隣恋 第14話 ……そろそろ居候やめなきゃなぁ。

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 ……そろそろ居候やめなきゃなぁ。

 私はバイト先のスタッフルームで着替えながら、溜め息をついた。
 昨日、居候先の店長宅で目撃してしまった、二人のラブシーン。
 洋画よりもエロかったし、今の私には刺激が強過ぎた。多分、二人には気付かれないうちにその場を離れられたけれど、しばらくはちょっと、まともに二人の顔を見れなかった。

 しかし、そういう事を自宅でしていても、なんら悪くない。
 悪い物があるとしたら、私という異物があの家に在ること。

「お邪魔虫過ぎるよなぁ」

 二人ともすごくいい人だ。
 おかげで、3日で体重をガクンと落としてしまうくらいへこんでいた私は、少しそれも回復したし、立ち直れてきた。
 先日、金本さんと遭遇したけれど、まあなんとか……やり過ごせた。
 優しい店長と遥さんに甘え続けて迷惑を掛けるのも、良くない。

「よし……!」

 今日、自分ちに帰ろう!



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 頬を叩き、気合を入れ、私は店に出た。

 さて、改めてだが。
 この店「シャム」はこういう経営システムで、日々、お客様を迎えている。

 午前10時~午後6時までは、カフェ。
 午後8時~深夜午前2時まで、バー。

 昼と夜では照明を変えたり、テーブルの並びを変えたりするから、雰囲気も違う店みたいに変わる。

 そして、お客の層も変わる。
 昼は大学生から社会人、マダムなどなど一般的にカフェを利用する雰囲気のお客様が多いけれど、夜には、それががらりと変わる。
 ビアンやゲイがそこそこ来店する。もちろん、ノンケも来店するが、うちのバーは業界では、結構有名らしい。

 ちなみに定休日は、毎週火曜日。

 そんな店の、本日の客入りは……3組で、合計5人。少なっ!?

 ぐるりと見渡した店内は寂しい。
 テーブル席に、カップルが2組。
 そしてカウンター席に多田さん。

「あ。安藤さん」

 そんな嬉しそうに笑顔を向けられても、別に嬉しくもなんともない。
 そもそも私は男に興味がない。
 これが可愛い年上のお姉さんだったらめちゃくちゃ嬉しいんだけど。

「こんばんは。いらっしゃいませ」

 接客用の笑顔を向けながら、そういえばこの間大丈夫だったんだろうかと内心首を傾げた。
 確か、多田さんは泥酔して黒人ゲイにお持ち帰りされてたと思うんだが。

 多田さんの相手をしていた店長は、彼に呆れた目を向けてから、私にこそっと囁いてきた。

「誰かが今日すーちゃんシフトに入ってるって漏らしたらしくて、なかなか帰らなかったのよ」

 8時からずっと粘ってたの、と教えてくれる店長。
 え、今10時だけど……!? 2時間も相手してたのか、店長。

 ぎょっとするも、眉を少々浮かせるだけに留めた私の後ろを通り過ぎながら、

「おかげでイライラしてお腹減ったわ。食べてくるから後よろしく」

 と空腹を訴える彼女だが、きりっとした表情をしているから、お客様からみれば業務連絡をしているようにしか見えないだろうなぁ。

「はい」

 すぐ戻るわ、と言い残し、店長は奥に引っ込んだ。
 それを見送り、バーカウンターの内側に立ってグラスを磨いていた太郎君に、出勤の挨拶がてら目配せをする。
 彼は応じるよう小さく顎を引いたが、磨いたグラスを置きながら肩を竦めた。

 今日はお客が少ないし、ハンカチが必要そうなお客もいないし、暇なんだろうなぁ。
 そういえばこの間、いつものチョコのお礼にと渡したハンカチは使ってくれているだろうか?



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 そんな世間話を太郎君とする訳にもいかず、私は手指消毒を済ませて手持ち無沙汰に多田さんの正面へ立った。
 だって、他に仕事なさそうだし。多田さんはずっと、喋りたそうにこっち見てるし。

「ねぇ、俺さ、今度でっかいプレゼン任されることになって、すげぇ緊張してんだ。準備とかも半端ないくらいしなきゃだし」
「そうなんですか。大変ですね」

 じゃあ帰って準備しろ、と思うのは私だけか。

「そう、大変なんだよ~。だからさ、俺にガンバレ! みたいなカクテル作ってよ」
「かしこまりました」

 ガンバレ! みたいなカクテルねぇ……。

 テキーラ、パイナップル・ジュース、ライム・ジュースをシェーカーに入れ、シェークする。
 オールド・ファッション・グラスに注いで、マタドールの出来上がり。

 マタドール=闘牛士。

 戦え! みたいなイメージで。

 我ながら、適当だ。
 いいのか、こんなんで。と思うけれど、まぁ相手は多田さんだし、いいだろ。

 店長みたいに、カクテルがどういう経緯で出来たとか、詳しい事とか分かんないしな。
 私、ただのバイトだし、バーの営業時間に働くようになったのは大学入ってからだし。

「お待たせしました。マタドールです」

 多田さんの前の空いたグラスを下げて、マタドールのグラスを新たなコースターへと乗せた。



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「闘牛士? いいねぇ、俺にぴったり」

 荒々しい名前に似合わず、フルーティーなんですけどね、そのカクテル。
 まぁ確かにアナタは甘いのがお好きでぴったりでしょうけど。

「うまい!」

 いやぁやっぱ安藤さんは俺のこと分かってる、とか言ってグラスを傾けている彼にバレないように小さく小さく溜め息をつく。

 男だったらもっと、ガツンとくるやつを黙って飲めばいいのに。
 黙って座ってりゃ顔は悪くないからいいんだけど……口を開くとただの馬鹿だっていうのが良く分かる。それでも結構懐具合は豊かな人のようで、その年齢で湯水のように金を使うから、きっと多田さんの実家が金持ちなんだよ、とスタッフで話をしたことがある。

 ちらっと太郎君を見れば、唇の端で、笑ってた。
 絶対ばかにしてるな、多田さんのこと。そーゆー笑い方してる。

 太郎君は辛口のお酒を水みたいに飲む人だから、甘口を飲む男性に心なしか厳しい眼を持つ。
 女の人には、めっちゃ優しいんだけどね。



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 マタドールを飲み干した多田さんがもう何杯おかわりをしただろうか?
 オーダーは「俺の為に」という文言が必ずついてくるし、そこには下心が頭隠して尻隠さずではなくもう丸裸な勢いで見てとれるのでうざい事この上ない。
 しかも、彼は元々話が上手とも言えないし酔っているから喋っていても、つまらない。
 そろそろ飽きてきたな、多田さんの相手。と思った頃にはもう、随分と彼は出来上がっていた。

「ねー。店終わったら、俺と行かない?」
「どこに連れて行ってくださるんですか?」
「夢の世界」

 すでに戻っていた店長が、私の隣でグラスを磨きながらさりげなく後ろを向いた。

 ぜったい、笑ってる。馬鹿にしてる。
 このやろー、私だって必死に笑うの堪えてるんだから。

 なに、夢の世界って。ああ、あれか? かの有名な遊園地がそんな感じの謳い文句を使っていたような気がする。

「遊園地ですか? 今は閉園してる時間じゃないですかね」
「俺は閉園してないよ」
「そうですか」
「安藤さんの失恋、俺が慰めるからさー」

 また失恋とか言う……。
 人の傷心に塩を……この男は……。

 やっとどうにか落ち着いてきたこの傷心に、なんてことをするんだ。
 私はぐっと顔を顰めたいのを我慢して、彼に笑顔を向けた。

「多田さん。もう一杯いかがですか?」
「安藤さんが俺の為に作ってくれたカクテルなら何杯でもいける」

 よしよしなら、これでも飲みなさい。

 ウォッカ、カカオリキュール(白)、ミントリキュール(緑)をシェークする。

 私が何を作っているのか、どのくらいの量を入れたか、目にした店長がちょっと眉を上げたけど、なにも言わなかったので、オールド・ファッション・グラスに注いで、新しいコースターと共に多田さんの前へ静かに置く。

「アフターミッドナイトです。どうぞ」
「いいねぇ~」

 名前が気に入ったのか、はたまた、何か意味があると勘違いしたのか、多田さんはにやにやする。
 ウォッカやリキュールだけで作られたかなりアルコール度数の高いカクテルを、彼は酔った勢いで、一気に飲み干した。



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「ったく……」

 多田さんに聞こえないくらいの声で、店長が呆れたように漏らす。
 もしかしたら今日は店が終わってから叱られるかもしれない。見知った相手な上、うざいからと言っても、流石にあれは飲ませ過ぎだ、と。

 お冷を差し出す店長だが、突然、なにかを思い出したように、手を叩いた。
 虚ろな目をしていた多田さんがその音に反応して、ぱちぱちと瞬きをしながら背の高い店長を見上げる。

「多田さん、そういえば今日、ティムスが来るって言ってたわ」
「ティ? …………ご! ごめん安藤さん、俺今日は用事があるんだった!」

 ティムスとは、こないだ多田さんをお持ち帰りした黒人ゲイの名前だ。

 ――……奥の手、隠してたな? 店長。

 これを言えば、多田さんがさっさと帰ること知ってて今まで言わなかっただろう。

 太郎君がお会計をしているのを尻目に店長を責めるよう睨んでおく。

「だって、お金はあるんですもの、彼」
「見上げた商い精神で」
「悪かったわよ。すーちゃん」
「べつにー、お仕事ですからいーっすけどー」

 多田さんの飲み干した空のグラスやコースターを引っ込めて、カウンターをダスターで拭く。
 カランカランとドアベルの音がしたので、多田さんが帰ったのだと作業しながら耳で知る私だったが、

「いらっしゃいませ」

 と太郎君の声がした為、あれ? と顔をあげそちらへ視線を遣る。
 まだ、多田さんは財布を上着にしまっている途中だった。



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「お好きな席へどうぞ」

 一見さん……つまり、この店を訪れるのは初めての人だ、と太郎君は判断したんだろう。
 優しく声をかけた。
 やり手の彼は、一見さんの女性客にはとても丁寧な接客をする。

「じゃあカウンターにする?」
「うん」

 そんな会話をする二人組の女性を見た瞬間、私は頭を抱えたくなった。

 だって、私にとっては一見さんではない、めちゃくちゃ見知った金本さんとまーさんが、カウンターに座ったのだから。



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「度胸つけとけ、ってアタシ、言ったわよね?」

 囁いてきた店長に、まさか、と目を向ければ、してやったりな笑みが返ってきた。

 な、なんて事を……。店長にハメられた!
 この態度、あの顔。
 どうやったのかは知らないけど、金本さんを店に誘導したのは、きっと店長だ。

「あ、あの時誘ったんですか?」

 顔の広い店長と言えど、金本さんの連絡先までは知らないだろう。
 だから店長と金本さんが顔を合わせた時と言えば、先日、私がバイト終わり深夜に自宅を訪れた時くらいしか思い当たらない。
 あの時二人は廊下で何やら話をしていたみたいだから、きっとそう。そうに決まってる。

 我ながら名推理だ絶対正解だと思いながら訪ねたのだが、店長は首を横に振った。

「あの時じゃないわよ」
「へ? だったらいつ!?」
「秘密。さて、お客様の相手しなきゃ。片付け終わったら、こっち来なさいね」

 ニヤァっと笑った店長の最後のセリフ…………絶対に逆らえない響きだ……。



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