隣恋 第2話 あれ、今日って何曜日だっけ?

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「あれ、今日って何曜日だっけ?」
「水曜日! 先週も言ってなかったっけ? ……ついにボケた?」
「失礼な」

 だって先週も今週も、昨日ギシアンが聞こえなかったんだから仕方ない。
 ここ最近の私の曜日感覚は、日曜日の長寿アニメ番組ではなくて、例のギシアンで設定されているらしい。
 でも、二週連続でアレが聞こえてこないって事は……。

 ――……まさか別れたのか?

 ふと過った考えに眉を顰めるが、いやいやまさか、とその考えを打ち消す。
 そんなに世の中甘くない。

 昨日は請け負っていた代返が見抜かれたんだから。
 今日だって、抜き打ちテストがあったんだから。 

 どうせ世の中、そんなに、甘くない。


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 ――うーん……。今週も、ないなんて。

 私は自宅のカレンダーで今日が火曜日なのを確認してから、右の隣室との境の壁に耳を押し当てた。

 ギシアンが……やっぱり聞こえない。
 時計を見遣れば、もう十分過ぎる程夜も更けているけど、隣の家での恒例行事が行われていない。

「んんん……これは、まさかまさかの、か?」

 ひひ、と笑ってから、人の不幸を笑うなんて駄目だなぁと思い直す。だが、まぁ、隣人に恨みはないものの、妬みは多少あった。いやでもその妬みはあの可愛い容姿をして夜に結構大胆な喘ぎ声をあげている隣人に対する物ではない。私が多少の妬みを抱いているのは、その隣人を抱く権利を持つ彼氏さんに対して、だ。
 まぁ、世の中に「リア充爆発しろ」という言葉が定着したように、ないものねだりは当たり前。
 見ず知らずの彼氏さんに「ざまぁ」と思ってしまうのも、仕方のない事だ。
 そんなふうに自分を納得させた私は、祝いとばかりに冷えた瓶ビールを冷蔵庫から取り出して、蒸し暑いベランダへと出た。

 やっぱ夏は、月を見ながらキンキンに冷えた瓶ビールを、暑い場所で飲むに限る!

「……枝まめ……は昨日食べたか」

 つまみがナイ。
 なんてこった。

 軽く舌打ちして、私は瓶をあおる。

 上を向いたついでに、月を探すけど、見当たらない。
 雲の中かなぁ? いや、もう見えない真上まで昇った? とか思いながらベランダから身を乗り出して月を探してると、隣の人と目が合った。


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 それはそれは、驚いた。

 そうして口に含んでいたビールが気管へと入りそうになって、噎せ込む。
 ぜぃぜぃ言うくらいに、咳を繰り返してると、隣のベランダとの仕切りの壁の横から身を乗り出して顔を覗かせた隣人が、心配してくれる。

「だいじょうぶ?」
「や、大丈夫です大丈夫」
「本当に?」
「ええ、大丈夫です。びっくりして、ちょっと」

 ハハハと笑ってみせると、向こうもちょっと笑った。

 ――か……! 可愛い……っ!

 ぎゅいんと心臓の真ん中へ、矢が刺さる。
 ふわふわ系の容姿に似合う笑顔、超かわいい……!

 私は心の中で叫んで、拳を握り締めて突き上げた。

「なんか、落ちるんじゃないかと思って見てたの」

 確かに、彼女と目が合ったとき、私はベランダの塀から乗り出すよう上半身を外へ傾けていた。
 なるほど、だから、この人は私を見つめていて、目が合ったのか。

「あー……月を、探してて」
「月?」
「見ながら飲むの、好きなんです」

 変な人、とでも思ったのだろうか。
 彼女は「そっか」と呟くよう言って、私が指差した月を見上げて黙り込んでしまった。

 おお……月よ。
 思いっきり、見える位置に居るのはなんでだ。
 乗り出して真上を探していた私が馬鹿みたいじゃないか。


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 向こうが特になにも言わないので、こっちも黙ったままだった。

 ベランダにビール片手に出てきた時は、まさかこんな展開になるだなんて、予想すらしてなかった。
 だからテンパって「今日は静かなんですね」なんて言わなかったのは上出来だと思う。

 そんなふうに口を滑らせてしまえば、毎週ナニを私が聞いていたのだと彼女に教えることになる。
 それはいろいろと、マズイだろう。

 なんか言うべきかな。や、でも無言で可愛い人と飲む酒は中々美味なわけで、不躾な会話を発生させてこの時間を終わらせたくないというか、なんというか。

 瓶をちびり、ちびりと傾けていると、月がまた、雲の中に隠れてしまった。
 人が居なくなる事を、雲隠れするなんて言うけれど、語源はココから来たのか?

 そんなどうでもいい事を考えていると、突然、彼女が口を開いた。

「かっこいいね、瓶ビール」

 驚いて、彼女の方を見る。
 突然、褒められるとは思ってもみなかった。

 しかも、かっこいいの言い方が、かわいい。
 発音的に、「かっくいい」に近い喋り方が、えらくお茶目だ。

「……そっすか?」
「うん。アメリカの人みたい。……ね、ビールっておいしい?」

 隣人さんは飲まないのか、ビール。

「ノドゴシで飲むもんっす。味は苦い」

 ふーん。と難しそうに顰めた視線で茶色い瓶を眺めて、隣人さんは首を傾げた。

 ――可愛い仕草だ。

「一口、くれる?」

 一口といわず、どうぞどうぞ。
 コクコク頷いて、仕切りの壁越しに立つ彼女へ、手渡す。

 結露で濡れた瓶に指を滑らせ落としてしまわないように気を付けて、小さなその手に、瓶を預けた。
 私から受け取った彼女が迷う事もなく、瓶に唇をつけているのを見て、私は一気にボルテージが上がる。

 間接キィーーーーッス!! じゃないか。


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 そんなキモイ事を考え、喜んでいる私が隣の住人の正体だとは思ってもいないのだろう。隣人さんは瓶を持つ手を、こちらへ伸ばしてきた。

「ありがと」

 渋い顔でビールを返してきた彼女が、口をすぼめたりしているので、つい笑う。
 明らかに、美味しくない、とその表情が語っている。

「マズイっすか」
「んー。おいしぃ? これ」
「ノドゴシが」

 だから味自体は苦いんだってば。と心の中でツッコミながら、私は残り少なくなった瓶の中身を呷り、間接キスを済ませた。
 うん、美味い。
 で、キモイ、私。

「はー……おいしそうに飲むね」
「そりゃ美味いっすもん」

 もう無くなったけど、と瓶を逆さにして振ると雫が散る。
 隣人さんの顔には「そんな苦い物が美味しいの?」と書いてあったけれど、すぐに気を取り直した様子でニコリと笑った。

「じゃあお開きかな。ありがとね」
「うぃ」

 手を振って、隣人さんは仕切りの壁の向こうへ引っ込んだ。
 それからすぐ、ベランダの戸が開閉する音が聞こえて、私も倣って部屋に戻る。

 ふおーーー。

 ベランダのドアの脇にあるベッドへ、ぼすん、と腰を下ろした私は、自分の口を手で覆う。
 その手の中で微かに香るビールの匂いを嗅ぎつつ、今になってドクドクと走り始めてきた心臓を意識する。

 喋っちゃったよ……ギシアンしてた可愛い隣人さんと。
 しかも間接キス付き。

 ――やっべぇ、超テンション上がるじゃん。眠れるかなぁ。

 とりあえず込み上げる何か熱い物を堪えきれず、バンバン! とベッドを叩いて暴れてみた。


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