 早く。

 早く言ってください。
 なんでもいいから! 沈黙を破って金本さん……!

 じっと目をそらさずに見つめてくる彼女を、必死に見つめ返しながら、私は情けなく心の中でそう叫んでいた。
 一秒でも早く答えが欲しい。
 でも、彼女にはきちんと考えた上で、返事をしてほしい。

 その矛盾する気持ちを戦わせていると、ついに、彼女の口が開かれた。

「雀ちゃん」
「……はい」

 やば。声が掠れた。
 格好悪……。
 バツが悪くて少し目を逸らした一瞬の隙に、金本さんの手が私の首に回った。

 きつく、抱きつかれる。

「あ、あの……金本さん……?」

 これはなんのハグなのか、分からない。

 実は昨日の行動はムードにやられただけのノリ! 本心じゃなかったのよ。いやー、弁解の機会与えてくれて良かったホントありがと!

 というハグなのか。
 はたまた、

 大好き!

 というハグなのか。



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 私としては、断然後者がいいな……。でも前者だったらマジでへこむだろうな……。
 そんなことを考えていると、背伸びして抱きついていた金本さんが、踵を床につけ、私の顔を見上げた。

「ほんと、惚れさせてくれる」

 と。

 言う事は……?

 つまり、そういう事、だ。

「あ、あのっ」
「昨日をなかった事になんかさせない。ゴールがなくてもいい。もし子供がほしければ、精子バンクでも養……子でもなんでもあるわ」

 喜びが先走って、まだ喋っている金本さんをぎゅっと抱き締めた。セリフの途中で抱き締められた彼女はちょっとだけ優しく苦笑しながら私の背をぽんぽん叩きつつ、最後まで喋って、改めて私を抱きしめてくれる。

 ~~~~っやった!!

 マジで!!

 やった!!!!!!

 不安を一掃した安堵で、涙が出そうになってきたけど、また泣き虫って言われるから、我慢する。
 唇を噛んで堪えていると、耳元で、金本さんが囁いた。

「大好きよ、雀ちゃん。これから、よろしくね」
「はいっ。こちらこそ!」




 隣人に恋をしました。

 そして。

 隣人が恋人になりました。




◇◇◇◇  隣人に恋をしました ― 完 ―  ◇◇◇◇

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