隣恋 第19話 翌日、講義を受けていると

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 翌日、講義を受けているとポケットに入れていたケータイが震えた。
 なんとなく誰からの連絡かはアテがついていたし、授業中なのでそのままにしておく。ほどなくして着信パターンのバイブは大人しくなった。
 休憩になってからケータイを見てみると、やはり店長からの電話だ。
 すぐに通話ボタンを押して、コール音を聞きながら手を振ってきた遠くの友達に振り返す。

「あ、もしもし店長? なんでしょうか」
『あのねぇ……なんでしょうかじゃないでしょ! なんなのあの留守番電話!』

 絶対大きい声で怒られると予測して、電話を耳から離しておいて正解だった。
 店長には珍しく声を荒げている。

 でもそれもそのはず、私がイタズラ電話もとい、恨み電話をしておいたから。
 留守番電話に、時間いっぱいまでお経を唱えて録音しておいたのだ。

『気持ち悪い……昨日アレ聞いて夢見も悪かったんだから』
「私がそんな行動を起こす原因、身に覚えがないとでも? 店長」
『あら、すーちゃん。あれから昨日上手くいかなかったの?』

 上手くって、それどころじゃないですよ。
 結局タクシーの中で、金本さんは一言もしゃべってくれなかったのだ。

 そして、マンションに帰ってからは、それぞれの家に入る直前。最後に一言。

「ごめん」

 とだけ残して、金本さんは目も合わせずに、家に入っていったのだ。



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 思い出しただけでも、溜め息が出る。

 他人からあんなふうに責められたら、普通の人はダメージ受けまくりだっつーのに。
 店長ときたら、私が好きな人にあんなきつく当たって……。
 
 店長が、少なからず私のことを思って金本さんに食って掛かったのが分かるから、店長を一方的に悪者に出来ないがスタッフルームでのアレは流石に言いすぎだ。

 ふてくされる私の耳元で、店長の声はあっけらかんと言った。

『スタッフルームであれだけイチャイチャしといて、なんで押し倒せないのよアンタは』
「はぁ!? 押し倒す!?」
『泣き顔とか、ぐっと来なかった訳?』
「多少きますけど、そんな時に押し倒すべきじゃないでしょう!?」
『馬鹿ねぇ。何も考えられなくしてあげますくらい言って、優しく抱いてあげればいいの。女は泣いてるとき一番人肌が恋しいんだから』

 な、なんか……店長が言うと生々しい……。
 絶句していると、今度は店長が溜め息をついた。

『奥手にも程があるわよ』
「私は! もう秘める恋にしようって決めたんです」
『……』
「店長?」
『……』
「店長、聞いてます?」

 もしもーし、と電波が悪いのかな、とその場から離れようと歩き出したとき、低い声が聞こえた。

『出来る限り、早く、店に来なさい』
「え、でも今日バイトじゃない……」
『来なさい。命令』

 ブチ、と通話を断たれ、私はディスプレイを見つめた。

 ……なんか、めっちゃ怒ってない……?



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 大学の講義を済ませてバイト先に行くと、スタッフルームに連れ込まれた。
 座れ、と言われ、大人しくソファに座ると、店長が不機嫌そうに言い放つ。

「正座」
「え、ソファに!?」
「口答えしない」

 ピシャッと言われ、靴を脱いでしぶしぶ正座をする。
 店長は、普通に座って、長い脚を組んだ。

「いつの間に、そんな事になったの」
「はい?」

 主語がないです。

 聞き返すと、また、店長は不機嫌そうに鼻から息を吐く。

「雀はいつの間に、秘める恋にするなんて事を決めたの。昨日アンタが昨日も今日も明日からも進展はありませんって言ってたの本気だったの? どう考えても金本さんが居るマンションへ帰ったり、金本さんの為に席をリザーブしたり、それらは一度諦めかけた恋を、実らせようと頑張っているふうにしか見えなかったんだけど違ったの?」

 アタシはそう信じて……! と、言った所で店長はぐっと言葉を詰まらせた。
 自分が喋り過ぎていると思ったのか、気持ちを落ち着けるように深く呼吸して、脚を組み直している。

「いつの間にそんな事になったの」

 元々キツイ顔立ち、切れ長の目をしている店長にキッと見据えられると、私は思わず狼狽える。

「だ、だって……」
「だって何よ?」

 うぅ、怒ってる……。
 そっちが聞いてきたのに、答えようとすると睨みをきかすのやめてこわい店長……。

 おびえていると店長は組んだ脚を揺らし、さっさと言え、とばかりに催促してくる。

「だ、だって金本さんには忘れられない彼氏がいるんですよ? その人を想って泣くほどの」

 そんな人に……敵うはずない。

「そんな人がいるのに、私の気持ちを伝えても絶対振られるし、今みたいに話ができなくなったら嫌なんです。彼氏がいるってことはノンケだし、それこそ可能性低いし……だったら、金本さんが辛い時慰められるようなポジションで私はいいんです……!」



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 気持ちを言葉として成し、口から出してみると、いっそう切なくなった。
 私だって……! そりゃあ恋が実ればいいと思う。金本さんが私の彼女になってくれたら、そんな幸せな事他にはないと思えるくらい素敵な生活が待ってる。でも、……でもそんなの無理だ。
 ノンケって条件に、忘れられない彼氏、って条件まで上乗せされたら…………私なんかには太刀打ちできない。

「……無理ですよ……」

 心の底から思う言葉を紡いだのは、ひどく情けなくて、ひどくか細い声だった。
 家で、1人で金本さんの事を考えた時ですら我慢できたのに、どうして店長相手だと、こうも簡単に本音が零れてしまうんだろう。

 ぐっと握った拳を正座した腿において、それを見つめる。
 知らないうちに力を入れ過ぎて、白くなっている手。力を入れ過ぎていると判ったのに、自分では緩める事さえできなくて、筋張った手の甲をただ見つめて、奥歯を噛み締めた。

 いっそ、この掌に爪が食い込んで皮膚が裂けて血が流れたら、胸の痛みが少しは誤魔化せるのだろうか。

 どうやったらこの心臓が絞られるような痛みは減る?
 そもそも、そんな方法があるのか?
 物理的ではない痛みに効く治療方法なんて、私は知らない。
 唯一、知っている方法は……時間が経つまで耐えること。痛くても切なくても悲しくても、日々痛みを感じながらそれを何かしらで誤魔化しながら、生きるだけ。

 誤魔化す方法で最も有効なのは……熱を交わす事だけど……今、そういう気分には到底なれない。

「雀」

 私の名前を、柔らかい声が呼んだ。
 考えに埋まりかけていた思考を掬うようにして浮かせてくれた店長の手が、私の拳に乗せられた。
 強張っている指を緩め、解くように扱いながら、店長もう一方の手を私の頭に乗せる。

「雀は直接聞いたの? 金本さんには彼氏がいるってこと」

 首をふる。
 でも、毎週火曜日聞こえてたもん。
 それに、あの夜「好きな人に好きな人がいたらどうする?」って聞かれたもん。

「だったら、金本さんが誰を好きかハッキリ聞いてないのに、諦めてどうするの?」
「聞いて、どうなるんですか……」
「アンタが言うポジションってのは、金本さんがどういう相手を好きでいるのか知らずに務まるの?」
「……」
「彼女がどんな相手を好きで、どんなふうに悩んでいるかを知らずに、いい慰めが出来る?」
「……わかんないです……」

 確かに、あやふやな情報ばかりだと、確かな事が言えなくて困るのは目に見えている。

「出来ます、って答えられないんだから金本さん本人を目の前にして、彼女に泣き付かれたとしても、上手く対応できないかもしれないわね?」
「……ハイ……」
「だったら、きちんと金本さんの好きな人を確認しなさい」
「……」
「まずはそこ。……それに、恋の相談をしているうちに相談相手とくっつくパターンなんてごまんとあるでしょ?」

 ぽすぽす、と頭を軽く叩かれる。
 多分、店長が行き着かせたいのは、そこだ。

 今は私に合わせて説得するように道筋を立てて話をしてくれたけれど、この人は結局、私と金本さんをくっつけたいのだ。

「……どうして、ですか。店長はすごく……応援してくれてる」

 あなたがサポート態勢で居てくれてるのは解っているんだ。でも私の心の整理がつかなくて、勇気が出ないんだ。
 そう伝えたくて尋ねてみれば、店長はちょと笑ってこう言った。

「アンタがこんなにも欲してる人間だもの。金本さんだったら、雀を幸せにしてくれそうだと思うからよ」

 金本さん本人には、昨日あれだけめたくそ言ったくせに、いけしゃあしゃあとしている。
 でも、「次また雀を泣かせたら倍返しじゃあ済まないけどね」と言ってくれる所は、なんだか店長らしいなと思った。



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 バイト先から帰ってきて、夕食をとった頃にはもう、日が暮れていた。
 思い返せば店長にはいいようにコントロールされ、金本さんの好きな人はどういう人物なのかをはっきりさせろ、という目標を掲げさせられてしまった。
 でも……その目標が嫌ならばやらなければいいのだ。本当に、嫌ならば。

 チラとカーテンを閉めたベランダのドアを見遣り、少し迷ったけれど手ぶらでそちらへ向かう。
 今日は、飲む気分ではないから、月見だけ。

 空を見上げれば、ぽっかりと浮かぶ白い月。
 ぼーっと眺めていると、浮かんでくるのは店長のあの言葉。

「欲していて……幸せに、してくれそうな人……」

 欲しているのは言わずもがな。
 幸せにしてくれそうな……という部分に至っては……。もし、本当に、そうだったらどれだけいいだろう。

 あの日、ここでしたように彼女をこの腕で抱き寄せられたら。
 そして……キスできたら、どれだけ幸せなんだろう。

 世の中、好き同士が付き合っているカップルと呼べる人達はたくさん居るけれど、”自分が好きな人を抱き締めてキスできる”その事が、どれだけ幸せなのか、理解してるんだろうか?
 それが出来る人達が、心底、羨ましい。

「……はぁ……」

 ベランダの手すりに凭れて、思わず零す、深い溜め息。
 まったくもう。
 店長があんな事言うから、意識しすぎてベランダに出てきてしまったじゃないか。

 もうかれこれここに、20分ほどは居る。
 あわよくば、金本さんが出てきてくれないかなー、と期待している自分がいる。

「前は、見えたから来ちゃった、とか言って出てきてくれたんだけどなぁ……」

 無理か。とようやく諦めて。それでも名残惜しく仕切りの壁に開いたままの穴を見遣った瞬間、動いたカーテン。

「……」

 隣の部屋のカーテンが、惰性でゆらゆらと動いている。

「今……見てた?」

 私があっちを向いた瞬間、カーテンを閉じなかったか……?

 ……。
 ……。
 ……。

 いや!

 気のせいだ!

 うん。気のせい。

 私は決め付けて、部屋に戻った。



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 また数日過ぎたある日。
 バイト疲れた……。
 さすがに、テスト受けた日にバイトするのはキツイな。前日の徹夜がキクわ。

 あくびを漏らしながら、エレベータから降りて廊下を歩く。

「ねっむ……」

 目尻に滲む涙拭うように目をこすると、カッチャンとカギの開く音が聞こえた。
 こんな夜中に……誰がどこに出かけるんだ……?
 夜勤とかならご苦労だなぁ、と思いながらもう一度欠伸をして、自宅のカギを取り出していると、ドアの開閉する音が聞こえた。

「……ん?」

 誰も、廊下に出ていない。
 振り返っても、前を向いても、誰もいない。
 扉が開いて、閉まる音がしたのに……?

 ……ぇ、おばけ?

 私はぶるりと身を震わせ、首を振って、素早く開錠して自宅に逃げ込んだ。

「……うちのマンションって出るのか…………?」

 玄関のドアノブを握ったまま呟いていると、再び聞こえる、ドアの開閉音。
 ぞわりとした肌をさすりつつ、怖いもの見たさで薄ーくうすーーくドアを開けると、廊下を歩いて行く人影。

 あ、なーんだ、金本さんか。コンビニかどっか、行くのかな?

 ……。

 ……。

 1回目の開閉音は、なんだったんだ……?



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 朝、1限目からの受講で、サラリーマン達の出勤と同時刻に登校する日。
 エレベータをまだ寝ぼけている頭のまま、ぼんやりと待っていたら、後ろからヒールで駆ける音が近付いてきた。と思ったら、その足音はエレベータの脇にある階段の方へダッシュ。

 え、ここ6階ですけど!?
 階段で行くの!?
 超急いでるじゃん遅刻!?

 驚いて振り返ると、見覚えのあるスーツ姿が階段を下っていった。

「ぁ……」

 まぁ……あれは見間違いもなく、金本さん……だよな。

 ……。

 ……気のせい。

 ではないのかなー……。



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