隣恋 第13話 こんばんは。

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「こんばんは。夜も遅いのに出かけるのかしら?」

 バタンと勢いよく閉まったすーちゃんの家の扉。
 アイツにしては珍しく、この夜中に荒っぽい音を構いもせず、立てた。
 つまりそれだけ、彼女が動揺している。

 それは、この金本さんが自宅から突然顔を出した時から明らかだった。
 アタシが後押ししないときっとすーちゃんは足を止め、なんなら手にしていた郵便物を廊下の床へばらまいていたかもしれない。
 そのくらいに、この金本さんは雀に対して影響力が大きい。

 すーちゃんへ話し掛けさせない為にも、アタシは廊下へ残り、問題の人物へと話し掛けた。

「こんばんは。ちょっとコンビニに」

 廊下の壁に背中を預けて、ゆっくりとタバコをふかす。
 そそくさと立ち去る様子もなく、彼女はこちらを見ている。値踏みするような目の色を隠そうとはしているが、隠れていない。
 まぁそれもそうよね。
 すーちゃんと連れ立って顔を合わせるのはこれで2度目。
 金本さんにしてみれば、関係性を探りたい心境であろう。

 アタシに興味を持っているのをいいことに、アタシはもう一度深く吸い、煙を遠慮もなく吐き出した。

「雀と、仲がいいの?」

 ぴく、と彼女が反応した。

 ――あら、いい反応。

「仲がいい、というか……」

 言い淀み、戸惑うような、悩むような仕草。
 中途半端な反応に、アタシはまだ判断を下せない。

 もう少し……探りたい。

「そう。なら良かったわ」

 何か後が続きそうな彼女のセリフを遮るように言って、憎たらしく見えるような表情をして見せた。
 ハル曰く、「怜はパッと見、きついんだからもっとにこにこしなさい?」という顔立ちをしているアタシには造作ない。

「仲が良いって即答されたら、忠告しとかなきゃと思ったんだけど、そこまでではないみたいだから」
「忠告ってなんですか」

 アタシの言い方に、カチンときたらしい。
 彼女はむっとした表情を隠そうともせず、アタシに半眼を向けてくる。
 先程言い淀んだ重たい口が、急に流暢に、反抗的な言葉を吐く。

 罠にかかった獲物は、可愛い可愛い兎ちゃんと言った所かしら?

「雀に、ちょっかい出さないでくれる? って言いたかったの」
「……。雀ちゃんのなんなんですか、あなたは」

 あら?
 なかなか骨のある反抗。
 兎よりは大物……女鹿くらいかしら?

 アタシはあえて、ゆっくり、タバコをふかす。味わう為ではなく、目の前の人物を焦らす為に。
 こんなに深く吸っては、すぐに終わってしまうのに。
 深呼吸並みに肺へ取り込んだ煙を、心地良さげに吐いて見せると、金本さんが、明らかにイライラし始めたのが、手に取るように分かった。

「アナタこそ、何?」

 煽るように、鼻で笑う。

 我ながら、悪役が似合う。

「アタシの雀なんだけど?」

 正確には、アタシの(店で働く)雀なんだけれど。
 ちょっとしたセリフのショートカットよ。作為的な。

「……」

 瞬間的に押し黙った金本さんは、唇をくっと一文字に引き結んだ。
 その様子、表情、空気。どれをとって見ても、彼女はかなり、アタシのセリフにダメージを受けている。

 ―― 確定。

 心の中で呟いたアタシは、思わず笑んでしまいそうな表情筋を締め直す為にも、咥えていたタバコを指で挟んで口元から一度離す。

「付き合ってるんですか」

 ん、まだ食いつくとは。いい性格をしている。
 金本さん。アナタになら雀を預けてもいいかもしれないわ。

 満面の笑みの内心を一切隠し、悪役に徹するアタシ。
 部下思いの上司。
 上司の鏡というのはアタシの事を言うのよ。

「どうしてそこまでアナタに言わなくちゃならないの? アナタ、雀のことが」

 ガチャンと扉を開けて出てきたすーちゃんに、思わず舌打ちをしてしまいそうになる。

 早いのよ馬鹿。もう少しで全て吐かせられたかもしれないのに!



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 しかし、出てきてしまったものは、仕方がない。追い返す訳にもいかないし。

「もういいの?」

 紙袋をひとつぶら下げているすーちゃんに声をかける。
 金本さんなどまるで居なかったかのように、真っ先に、すーちゃんを構う。

「はい。お手数おかけしてすみません」
「いいのよ。じゃ、帰りましょうか」

 頷いたすーちゃんを先に歩かせ、金本さんの前を通り過ぎる。
 視線こそ合わせていないが、金本さんには軽く会釈をした彼女の後ろを歩きながら、アタシはすれ違い様にふふんと笑ってやった。
 きっと金本さんは、「帰る!? どこに!? 二人で!?」と焦っているだろうから。
 アナタの知らない場所へ、手の届かない場所へ、アタシが攫っていくのだと知らしめる。

 すると金本さんは、眉をぎゅっと寄せて顔を顰めた。

 ――確定も確定よ。

 廊下を歩きながらアタシは誰にも見られていないのをいいことに、悪役に徹していた顔に、笑みを浮かべた。
 ただのお隣さんの知り合いに、「アタシの雀なんだから、ちょっかい出さないで」といわれて、あんなにも傷ついた顔する女がどこにいるの。

 雀、諦めることないわ。
 アンタたち、両想いじゃないの。

 自信持ちなさい。

 とは、思ったものの。

 現状、すーちゃんは「金本さんは浮気した元カレがまだ泣くほど、自棄酒するほど好き」と思っている。
 金本さんはきっと「この時間に二人で帰る場所なんて……。この二人付き合ってる……!?」と思っている。アタシが今し方思い込ませた。

 だからこのままだと、アタシがこの二人を引き裂いただけなのよね。
 ちゃんと、修復の糸口を作っておかないと。

 エレベータに乗り込んだアタシとすーちゃん。
 ちょうど、金本さんの所からアタシたちが見える。

「すーちゃん!」
「うわっ?」

 エレベータの扉が閉まる前に彼女を抱き締めた。そうすると、すーちゃんは咄嗟にアタシを押しのける。

 横目で金本さんがこっちを見たことを確認して、アタシは閉じるボタンを連打した。



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 急に大きな声を出してアタシが抱き着いたものだから、すーちゃんは驚いただろう。普通なら、びっくりしてこの子は体を固める。
 でも、まるで反射のような動きでアタシを押し退けたということは……きっと、そういう体の接触にトラウマを抱えてしまっているのだろう。

 まったく、あの女も厄介な事をしてくれたものよ。
 骨はあるけれど、行動は要注意、という所なのかしら?

 エレベータのドアが閉まる頃には、すーちゃんは端まで逃げ、こちらを不機嫌というよりは怪我を負った野良犬みたいな眼で見てくる。

「……なにすんすか」
「秘密」
「はぁ……?」
「アンタはまだ知らなくていいわ」

 今、アタシが「二人は両想い」と言ったから、どうなるというのか。
 もし状況が好転する展開になったとしても、他人が直接的に手を加えた展開で手に入れたパートナーと、人生の困難を乗り越えていけるだろうか?
 きっと、無理だ。
 何かにつけて、人の手を借り、それ無くしては続けられない関係になってしまう。
 それでは駄目だ。
 この雀には、きちんとしたパートナーが必要だから。
 
 アタシはタバコの吸い殻をおさめた携帯灰皿を懐へ仕舞い込みつつ、首を横に振った。
 悪いけれど、アンタには試練を乗り越えてもらうわよ。

「……金本さんとなに話してたんですか?」
「気になるの?」
「……」

 自ら彼女の名を出したすーちゃんを見遣れば、狼狽えたよう口を噤む。
 そんなにも彼女が気になるならば、目のひとつでも合わせて、世間話でもすればよかったのに。
 素っ気ない会釈しかしなかったのは、アンタでしょうが。

 金本さんに修復の糸口を与えたように、この子にも、それが必要か。

「アタシはね、無理に忘れることないと思うわよ」
「ぇ……でも」
「あと、隣に住んでるんだから顔合わせるのは当然よ、さっきみたいにね。その時、普通に出来るくらいの度胸、つけときなさい」

 反論しようとする台詞を遮り、すーちゃんには大きすぎるくらいの課題を言い渡したアタシは、内心溜め息を吐いた。

「……はい」

 無理。出来ない。とは言わない。
 言われた事に従ってしまうこの子の、酷く従順で、不器用で気の弱い所に。そして、言われた課題をこなしてしまう有能さが時に、可哀想になる。

 それに付け込み、年齢に似合わぬ成長を与えるアタシに出会ってしまった事を、可哀想に思う。

「いい子ね。素直なとこ、好きよ」

 この子が密やかに求めて已まない餌を与えて、自分の都合の良い未来を作り上げるアタシに頭を撫でられ、少し嬉しそうに俯く彼女を、アタシはどうしてやれるのだろう。



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