◇◇◇◇ ◇◇◇◇ ◇◇◇◇
まじか。
まーさん!
まーさんまーさんまーさんまーさんまーさんまーさんまーさんまーさんまーさんまーさんまーさんまーさんまーさんッ!!
来た! なんか黒くてサラサラヘアで、エロ目? っていうの? 細い目の男が、1階のセキュリティドアを私の後ろについてくぐったんですけどまーさん!!
い、いい一緒にエレベータも乗って、何階か尋ねれば6階だって言うし!!
ど……どうしよう……。
でもまだ、金本さんに危害を加えたわけじゃないし……「黒くてサラサラヘアで、エロ目」っていう条件は揃ってるんだけど、この人がまーさんの言ってた人物かどうかは分からない。人違いとかで「あなたストーカーですよね」だなんて言えないし……とりあえず様子見だ。
◇◇◇◇ ◇◇◇◇ ◇◇◇◇
この6階の廊下を一番奥まで歩けば私の自宅があり、その手前が金本さんの家。そういう部屋配置なんだけど、自宅へ入る寸前横目で窺うと、男は私の後ろを少しだけ距離を開けて歩いてきていた。
警戒しながら玄関のドアを閉め、瞬間的に飛び出せるようにカギは閉めない。で、金本さんには申し訳ないけど、左隣の壁に耳をくっつけ、息を潜める。
ほどなくして聞こえたのは、玄関のブザー音。
我が家のではなく、隣の、だ。
それから、廊下を奥から歩いてくる足音。ドアチェーンを外す音。鍵を開ける音がして、扉が開いた。
自宅の玄関のドアノブを握る手に、自然と力が入る。やばそうなら、即座に飛び出そう。
ゴクリと唾を飲み、私はじっと聞き耳を立てた。
「なにしに来たの」
「何って」
「帰って!」
微かに聞こえた会話。
最後は男性を遮るように言って、ドアをばたんと閉めた金本さん。
声を聞く限り、怒っているように感じた。
「……」
金本さんがドアを閉めてからもしばらく様子を窺っていたが、再びブザーは鳴らなかったし、ドアを叩く音も聞こえなかった。
金本さんがリビングへ戻る足音は聞こえなかったけれど、表にあの男が居るのは解っているだろうから、多分足音を忍ばせて部屋に戻ったんだろう。
これ以上は何も起きないか、とほっと胸を撫で下ろし、私は壁から耳を離した。
いつでも飛び出せるように手をかけていたドアノブ。それを放そうとして思っていた以上に手が強張っている事に気付き、私は苦笑した。
「なにやってんだよ……」
未だに避け続けられているのに、帰ってきて靴も脱がず、鍵もかけず、飛び出す準備までして。
自分が飛び出したからと言って状況が悪化するかもしれないのに。
助けたからと言って、前みたいに金本さんが私と喋ってくれるかもしれないのに。
久しぶりに聞いた金本さんの声は、短い上に怒っていた。
強い語調の声でも、聞けて嬉しいと思ってしまう私は、どうかしていると思う。
◇◇◇◇ ◇◇◇◇ ◇◇◇◇
告げ口……するべきか。しないべきか。
何かあったら連絡して、と言われたものの……。
何かはあった。でも金本さんは一人で撃退した。これで事が丸く収まれば、まーさんに連絡してもいらない心配をかけるだけになる。
…………どうしたものか。
しかも、金本さんは私の事を避けている。
避けている人間からまーさんへ連絡を無断でして「余計な事しやがって!」とならないとは言い切れない。
だからまーさんへの報告で、私が余計嫌われたり避けられたりするかもしれない。
それは避けたい。ものすごーく避けたい。
だからあの男が来たその日のうちに、まーさんへの報告が出来ず、そして引き続き翌日、大学で講義を受けている間中も悩み、無意識にペンを手の上で遊ばせていたらしく、隣にいた友人に、
「ペン回しの大会出るの?」
と呆れ顔をさせてしまう程だった。
「……悩み? 聞こうか?」
「んー……や、だいじょぶ。ありがと」
「あんま悩まないでよ? 金とるよ」
「意味分かんないって」
なにかにつけ、金を要求する友人。心配してくれているのは、ありがたい。
「ローンあるから相談料払ってる暇ないよ」
「あんだけバイトして金ないとか言う?」
この友人曰く、働き過ぎて大学生生活を謳歌してないのはもったいなさ過ぎて卒業して必ず後悔する! というくらいに私の生活は見えるらしい。
「過労死するよ?」
更に、呆れ顔をさせてしまった。
◇◇◇◇ ◇◇◇◇ ◇◇◇◇
黒くてサラサラヘアで、エロ目な男が金本さん宅を訪ねた翌週の、水曜の夜。
まーさんまーさんまーさんまーさんまーさんまーさんまーさんまーさんまーさんまーさんまーさんまーさんまーさんッ!!
黒くてサラサラヘアで、エロ目な男が!
金本さん家のドアに手をかけて、中に入れろ的な雰囲気をかもしだしてるんですがッ!?
エレベータから降りたすぐの所から、廊下をずーっと行った先。遠くから見ても一発で分かるぞなんだあのストーカー行為は!!
これはもう通報だ!
まーさんに? 警察に? どっちがいいんだ!?
とりあえず、まーさんだ!
物陰に隠れて、携帯電話を取り出す。まーさんの番号を呼び出し通話ボタンを押して、3コール目を聞く頃には、手に汗がべっとりだった。
◇◇◇◇ ◇◇◇◇ ◇◇◇◇
『もしもし?』
まーさんは私の番号を知らないから、ちょっとよそ行きな声音で、探るような口調で電話に出てくれた。
だけどそんな彼女に丁寧に自己紹介している余裕などなく、私は小声で、そして早口でまくし立てる。
「まーさん安藤雀です! 今金本さんちに男が来てます!」
『え? はぁ!?』
勢いで私が喋ったのを彼女は理解した途端、叫んだ。まーさんの声が耳に響き、片目をつむって携帯電話を耳から離す。
『ちょ、今!? 平日なのに……ってヤツは休みか! 待っててあたしすぐ行』
「帰ってってば!!」
まーさんの言葉が終わるか終わらないうちに、金本さんの叫び声が聞こえた。
咄嗟に物陰から窺えば、僅かに開いたドアの隙間に男が腕を突っ込んでいた。
肘近くまで腕を入れてて、ガチャガチャ音がするから、たぶんチェーンを外から外そうとしているんだと思う。
「まーさん待ってらんないですっ! 切りますよ!」
『えちょ待ち』
私は物陰から飛び出した。
◇◇◇◇ ◇◇◇◇ ◇◇◇◇
落ち着け。冷静に考えろ。
早足に歩きながら、私は深呼吸を意識した。
この状況に私がパニクッた状態で突っ込んで、かき乱して終わりにはできない。
左手に持った携帯電話で110を押しておいて、通話ボタンを押せばいつでも掛かるようにしておく。
利き手はすぐに反応できるように空けておく。
大丈夫だ、あの人大柄じゃない。どちらかといえば細身な方だ。なんとかなる。
……こんな事なら、結構前に店長に勧められたスタンガンとか催涙スプレー買っとくんだった。
後悔してももう遅い。後から悔いるから後悔なんだ。とか訳の分からないことを考えながら、もう一度大きく息を吸う。
「でかい声出すなってとりあえず中入れろっ」
マズイ事をしている自覚はあるらしい。潜ませた声で怒る男がドアを引っ張り、ガシャンとチェーンが音を立てた。
どうやら外からチェーンを外すのは失敗したらしい。
まぁ、それはそうだろう。外からチェーンが外せたらそれはもう欠陥品だ。
「だから嫌だってば帰ってっ!」
「話聞けってば愛羽っ」
あ。
金本さんを下の名前で呼ぶの聞いたら……。
なんかイラっときた。
◇◇◇◇ ◇◇◇◇ ◇◇◇◇
靴音を立てないように歩いてきた私は、落ち着け落ち着けと脳内で繰り返していた割に、「愛羽」と呼んでいる男にキレていたんだと思う。でもそれは、あとから思い返せばそう思えたというだけの話で、現状では「ちょっとイラってきたな」という認識くらいしかなかった。
だから、男に話し掛ける時、随分と近くから声を掛けたんだと思う。
「あの、お兄さん」
おまえなんかオッサンで十分だけどな! と胸中で吐き捨てつつ、「な、なに?」とこちらを振り返る男を刺すようにきつく見た。
結構睨みをきかせてしまっている気がするけど、ちょっと表情がコントロール不可。
私が随分と近くに居て、びくっと肩を跳ねさせた男はドアにかけていた手を外す。
あ、こいつ……よく見れば靴をドアの隙間に挟んで、閉められないようにしてやがるっ。
だから金本さんは先週みたいにドアを閉めて追い払えなかったんだ。
「もう少し冷静になったらどうですか」
「なに?」
私の登場に驚いたものの、気を取り直したのか男はこちらへ向き直る。
なんでお前が口挟んでくるんだ、って雰囲気をその全身から感じるが、別に怖くない。
だがこれで、男の足先はドアから抜き取られ、ドアは閉められるようになった、と。
「嫌がってるの、分からないんですか」
「はぁ? なに、あんた」
「隣に住んでる者です。あなたは?」
「あんたに関係ないだろ」
「関係なくても、嫌がってるのは傍から見ても分かります。やめてあげたらどうですか」
「だからお前に関係ないっつてるだろ」
くっそ、腹立つこの男ーっ!!
イライラMAXだ。
初対面の私を、あんただお前だと呼びやがって……!
こっちは一応丁寧に喋ってんだろうが!
額に青筋が浮かびそうになった時、ドアの内側からガチャガチャと音がし始める。
なんだ? と男から初めて視線を外してチラとだけ見遣れば、金本さん家の玄関のドアは完全に閉じられているが、その向こう側が音の発生源みたいだ。
まさか金本さん、ドアチェーン外して出てこようとか思ってないだろうな? と危ぶんだ瞬間、
「待って雀ちゃん……っ!」
と聞こえてきた。
おいおいおいその感じ、絶対チェーン外して出ようとしてるよな。
この状況、金本さんは出てきちゃ駄目だろ。
「いいから……っ!」
「ほら愛羽もいいっつってんだろ」
男は親指でクイと閉じているドアを指し、どこか勝ち誇った表情を浮かべている。
金本さんにいいって言われても腹立たないけど、この男に言われると腹立つ……っ!!
しかも下の名前で呼ぶなーーー!!
脳内でそう叫んだ私は、
「いいこと教えてあげますね」
ツカツカと男へ歩み寄る。
突然見知らぬ人物に寄られた男は突然の接近に気圧され3歩程後退るので、私の読み通りだ。近寄れば退がってくれると思ったんだ。
思惑通りに金本さんの家の玄関前を獲得した私は、開きかけたドアに手のひらを押し当て、完全に閉める。
「ちょっと雀ちゃん!?」
僅かにドアが開いた先の一瞬で、私がドアを閉めた張本人と知ったのだろう。ドアを隔てて「開けて!」と声がする。
が、無視。ていうか出てきたら危ないから出さない。
開けようとする金本さんに負けないように、結構な力を込めながら、私は左手に握っていた携帯電話のディスプレイを男に見えるよう持ち上げた。
「今までの会話、全部ケーサツの人に筒抜けです」
「は!?」
私の言葉にぎょっとして携帯電話を見る男。
瞬間的に110の数字を確認して、流石に警察はヤバイと思ったのだろう。男はは舌打ちをして、すれ違いざまに肩をぶつけてきた。
……んだこの男はぁ!? いくら私でもキレるぞ!?
すれ違った後も首だけで振り返るようにして私を睨み、エレベータの方へ不機嫌な足音を立てて行く男を、これでもかというくらいに睨み返し、エレベータに乗るとこまで見届ける。
腹立つ~~~~~~!!!!
でも!
勝った!!!!
◇◇◇◇ ◇◇◇◇ ◇◇◇◇
よっしゃ! とドアを押さえていた手を離してガッツポーズ! したら、金本さんが飛び出てきた。
「うわっ!?」
「ぅひあぁっ!?」
横から突撃されて、よろけて廊下の壁に手をついて倒れるのは、なんとか免れた。
「ご、ごめん大丈夫雀ちゃん!?」
「だ、大丈夫です。金本さんこそ、大丈夫ですか?」
「わたしは平気。それよりなにもされなかった? 平気? 大丈夫?」
「大丈夫ですよ、なんにもされてないですから。ほらこの通り」
肩をぶつけられたけれど、それでどうこうなる程ヤワな体ではない。
両手を広げてみせると、金本さんは私の全身をざっと見て、ようやくほっと胸を撫で下ろした。
それから眉を盛大にハの字にして、こちらを見上げてくる。
「もう……無茶したら駄目よほんとに……もう、何かあったら……わたし」
言葉に落ち着きがないのは、きっとまだ心が落ち着いていないからだと思う。
あの感じだと金本さんは男とは知り合いだと思うけど、玄関のドアチェーンを外そうとしてくる男なんて、恐怖しか感じられないだろう。
私が来るまで1人であの男と言い争っていたみたいだし、随分と怖い思いをしたんだろうなぁ。
「大丈夫ですよ、ハッタリでどうにかなる相手でしたから」
「…………ハッタリ?」
警察に会話が筒抜けってのは真っ赤な嘘。
私は通話ボタンを押してない状態で、携帯電話を見せたのだ。
彼が勘違いしてくれて助かった。
だからハッタリなのだと説明したら金本さんはチラとだけエレベータの方へ目を向けた。
その顔はどことなく、「彼なら簡単に勘違いしそう」と思ってそうな雰囲気が漂っている。
「ほら、もう遅いんですし、部屋に入ってください」
しかし、あの男が戻ってこないとも限らない。
だから私は金本さんを家に促し、
「でも」
と何か抗おうとする彼女のセリフも遮る。
「いいから。今度はあの人が来てもドア開けたら駄目ですからね?」
まだ何か言いたそうにした金本さんを部屋に押し込み、もう一度言い聞かせ、「おやすみなさい」とドアを閉じる。
さて、と。
◇◇◇◇ ◇◇◇◇ ◇◇◇◇
「……あー……」
1階へ向かうエレベータの中で、壁にもたれかかって胸に手をあてた。
まだドクドクしてる。
脚が、笑う。
力が入らない。
「……」
良かった。無事撃退できて。
殴り合いだとか、取っ組み合いだとか、そういう事になればもう考える暇もなく体が動くままに相手にぶつかっていくだけだ。
でも、今回みたいにハッタリをかます……少し頭を使うような戦いはどうも苦手。
それにあの男、私を本気で睨んでいた。
こちらも負けずに睨み返していたが、誰だって、睨まれたら嫌だし、敵意を向けられるのも嫌だ。
ベトベトに手汗をかいて、それが冷えてきて冷たい手で顔を擦る。
大きく吐く息は少し震えていて、もしかすると自分が恐怖すら感じていたのかもしれないと気付く。
相手はヤクザでもヤンキーでもない。だからあの時は怖くないと思った。
金本さんを「愛羽」と親しげに呼ぶのが物凄く気に入らなくてキレていたから、恐怖感が鈍っていたのかもしれない。
「……こわかった……のか……?」
口に出すと、どっと体が重くなる。
両肩に重りでも付けられたみたいに下方向へ体が沈みそうだ。
「……怖かったのか」
1階に到着したエレベータの扉が開くのを見つめながら、私は呟き、歩き出す。
――ヘタレだなー……私。
歩けば、かくかくと小さく震える膝。
自覚というのは怖い。
言葉に出した途端、こんなにも体が正直になるのだから。
「がんばれ私」
震える脚を叩いて喝を入れ、エレベータから降りて、セキュリティドアの内側でまーさんを待つ。
……あ。一応、大丈夫だったって、メールもしとこう。
◇◇◇◇ ◇◇◇◇ ◇◇◇◇
指までちょっと震えてきて、うまく入力できなかった。
苦労しながら、送ったメールにはまーさんからすぐに返事がきた。
まーさんはあの電話からすぐこちらへ向かってくれたようで、もうすこししたらマンションに着くそうだ。
……出来るだけ早く来て欲しいな、まーさん。
ここ、ベンチとかないから立ってるのが辛い……。
◇◇◇◇ ◇◇◇◇ ◇◇◇◇
「あ」
エントランスに入ってくるまーさんが見えたので、セキュリティドアを開ける為に寄り掛かっていた壁から背中を浮かせる。
急ぎ足でやってきたまーさんは、私の姿を認めると更に急いでくれて、カッカッカッとヒールで走って来てくれた。
「すずちゃん!」
「こんばんは」
「大丈夫だった? ヤツは? 怪我は? 愛羽は? 怪我ない? ケンカしたの?」
質問多っ。
「えーと」
「どうなの!?」
「すみません、とりあえず、肩貸してもらえますか?」
頼れる人がいると、さらに膝から力が抜けた。
◇◇◇◇ ◇◇◇◇ ◇◇◇◇
一通りの事情を説明しながら、エレベータで6階へ向かう。
憤慨しているまーさんに支えてもらいつつ、廊下を歩きながら思う。
こんな情けない姿は、絶対に金本さんに見られたくない。
「大丈夫? 中まで行こうか?」
相手が自分よりも背があるので体を預けすぎていたのだろうか。
相当ふらふらになっているように見えたのか、まーさんが心配そうに尋ねてくれた。
「や、大丈夫です。すみません、ありがとうございました。……あの」
「ん? どっか痛い!?」
「いやその……たぶん不安だと思うんでその……傍に」
隣の家の扉を指差して言うと、まーさんはドンと胸を叩いた。
「任せなさい」
頼もしい。
頭を下げて自宅に入ろうとしたら、まーさんが携帯電話を振って見せてくる。
「何かあったら電話して? メールでもいい。すぐ行くから」
社交辞令とかそんなんではなくて、心配してくれているのがよく分かる声と表情。
少し休めばきっとこの体もシャキッとするだろうに、こんなにも心配かけて情けないし、申し訳なくなってくる。
こんな事なら肩を借りるんじゃなかったなと若干の後悔を胸に、私はコクと頷いて笑みの形に表情を動かした。
「ありがとうございます」
めっちゃいい人なんだな、まーさん。
◇◇◇◇ ◇◇◇◇ ◇◇◇◇
コメント