隣恋 第24話 時間は深夜

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 時間は深夜。
 多くの人が寝静まった頃、私はシャーペンの先で何度も机を叩いていた。

 ――時間がないってのに、こんな日にまで……!

 私が心の中でイラつきを吐き出す声にまで被せるように、外部の音は耳に入ってくる。いや、音だけではない。
 ドアを叩く音の他に、隣の玄関から喋る声も、聞こえてくる。
 声の主は言わずもがな、あの「黒くてサラサラヘアで、エロ目の男」だ。そいつが「開けろ!」と怒ったり、ドアをノックしたり叩いたりしている。ドアチェーンの音がしないから、きっと金本さんはドアを開けていないんだと思う。

 その扉越しに、会話をしてるんだ。

 ――こっちは明日、絶対に落とせないテストだってのに……!

 無視すればいいと思う。ヘッドフォンで耳を塞ぎ、知らないフリをすればいいんだ。そして勉強に集中して、明日のテストに備えて寝る。そうすればいい。
 でも……。

 私にはそれができない。
 元々、静かな場所でないと集中できないタイプの人間だし、……なにより気持ち的な理由が大きい。

 金本さんが気になって仕方ないのだ。
 集中できない。

 もう深夜1時近い……。
 最後の追い込み……したいのに。
 明日のテストは落とせない。
 金本さんも心配だ。
 全ての、諸悪の根源はあの男。

 なんで私が、あんな男に振り回されなきゃいけないんだ。

 私の堪忍袋の緒が、静かに切れた。



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 全部あいつが悪いんだ。

 もう、知るか。
 金本さんの元彼だからと思ってある程度の対応で留めてきたけど、もう知らん。

 店長に教わった奥の手。
 この話をしてくれた時店長は軽い口調でこの奥の手を語って聞かせてくれた。だからきっと、本当に実行するなんて思ってもないだろう。でも、相手に危害を加えたら警察だ裁判だとなってしまう可能性が高い。
 馬鹿程よく吠えるという言葉があるように、尊敬に値しない人間ほどなにかあれば「警察に突き出すぞ!」とか叫んでる。実際呼ぶかどうかは別として、私は面倒ごとは避けたいのだ。
 自分の為にも、そして金本さんの為にも。

 だったら、相手に危害を加えなければいいのだ。
 ちょっと痛いだろうから使いたくなかったけど、この際だ、とことんやってやろうじゃないか。

「どんだけストーカーすれば気が済むんだ。嫌がってんだろうが」

 ゆらりと立ち上がり、ローテーブルに置きっ放しになっていた筋トレ六法全書を手に取る。
 片手で持ち上げ、重さを確かめるように一度振りかぶって振り下ろすと、私は玄関へ向かった。



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 鍵を開けて、ドアを蹴り開ける。
 蝶番のところがバキと音を立てたけど、知るか。

 もー知るか。
 なんなんだこの男、人の気も知らないで。

 あんたは告白して、付き合って、別れたんだろ。
 しかも! まーさんからの情報では、あんたの方から金本さんをフッたらしいじゃないか!!
 それを今更……!!

 こっちは気持ちも伝えられないで、がまんしてガマンして我慢し続けてるんだぞ……!!?

 めちゃくちゃ驚いた顔をしてこっちを見て固まっている男を、私は睨み据えた。



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「うるさいんですけど」

 こんな男に、喧嘩を売るなんて。
 馬鹿なことをしてると思う。
 警察は役に立たない事の方が多いから、確実な手段を選んで自分以外の人間に対処してもらえばいい。それが多分、最善策だ。
 なんなら最悪、警察を呼んだっていい。対処の方法はいくらでもある。

 でも。
 

 私は、自分の力で、この男を追っ払いたい。

 自分で、金本さんを守りたい。

「帰ってもらえますか。で、二度とここへ来ないでください」

 驚いていた彼は、私の言葉にやっと気を取り戻したのだろう。むっとした表情でこちらに向き直った。

「あんたに関係ないって前も言っただろうが!」

 金本さんの家の前から数歩歩き、私に迫ってくる。荒い息から臭う、アルコール臭。
 酒くさっ!? こいつ……飲んでるのか。
 だからいつもよりしつこくこんな深夜まで金本さんに絡んでいたのだ。

「うるさいんですよ。近所迷惑って言葉、知ってますか?」

 私は大袈裟に、バカにして言う。

「あなたと違って、私は忙しいんです。明日も大事なテストがあるから勉強しなきゃいけないんですよ」

 ずい、と六法全書を彼の目の前に押し出す。

「これ、頭悪そうなあなたでも何かわかりますよね」

 一歩後ろへ退がった彼を追うように、私は踏み出す。
 そのまま目を細め男を睨むと、彼はもう一歩後ろへ退がった。

「ここ最近のあなたの行動、私が見聞きしただけでも、ストーカー規制法が適用されます。ストーカー規制法はご存知ですか? 平成12年5月18日、第147回通常国会において、ストーカー行為等の規制等に関する法律、として成立し同年11月24日から施行されたものです。この法律の対象となるのは、つきまとい等とストーカー行為の二つです。こちらの対処により、1年以下の懲役又は100万円以下の罰金が科されますが、あなた、どうされます?」

 覚えていたことを、一気にまくしたてた。
 私の剣幕に言葉を失ってしまった男の様子を見て内心、しまった、と舌打ちをする。
 これでは、店長に教わった作戦が実行できない。

 その時、金本さんの家のドアが少し開き始める。多分、私が登場したことに気付いて、表へ出てこようとしているんだ。
 前も、そうだった。彼女は他人に全部を任せるような人ではない。これから決行する作戦が成功すれば、優しい彼女にはとても心配を掛けてしまうと思うけれど、仕方ない。
 こいつを追い払うには、そのくらいの代償は必要なんだ。

 背後で扉が開く気配に気付いた男が、後ろを振り返ろうとする。

 ――出てくるのもうちょっと後がよかったな金本さん……!

 舌打ちしたいのを我慢して、男の気が逸れないように私は続けて声をかける。

「私の言ってること、理解できました?」

 振り返りかけていた首をぐりんと戻してこちらを見てくれた男に”よしよしそのままこっち見てろ”と心の中で語り掛けつつ、こうも簡単にコントロールできる扱いやすさに感謝し、ならばこういう挑発も効くだろうと予想。

 私はトントンと自分のこめかみを人差し指で叩いてみる。

「まぁ、あなたのやっている事をみてれば、頭の程度はたかが知れてますけど」

 本音としては、こめかみを叩いた後に手をパッと開くジェスチャーもしたかったんだけど、流石にそれはバカにし過ぎかなと思って止めておいた。
 が、彼にはこめかみトントンくらいが丁度良かったらしい。元々アルコールによって赤らんでいた彼の顔が、より赤みを増してくる。眉もだんだんつりあがってきて、眉間には皺が寄る。

 ”その調子その調子”と心の中で彼の怒りを応援しつつ、私は構わず、上から下まで、じろじろと相手に視線を這わせる。
 それはそれはさも、馬鹿にした態度で。

「そのスーツも、いいものを着れば良いってもんじゃないですしね。スーツに着られていてむしろスーツが可哀想です」
「お、お前なぁ……っ、そこまで言ったら、侮辱罪になることくらい俺だって」
「分かってないですねぇ」

 彼のセリフを遮って言い、やれやれ、と首を振って、肩をすくめて見せる。
 アメリカ人ばりの、リアクションだ。

「ここに、私があなたを侮辱したと証明できる人がどこにいますか」
「あ、愛羽がいるだろ!」

 一瞬、マジで舌打ちしかけて口の中で微かにキュッと小さく鳴った。寸前でなんとか舌を上顎から離したけれども、この男が金本さんの下の名前を呼んだだけでこうもキレそうになるとは……私も随分とガキだ。
 そう思うけれど、完全に冷静になりきるには至らない。

 ――……。イライラするなこいつホントに。

 心の中で呟くに留め、私は精神安定剤とばかりに、ドアを開けきり出てきた金本さんを彼の肩越しにチラと眺めた。
 すっぴんで幼い顔つき。これが化粧を施せば朝に出くわした時のようにキリッとするのだから、化粧というのはすごい。なんて全く関係の無い事を考えて、少しばかり気を紛らわせる。

 金本さんは男の後ろで、”無茶をするな”というように首を横に振って合図していた。前回、仲裁に入った時も物凄く心配してくれていたから、今回もだいぶ心配をかけることになる。きっと、前回以上に。

 しかし、彼女は急に元彼に名前を呼ばれてビクッと肩を震わせていた。
 これは私の予想にしか過ぎないけれど、例え好き同士で付き合って体も重ねる関係だった二人だけれど、これだけ付きまとってくる別れた男にはもう、恐怖心しか抱いていないのではないだろうか?
 仮に私が金本さんの立場だったとしたら……怖すぎて、外に出たくもないと思うだろう。

 そんな男の傍に立ち、いきなり名前を呼ばれたら震えも走るという物だ。

「仮に、彼女が私の言葉を耳にしていたとしても? これだけ嫌われるような行為を繰り返しているあなたに、協力するでしょうか?」
「……っ」

 言葉に詰まった彼を、鼻で笑ってみせる。
 この男自身、繰り返している行為で愛情を失い続けている自覚は、少なからずあるのかもしれない。などと彼の心情を探っていると、男は後ろへ向く素振りを始める。
 足を半歩引き、肘を後ろへ押すようにした体の動きで、金本さんを振り向くつもりだ、というのは察知できた。

 それは男の後ろに居た金本さんも同じように察知できたのだろう。
 まるで、怒鳴られるか、殴られるかを予想したみたいに首を竦め、体をきゅっと縮込め、強く目を瞑った。

 明らかに怖がっているその反応を見た瞬間、私は完全に、キレていた。

「おい」

 男が確実に年上だし、金本さんの元彼っていうのも理解してる。
 名前すら知らない相手に対する口のきき方ではないというのも、理解している。

 でも、金本さんをいじめる相手に怒りを抱くなという方が、無理だ。

「ぁあ!?」

 叫びながら、男がこちらに向き直る。
 一瞬だけ、彼の反応に間があった。それはきっと、私が突然乱暴な呼びかけをしたから驚いたんだろう。しかしその驚きがおさまれば、次には怒りがやってくる。私が彼を年上と認識していたように、彼は私を年下と認識していたんだろう。だから、その年下に「おい」などと呼ばれて腹を立てるのは道理。
 こちらとしては、この男が怒りに我を忘れてくれた方が都合が良い。

 私は更に、彼の怒りに手招きした。

「もうちょっと賢くなれば?」

 もちろん、馬鹿にしたような顔で。
 小馬鹿にして、鼻で笑ってやる。

 男の顔が真っ赤になって、首辺りまで赤い。シャツが白いから余計に分かりやすい赤みだ。
 体の横で拳を握って震わせているから、きっともう、あと一押し。 

 最後にトドメを差し上げよう。

「やっぱり、良くないみたいですね。中身は空ですか?」

 あえて相手の頭を指差すと、待ちに待っていた彼の拳が飛んできた。



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 私は右頬を殴られ、軽く後ろへ吹っ飛んだ。
 普通に殴ったくらいじゃ、体が後ろへ引っ張られることはない。よろける程度だ。
 この男は相当勢いをつけて私を殴ったらしい。

 彼に殴られるのは、店長が言っていた作戦成功の必須事項だった。
 誤算だったのは、細身にしてはこの男の力が強かったことと、私の家の扉が壊れて開けっ放しになっていたこと。
 

「雀ちゃんっ!」

 不運にも、蹴り開けたドアが私を迎えてくれた。
 右頬を打たれたせいで左向きに体が半回転。そして迎えてくれた開きっ放しのドアの取っ手に、額の左側を打ちつけ倒れる。
 当然、後頭部を庇うことも出来ずに、床に強く打ちつけた。

 いってーーーーーーっ!!

 とすぐにでも起き上がって後ろ頭を手で擦りたかったけど、我慢我慢。
 ここからが店長の作戦の成功を左右させる作業だ。

「ぅ……ぅ………」

 怒りで興奮している男にもちゃんと聞こえるように呻き声を上げて、重症さをアピール。

 えーと、左を打ったから……右でいいのかな?
 よくわからないけど、右手の指をぴくぴくと動かし、ついでに右足も痙攣したように僅かに跳ねさせてみた。

「お、おい……」

 私の姿を見てようやく、自分のしたことの重大さに気付いたらしい。
 不安そうな声が、私に近付いてきた。

 目を閉じているのでどのくらい近くに来ているかは分からなかったけれど、足音の感じだと私から2、3歩離れた距離だと思う。

「どいてッ! 雀ちゃんッ!?」

 駆け寄ってくれる。やさしい。
 あーでも、金本さん……。私の重傷度をもっとその男に見せ付けたいんですけど。
 そこに屈みこまれると、多分あなたの体で私が隠れてしまう位置関係だ。

 しかし……。痛い…。左のおでこがドクドクずくずく痛い……。
 少しは手加減しろバカ男め。殴られる為にこっちから挑発したけど、仮にも女だぞ。



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「おいうそだろ……俺、じゃ……俺じゃねぇ……っ!」

 ――いやお前が殴ったんだよ。

 つい脳内でツッコむ。お前以外の誰が私を吹っ飛ばしたんだよ?
 彼は捨て台詞みたいに言って、廊下を走って行ってしまった。足音の遠ざかる感じからしても、エレベータは使わず階段を使ったらしい。

 よぉっし! 作戦成功!
 店長の、『怪我を負わせてしまい自責の念で怖くて金本さんに近づけなくなる大作戦』がとりあえず成功だ。

 ……まるでネーミングセンスがないと思ったのは秘密だ。
 でも実際、自責の念というか、やらかしてしまった事がバレてしまうのを恐れる心は、現場から人を遠ざけるものらしい。
 通勤ルートで事故とか起こして逃げた人が、そこを迂回して通勤するようになるっていうのは結構あることらしい。

 そういうのを利用する手もあるんじゃないの? と店長が言っていたから今回その作戦を使わせてもらったんだが。

 男の足音が完全に聞こえなくなってから、私はパチリと目を開けた。

「雀ちゃん!?」
「あ、大丈夫ですからご心配なく。ちょっと打って痛いのはホントですけど」

 体を起こしながら、たんこぶでも出来たかなぁ、と額を撫でる。と、ズルリと滑る指。

 ――……え?

「あー」

 座ったまま振り返り、開きっ放しのドアノブを見れば、少し赤い。
 額を触った指を見れば、だいぶ赤い。

 血だ。

 気付けば、額から眉を通り瞼まで血が伝ってきている。
 その血が目に入らないように左瞼を閉じて、ドアノブで切れた額の傷に手のひらを押し当て圧迫する。

 首から上の怪我は、軽傷であっても出血が多いのだ。



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「す……ちゃん」

 あー床にも血が落ちた。掃除しなきゃ……と考えていると、震えていて泣きそうな声が聞こえた。
 心配させちゃっただろうな。でもこうでもしないとあの男を追い払えなかったからな。
 顔を上げながら、フォローのような言い訳のようなことを言う。

「大丈夫ですよ、そんな深そうな傷じゃないし金も……ってナニ泣いて……!? え!? なん!?」

 ななななななななん、なんで泣いて……!? 

 そんなっ、ぼろぼろ涙こぼさなくてもっ!?

「すず……っ」

 ひく、ひくと泣きじゃくり始めてしまった金本さん。

 い、いかん。
 これはまずい。
 ただでさえ夜中、廊下で騒ぎ過ぎたのに、さらに女性の泣き声までし始めたら、さすがにご近所さんが出てきて大変な騒ぎに……。

 私は金本さんの腕を掴んで立たせると、とりあえず自分の部屋に引っ張り込んだ。

 ってドア!

 ドア閉まらないし!?



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 蝶番の壊れたドアを力づくで無理矢理閉めて、金本さんを宥める。

「大丈夫ですから! ね?」
「だって血が……」

 あああもうっ。こんなの舐めときゃ血なんか止まるっ。
 とりあえず、目の前に血だらけの人間がいたら、泣き止めるものも泣き止めない。
 私は洗面所に駆け込んで血を洗い流し、それでもすぐさま新たな血を流し始める傷口をタオルで圧迫止血しながら、リビングに行って片手で救急箱を漁る。

 ええと傷薬とガーゼと……包帯じゃ大袈裟だから、テープで……。
 忙しなく片手を動かしていると、まだ泣いている金本さんが傍に来て、手伝ってくれた。

 ……そこまで、えぐえぐ泣いてる人に手当てしてもらうのも、なんか申し訳ないなぁ……。

 傷口を消毒して、ガーゼをあててテープで固定する。
 打ち付けた後頭部には冷凍庫で凍っていた保冷剤を当てておく。

「ほら、もう血止まったし、大丈夫です。手当てしてくれてありがとうございました」

 一通り、手当てを終えて、そのお礼を言う。
 すると金本さんは私の顔をじっと見たかと思えば、そのまままたぽろぽろと泣き出してしまった。



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 ……そんなに泣くなんて……あの男が怖かったのかな……?
 今日は酔ってたし、ドア結構叩かれてたもんなぁ。
 そりゃやっぱ……怖いよな。

「もうあの人帰りましたし、大丈夫ですよ。ね? だから泣き止んでください」

 背中を擦ってあげると、イヤイヤをするように頭をふる金本さん。

「大丈夫ですよ」
「ぢがうぅ」

 ぐずぐずと鼻水をすすりながら、金本さんはまた首を振る。

「もしまた来たら、また追い払いますから」
「だめぇぇ」

 え? え!? エッ!? だめ!? まさか金本さん……あの男を追い払ってほしくなかった……!?

 ま・さ・か・の……

 痛恨の作戦ミス!?



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 後頭部強打のときより、頭が真っ白になる。

 うそ。

 うそ嘘ウソ!?

 そんなバカな話があってたまるか。
 慌てて尋ねる。

「あ、あの、金本さんあの人、追い払って良かったですか……!?」

 彼女は、頷いてくれた。

 ――……よかった。……マジでよかった。

 これで首を横に振られてたら、心臓が止まったかもしれない。
 そんな事になっていたら、金本さんに嫌われるだけじゃ済まなくなるところだった。

 深呼吸を一度。

 落ち着け落ち着け私。
 金本さんは何故だか分からないんだけど泣いてて平常心じゃないんだから、私がしっかりして、宥めなきゃだめじゃないか。私が落ち着かなくてどうする!

 自分に喝を入れて、私は金本さんの肩を撫でた。



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 ぐじゅぐじゅと泣く彼女の肩は、しゃくりあげるに合わせて小さく跳ねる。
 見ているだけで可哀想になってくるが、同調したり同情している場合ではない。
 とりあえず彼女を落ち着かせるのが先決だ。

「大丈夫ですよ」

 と私は繰り返し言う。

 大丈夫、大丈夫。もう怖いことないですから。

 背中を撫でて、時々、ぽんぽんと叩く。
 そうしてしばらく、金本さんを宥めていると、徐々にしゃくりあげる回数が減ってきた。

「ずずべぢゃんんぅ」

 誰がずずべだ。

 笑ってしまいそうになるのを堪えて、抱きついてきた彼女の背中を撫でる。
 まだ、ひくひく言ってる。

「うぅ……ばがぁ」
「私がですか?」
「うん……」
「ひどいなぁ」

 元彼を追い払っていいと判った後なら、さっきみたいに焦ったりしない。
 ちょっとだけ笑って、片手を後ろについて、体を支える。
 ああ座ってるのがもうちょっと後ろだったらベッドを背もたれに、金本さんを受け止められたのに。

 手当ての最中に血がラグに垂れたら嫌だなと思ってフローリングに座っていたので、なんとも体を落ち着けられない場所なのだ。

 しかし、まだもう少し泣いている金本さんにはそんな事を気にする余裕もないみたいだ。
 目の前で顔を血だらけにした人間の手当てが終わってもまだ不安なのかもしれない。
 私が上体をすこし反らし離れた距離を、ぎゅっと抱き着いて金本さんがくっついてきた。

 そんなに抱きつかなくてもどっかに行く訳じゃない。
 可愛いなぁ。

 不謹慎だけど、泣いている金本さんの姿に、ときめいてしまった。



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 ふと、店長のセリフが脳裏をよぎった。

『泣き顔とか、ぐっと来なかった訳?』

 ぐっときます。
 そりゃあもう、たまらなく可愛いです。
 でもここで、押し倒しちゃ駄目でしょう。

『馬鹿ねぇ、何も考えられなくしてあげますくらい言って、優しく抱いてあげればいいの。女は泣いてるとき一番人肌が恋しいんだから』

 一理あるかも。
 泣くとき、金本さんはしがみつく。
 昔、ベランダで泣いてた時も私が抱き寄せたら、ぎゅっとしてくれた。

 泣いてると人肌恋しいのかなぁ……?

 ……。

 ……。

 …………ま。物は試しだ……。



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 私は後ろ手をついて反らしていた上体を、ゆっくりと起こした。
 宥めるために動かしていた手止め、彼女を抱き込むように肩と腰あたりに腕を回してみる。

「……」

 うわ。
 うわ。細っ。金本さんちゃんと食べてるのか!?
 めちゃくちゃほっそいんだけど!

 ていうか……この状況……。

 ――すっげぇ……幸せ。



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 わー……も、マジで……幸せ。

 可愛いすぎるこの人。
 多分金本さんにも聞こえている私の鼓動は、やたら駆け足で暴れまわっている。

 こんなドキドキいってるの聞かれたら不審に思うんじゃないかとか余計な事が考えられない。
 片想いで、ずっと好きだった人が自分の腕の中にいてくれてる。
 あったかくて、やわらかくて、いい匂いがする。
 これで、泣いてなかったら最高なんだけどなぁと思うが、流石にそんなにすぐ泣き止めないか。

 抱き締めた両腕で彼女の小ささを感じつつ、泣き止んで欲しい反面、ずっとそのまま泣いていてくれたらいいのに、なんてひどい事を思う。
 彼女が泣き止んでしまったら、この腕を解かなきゃいけないから。

 好きの気持ちで胸がいっぱいになって、ベタだけど、時間が止まってしまえばいいと思う。

 この温もりを、ずっとずっと、ずーっと感じていたい。

 今、この時だけでいい。

 信仰心なんて今までカケラもなかったけど、神様。

 すこしで良いから。

 今このときだけで、ほんの少しで良いから。

 少しでも長く、私に金本さんを独占させてください。

 私は彼女の髪に頬を寄せ、そっと目を閉じた。



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 こんなに可愛い人をフるなんて……あいつ何考えてるんだ?
 いや、なにも考えてないから、そんなもったいない事したのか。

 あんなヤツの行動で、この人は傷ついていた。
 でも、あいつが金本さんをフらなければ、あの夜ベランダで泣いてはいなかった。

 感謝すべきか、憎むべきか。

 少なくとも、彼に対する感情のほとんどが憎しみとか恨みなのだが。
 まぁ、少しだけなら、感謝してもいい。

 あんたが金本さんをフったから。
 あんたが私を殴って流血沙汰にしたから。

 今、私の腕の中に、金本さんがいるのだから。



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 私の肩口に額を押し付け顔を埋めていた金本さんが、少し身動ぎした。

 ――……あー……。この幸せな時間も、もう終わりか……。

 幸せに呆けた頭で、ぼんやり考えながら、顔を上げた金本さんを見下ろす。

 目があかい。鼻も。
 ウサギみたいで可愛くて、私はすこし笑った。

 体を抱き締めていた腕を解いて、彼女の目尻に残る涙を拭ってあげると、はにかむ金本さん。
 思えば、久しぶりに、彼女に会う。

 元彼のストーカー行為が始まって、まーさんには結構頻繁に会っていたし、電話もちょくちょくしていた。
 でも当の金本さんとは一度しか会ってないのだ。元彼にハッタリかましたあの日だけ。

 だから今日、久しぶりに金本さんに会った。

 ――ああ……やっぱり……。やっぱり私はこの人が好きだ。

 彼女が笑顔を見せてくれるだけで、私の心臓は潰れそうなくらい切ない痛みを覚える。

 
 好き……好きだ。




◇◇◇◇ ◇◇◇◇ ◇◇◇◇



 ほんとうに。

 好きだ。

 離したくない。

 腕の中にずっと、居てほしい。

 好きで、好きで、……泣きたくなるほど、あなたの事しか考えられない。



◇◇◇◇ ◇◇◇◇ ◇◇◇◇




 どちらから絡めたのか分からない視線だったけど、私は金本さんの瞳から、目が逸らせなかった。
 こんな間近で見つめる瞳は綺麗で、私の思考力を奪って、理性を麻痺させる。

 先程涙を拭った私の右手が、金本さんの顎へかかる。
 指に触れる柔らかで滑らかな肌質を感じながら、僅かに上向かせた。

 ゆっくりと、顔を近づける。

 20センチほどの距離がひどく遠い。

 じれったいほどに、ゆっくりと、ゆっくりと。

 私の意思とは関係なく、私の唇が金本さんのそれを求めて近付いていった。



◇◇◇◇ ◇◇◇◇ ◇◇◇◇



 金本さんの瞳に映った私の顔。
 それを認識した瞬間、ハッと我に返る。

「ごっ、ごめんなさいっ!?」

 触れそうになっていた唇を、私は思い切り遠ざけた。



 

◇◇◇◇ ◇◇◇◇ ◇◇◇◇



 な……な……なにを、自分は……!?

「ご、ごごめんなさい!」

 金本さんの肩を掴んで私から引き剥がし、後ろへばたばたと後退る。
 座ったままそんなことをした私は、見ていてさぞ格好悪かっただろうに、こともあろうか彼女は私を追ってきた。

「待って」
「すみませんっ!!」

 叫んだ私はもう、パニックだ。
 まさか、あんなことをするなんて……!
 どれだけ今まで我慢してきたか。その全てが水の泡じゃないか……!

「すみませんすみませんっ! 違うんですっ!!」

 何が違うのか。
 今なら、金本さんの元彼が『俺じゃねぇ!』と叫んだ気持ちが良く分かる。



◇◇◇◇ ◇◇◇◇ ◇◇◇◇



 後退る私の背中がベッドにあたり、行き止まりになった。
 それでも手をつき膝で進んで近付いてくる金本さん。

 私は逃げ道をベッドの上に見つけ、ベッドに後ろ手をつき、体を引っ張り上げてベッドに腰掛けた。
 さらに、枕のほうへと逃げる。

「待って雀ちゃん。今なにしようとしたの?」
「なっ何もしてません!!」

 ずりずり、ベッドの上を逃げる私。
 じりじり、迫る金本さん。

 
「したでしょ、今。あの状態ですることなんてキ」
「してないです!! なにも!!」

 金本さんを遮るように叫んで、後退る。
 私が後ろへ退がった分だけ、いやそれ以上に迫ってくる金本さん。

 もうホントに!

 ほんとに勘弁して……っ!



◇◇◇◇ ◇◇◇◇ ◇◇◇◇



 ついに背中がヘッドボードにぶつかった。
 行き止まりだ。

「雀ちゃん」

 膝立ちの金本さんが目の前まで迫ってきて私の肩を押さえた。
 金本さんは私を捕まえたまま、ずり、とまた私に近付く。ってちょ!? ちょっと!?
 なんで脚の間に入ってくるんだ!?

 近い!!

「言って」

 なにを!?

「さっき何しようとしたの?」

 言えるか! そんなこと!!
 ぶるぶる顔を小刻みに横に振ると、金本さんは眉を寄せた。

「じゃあいい。質問変える」

 はいもう是非! そうしてください! その質問以外ならなんでも!

「雀ちゃんわたしの事どう思ってるの?」

 それもっとダメーーー!!



◇◇◇◇ ◇◇◇◇ ◇◇◇◇



 もう目を白黒させるどころじゃないパニックだ。

「雀ちゃん」
「いやほんとになにもしッ!?」

 ぐっと顔を寄せてくる金本さんに、驚いて口を閉じる。

 ち、ち、ち近い!!
 もう少し寄れば、鼻同士がぶつかる距離! 近い!

 至近距離で金本さんにまっすぐ瞳を見つめられ、相変わらず肩を押さえる手で動きを封じられている。
 どうしようどうしようどうしようと脳内で繰り返し、ゴキュリと大きな音を鳴らして唾を飲み込む。

「言わないと……キスするわよ?」

 口元に笑みを浮かべた金本さん。
 意味分からん!
 何!?

 なんで!?

 キス!?

 どっから話がそんな方向にいった!?

 なんで私がしたい事を金本さんからするとか言い出してる訳!?

 意味分からん!!!!



◇◇◇◇ ◇◇◇◇ ◇◇◇◇



 思考回路はショート寸前だ。
 ほんと、もう、無理。なんか、無理。
 なんでこんな状況に……っ!?

「黙ってるってことは、黙認?」

 ちょっと首を傾げて、金本さんは私に顔を近付けてくる。

「ちょ!?」

 つく! くっついちゃう!! 唇が!!!!
 よくよく考えれば、金本さんとキスできるんだから黙ってじっとしておけばいいのに、そこまで頭が回らない。
 私は出来る限り顔を後ろへやろうとするが、真上を向く訳にもいかないし、体の構造上首から上を真後ろへ引くことはできない。できてもせいぜい、顎を引くくらいなものだ。

 どうにかして彼女との距離を取ろうとする私を、目の前の金本さんは脅してくる。

「だったら、早く言いなさい」

 目。
 目がマジですお姉さん……。



◇◇◇◇ ◇◇◇◇ ◇◇◇◇



「ほら」

 質問に答えるよう促される。
 今度は先程とは違い優しい口調。

 あ、アメとムチ……?

「どんな答えでもいいから」

 そんな事言われても。

「でも」
「言ってごらん?」

 頬に手を添えられて、親指で撫でられる。

 ドキリと一層、跳ねる胸。
 さっき手当てしてもらう時とか、元カレに殴られ倒れた時とかに触れられたけれど、それとは意味の違う触れ方。
 頬を撫でるなんて、意味合いの深い行為を彼女がする理由はなんだ?

「雀ちゃんはわたしを、どう思ってるの?」

 囁くように私に問いかける金本さん。
 彼女の吐息が、唇を撫でていく。
 柔らかく見つめてくる金本さんの瞳が、近い。

 キスするぞと脅してくるくらいの至近距離から、彼女は退こうとはしない。

「聞きたいの」

 優しかった瞳に、どこか切なさが差し入る。

「雀ちゃん」

 私の名を呼ぶその声も、震えた気がした。



◇◇◇◇ ◇◇◇◇ ◇◇◇◇



 彼女が私の頬へ触れていなければ、その指が震えていることに気付けなかったかもしれない。
 ほんの僅かに、はたはたと肌を圧しては浮く動きを感知したとき、私の口は勝手に言葉を紡いでいた。

「私、は……」

 自分の声が、自分のものでないような感覚で耳に届く。
 手が震える程に、あなたは私の事を考えてくれているのか。
 瞳が切なさをみせる程に、私があなたへ影響を与えているのか。

 ただの脅し文句なのか。
 それともキスがしたくて、脅し文句に被せてみただけなのか。

 あなたの気持ちはわからない。
 けど……。

「私は……金本さんが、好きです。……前からずっと、好きでした」

 ずっと、ずっと、好きでした。
 言いたかった言葉を口にした瞬間胸がいっぱいになって、気付いた時には、あっという間に目の縁へ溜まった涙が溢れて落ちる。

 
 私を見た金本さんの目が見開かれた。




◇◇◇◇ ◇◇◇◇ ◇◇◇◇



 驚きによってなのか。
 同性愛の対象として見られたのがショックだったからなのか。

 何によって金本さんが、その表情をしたのか、分からなかった。

 でも私の記憶に、同じような表情をした人がいた。

 過去に、私の告白に驚いて目を見開いた人がいた。

 その人は、しばらく黙っていたけど一言目に、気持ち悪い、と言った。

 思い出したくない記憶が、脳裏にフラッシュバックした。

 目の前にいるのが、過去のあの子なのか、金本さんなのか分からなくなった。

 もう。

 もう、何がなんだか、分からなくなった。

 混乱しきった頭で一つだけ思う事があった。

 ただ、嫌われたくない。



◇◇◇◇ ◇◇◇◇ ◇◇◇◇



 駄目だ。

 違う。

 やだ。

 嫌。

「ちが、嘘です……っ」

 次々、涙が零れていく。
 頭がぐちゃぐちゃで、ただただ、嫌われたくないという呪文だけを繰り返していた。

「ごめんなさいっ、違う、から……嫌いにならないで……っ」

 無意識に、後ろへ下がる体。

「ちが、違うから……っ」

 逃げようとしても、後ろはヘッドボードで下がれない。
 それでも、混乱した頭で体を動かして、彼女の前から消えたいと思った。

「ごめんなさい……っ」

 嫌われたくない。
 嫌われたくない。
 嫌われたくない。
 嫌われたくない。

 お願いだから気持ち悪いって言わないで……!



◇◇◇◇ ◇◇◇◇ ◇◇◇◇



 頬に添えられていた手が、離れた。

 嫌だ……っ!

 涙で、視界がゆがんで、思考も混濁する。

 駄目、嫌、離れないで。
 お願いだから……っ。

 嫌わないで……!

 視界が、真っ暗になった。



◇◇◇◇ ◇◇◇◇ ◇◇◇◇



「大丈夫だから。落ち着きなさい」

 頭に響く、金本さんの声。
 膝立ちになった金本さんの胸に顔を押し付けられて、抱きしめられている。

 あまりの状況に全身の動きも、涙も、息すらも止めて、私は固まっていた。

 ――なん、で…………。

 告白して目を見開いた人なのに、どうして、私を抱き締めてるんだ……。
 何が彼女をそうさせたんだ…………?

 金本さんに抱き締められる理由が分からなくて、でも息苦しさに背中を押されて、呼吸だけは再開する。その時。

「泣かないの。わたしもちゃんと好きだから」

 柔らかな声が告げた。

 言葉が出なかった。

 
 言葉の意味を理解することに全てを懸け、息が止まり瞬き一つすらできないでいると、金本さんがもう一度言った。

「好きよ、雀ちゃんが。大好き」

 確かにそれは金本さんの声で。 
 確かにそれは頭上から降ってきて。抱き締められ密着しているから肌を通じて、声の振動も伝わってきた。

 金本さんが、言ったのだ。

 顔を上げれば、そこには綺麗な表情で微笑む金本さんがいる。



◇◇◇◇ ◇◇◇◇ ◇◇◇◇



 あまりの衝撃と、さらに美しいとさえ思う金本さんを、ぼーっと見つめていたら左目が痛くなった。

 なんか目に……!?
 手で擦ろうとしたら、掴んで止められる。

「ほら、動かない。また血が出てるんだから」

 血!?
 さっきもう止まってたのに!?

 見れば、金本さんの服の胸元にべっとりついた血。

「雀ちゃんがコーフンするから頭に血が上ったんじゃない?」

 冗談っぽく言って、金本さんは服の袖で血を拭いてくれるけどちょっと待った!!

「服がっ」
「いーの。今最高に気分いいからこんな服くらい気にならない」
「でも……」
「黙らないとキスするわよ?」

 う……なんで脅し文句がいつもキスなんだ……?



◇◇◇◇ ◇◇◇◇ ◇◇◇◇



 その後何度か脅されながらも、手当てをしてもらってやっと落ち着く。
 金本さんは一度部屋に戻って、血のついた服を着替えてやってきた。

 また二人ともベッドの上に座る。
 最高に気分いい、という金本さんはずっとにこにこしてて、信じられない心持ちではあるけれどやっぱりそういう事で合ってるんだよなぁ……? と半信半疑で私はおずおずと口を開いた。

「あの……ちょっと状況確認していいですか……?」
「ん? だから、雀ちゃんはわたしが好きで、わたしも雀ちゃんが好き。両想い」
「あ……う……」

 そうハッキリ言われると、恥ずかしいんですが……。
 顔に熱が集まる。
 下手するとまた額から血が出そう。

「違った?」
「ち、ちがいませんケド……」

 違いはしないけれど、どうしてそう真っ直ぐな物言いなんだ。
 金本さんは恥ずかしくないのか?
 こちらとしては体温も上昇したようで、一瞬で暑くなった。

「もー、なに赤くなってるの。また血が出るよ?」
「だって……」

 赤いと言われた顔を隠したくて、ちょっと俯く。

 もうちょっとこう、恥じらいというか。そりゃあ両想いになれて嬉しいけどやっぱ、なんていうか、恥ずかしいというか、もじもじしたいというか、そういう物があるだろうに。
 や、でも金本さんは大人だから、そういうのも無いのかもしれない。
 そんなことを思っていると、名前を呼ばれたので顔を上げる。

 唇を奪われた。



◇◇◇◇ ◇◇◇◇ ◇◇◇◇



 目を閉じる暇もなく、金本さんが離れて、私は固まっていた。
 か、か、か、キ……キ……。
 金本さんとキス…………っした!?

 感触はどうだったかなんてほぼ思えてない。
 印象に残っているのは、超アップの彼女の傾けられた顔の上半分。記憶の端には、ふにっとしてた……? という感触の名残りがある。

 でも状況から見ても、私は確実に、金本さんにキスをされた。

「……」

 ごきゅりと唾を飲み込んでいると、間近で微笑まれ、目が泳ぐ。
 な、なんでそんな余裕なんだ金本さんっ、恥ずかしいっ。恥ずかしすぎるぞなんだこれっ!

 でも金本さんは、

「も1回?」

 とか聞いてくる。
 恥ずかしい。めちゃくちゃ恥ずかしい。
 ケド。もちろん、頷く。

 小さく笑った金本さんが今度はゆっくりと近付いてきた。
 不意打ちではないキス。そっと唇は重なった。

 軽く合わせただけなのに、頭がしびれるような感覚。
 さっきは記憶の端にしか残らなかった柔らかさを、そして相手の温度を確かに感じる。

 暑いと感じていた体の中心が、更に熱を孕む。
 心臓の所が熱い。でも、嫌な感じはまったくなくて、湧きあがるような蕩けだすような熱。

 触れ合わせるだけのキスはすぐに解かれたけれど、離れてもすぐ追って、また重ねる唇。
 私が追いかけた事に彼女はすこし驚く様子を見せたけれど、ほんのすこしだけ吐息で笑って、キスを続けてくれた。

 ――好きな人とするキスが、こんなにも離れ難いものだったなんて……。

 幸せすぎて、また、涙が頬を伝った。



◇◇◇◇ ◇◇◇◇ ◇◇◇◇



「泣き虫」

 二人で私のベッドに入ると、くすくすと笑いながら金本さんが私の頬を指で撫でた。

「すみません」
「素直でよろしい」

 えらそうにする彼女に、自分だって今日泣いたくせに、と言うと撫でた頬をつままれた。

「いらいれふ」
「余計な事言うからよ。そんな悪い口は塞がなきゃね」

 キスされる。
 何度も何度も、角度を変えて重なる唇。

 触れるだけのキスより、何歩か先を行くような啄むキス。
 彼女が私を啄む行為に、背筋をゾクゾクした何かが走り、下腹に熱が宿る。

 たまらず、金本さんの腰あたりに触れさせていた手を、服の中に滑り込ませた。



◇◇◇◇ ◇◇◇◇ ◇◇◇◇



「こーら」

 服の中に入れた手を掴まれて、引っ張り出された。

「……だめですか?」
「そんな可愛い顔してもダメ。頭打ってるんだから、激しい運動はダメ」

 激しいって……金本さん。そんなにハード……なの?

「平気ですよ、たんこぶ出来たくらいですもん」
「ダメ。昔飼ってた犬が頭打った次の日死んだんだから」

 それは……ご愁傷様です……。

「病院行って、検査結果でるまでお預け」
「ええ!? 検査!? 結果ってでるまで結構日にちかかりますよ!?」

 ベッドから飛び起き非難の眼差しをぶつけると、金本さんは無言で寝返りをうって背中を向けた。

「かぁねもとさーん」
「おやすみ~」
「ちょっとー!?」

 肩をゆさゆさすると、ダメなものはダメ! と言われる。

「……」

 私はガックリと肩を落とした。



◇◇◇◇ ◇◇◇◇ ◇◇◇◇



 冷たい背中に、溜め息をつき大人しく彼女の横に寝転ぶ。
 寒くないように彼女に布団をかけ直していると、首だけで振り向いた金本さん。

「諦めた?」
「ダメなものはダメらしいですからね」

 ふてくされて言うと、金本さんはちょっと笑う。

 私にする気が無いと分かって安心したのか、寝がえりをうち、腕枕をせがんでくる彼女は可愛い。
 可愛いけど……けど……。

 したいなぁ……。

 恨みを込めて、少し強引に彼女を抱き寄せて目を閉じた。



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