隣恋 第12話 いってらっしゃーい

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「いってらっしゃーい。しっかり勉強してきてね」

 ぱたぱた手を振られ、照れる。

 ――店長……毎日こんな可愛い見送りしてもらってるのか。羨ましい。

「行ってきます」
「はーい。早く帰ってきてね」

 遥さんに手を振り返して、背を向ける。

 エレベータを待ちながら、今日の夕食はなにかなと考える。
 昨日はグラタン。一昨日はとんかつ。

「うーん」

 エレベータに一人だったもので、声を出して唸って、腕を組む。
 そうこうしてると、ポケットで携帯電話がバイブ機能で震え、メールの受信を知らせる。

 見てみれば、遥さんだ。

『今日の夜は、さんまです。OK?』

 さんま。
 そうか、そろそろ、美味しくなってくる時期だ。

 OKですと返信をすると、しばらくして、また遥さんからのメール。
 題名に、『頼める?』と見え、何かと思えば本文に、買い物リスト。

 了解とメールを返し、ポケットに携帯電話を突っ込みながら、ちょっと同棲カップルみたいだと思ってしまった。が、即座に脳裏に甦る店長の声。

「遥かに手出したら、どうなるか分かってるわよね」

 疑問符さえも語尾に付いていないような声音で。普段は「ハル」と呼んでるくせにそれすらもしなくて。
 本気と書いてマジと読む。みたいな眼をした店長に、事前忠告を受けた。

 店長の恋人に手を出す気は元々、さらさら無いです。と即答で述べた。

 今思い出すだけでも、あの眼は背筋が冷えて肌が粟立つ。

 店長が無理矢理、居候させ始めたクセに。

 あ、改めまして、私、今、店長と遥さんの愛の巣に、居候してます。



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 というのも。

「金本さんと顔合わせると、辛いし、どうせ、ときめくんでしょ。だったらウチにしばらく居なさい」

 バイト終わり拉致られ、連れてこられた店長の家。
 全てを告白して慰めてもらった翌朝、朝食をいただきながらそう言われた。

 遥さんも便乗して「生きた攻略本なら大歓迎よ」とか優しい目で言うし、ついホロっときて申し出を受け入れてしまった。

 それからはたまに、着替えとか勉強道具を取りに帰るくらいで、自宅に寄り付いていない。

 まぁ、ペットも飼ってないし、いい機会だから、スッパリ忘れるまで、店長と遥さんににお世話になることにした。
 そういう経緯で、私はここ数日を平和に過ごしている。



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 また何日か経って、今日は私も店長と同じくラストまで働くシフトの日だった。
 そういう日は、車に乗せてもらって一緒に店長宅まで帰るのだが。

 閉店後の片づけ作業を終え、スタッフルームで店長に声をかけた。

「店長、帰り家に寄るんで、先帰っててください」
「ん? じゃあ乗せてってあげるわよ」
「いいんすか?」
「そんな心の狭い人に見えるのかしら?」
「見えません。店長の心の広さは天下一です」

 私たちの会話を着替えながら聞いていた太郎君が、ぼそりと言った。

「お二人、デキてんですか?」
「は?」
「ん?」

 目が点の私。
 なんか楽しそうな店長。

 まぁ確かに、会話を聞く限り、そんな感じに聞こえなくもないけど、違う!
 私が否定するより先に、店長がニヤニヤしながら口を開いた。

「そうよ? アタシたち一緒に暮らしてるの。この間も、すーちゃんがおいしいサンマ買ってきてくれたんだから」

 いや嘘は言ってないけど、違うでしょう! その言い方! 問題ありますよ!?

「そうなんですか。お幸せに」
「違う違う! 太郎君違うよ!?」
「知ってます」
「ええっ? どゆこと!?」
「雀さんの反応で大体分かります」

 わたわたしてると、店長が意地悪そうな笑顔で言う。

「すーちゃん、からかわれてるのよ」
「……太郎君、いつの間にそんな店長みたいな遊び覚えたの……」

 がっくりうなだれると、着替え終った太郎君にチョコを握らされた。

「ごちそうさまです」

 太郎君が唇の端で笑う。その笑みは、何もかもを理解した上で店長の言うように私を揶揄っていたのだと物語っていて、私は渋面でチョコレートのお礼を告げた。

 みんなのオモチャになる許可なんて、出した覚えないんだけどなぁ……。



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「最近、なにかと太郎君がチョコくれるんですよ……」

 店長の車で私の家に向かいながら、もらったチョコを手の中で転がす。
 ああして揶揄ってくる事も増えたけれど、それに比例するようにチョコを与えられる回数も増えた気がする。

「たっちゃん、すーちゃんの事心配してたもの。太らせたいのよ」
「え、うそ」
「嘘吐いてどうするのよ、こんな事」

 ハンドル片手に店長は器用に肩を竦めた。
 まぁ……確かにそうか。

 そっか……やるなぁ、太郎君。
 彼がそんなこと考えてたなんて、気付かなかった。

「今度お礼になんかあげようかな」
「ハンカチでいいんじゃない? 最近、持ち逃げが増えたって嘆いてたわよ」

 持ち逃げっていうか、あれでしょう。
 男物のハンカチを貸すと、太郎君ファンがソレをゲット。自分の趣味のハンカチを買って返す。

 そういう人が増えて、使えるハンカチが少ないってことでしょ?
 さすがに、フリルがついたハンカチを太郎君が差し出すわけにはいかない。

「じゃあハンカチにします」

 いつもどんな感じの使ってたっけと、なんとなく眺めていた彼の接客風景を私は必至に記憶から手繰り寄せた。



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 私のマンションに到着し、エレベータが6階に着き、廊下を見渡すとちょっと懐かしい。
 どのくらい帰ってなかったかな、郵便物も溜まってたしなぁ……。

「ヘルスの広告とか入ってるわよ?」

 ポストにどっさりと入っていたチラシ。廊下を歩きながら私が落とした物を、店長が拾いながら着いてきてくれる。

「いらないからあげますよ」
「ハル以外に興味ないもの、アタシ」

 タバコに火をつけながら、店長がにやりとする。
 かっこいいこと、さらっと言うんだよね、この人。
 ま、エロい事もさらっと言うんだけど。

 店長からヘルスの広告を受け取り、キーケースから鍵を探しつつ廊下を歩いていると、ガチャンとドアの開く音がした。
 鍵を手に顔を上げると、金本さんが、いた。



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 顔が強張って、足が止まりそうになったとき、店長の手が私の腰に添えられた。
 そのままゆっくりと押し出されて、なんとか歩みを止めずに金本さんが自宅に施錠している後ろを通過する。

「ほらしっかり歩く。早く取ってきなさい」

 耳の傍で小声で囁かれ、腰をポンと軽く叩かれる。
 どうやら、店長は部屋に入らないつもりらしい。
 彼女は咥えタバコで、私の家と、金本さんの家の丁度、間。廊下の壁に背中を預けていた。

 店長と金本さんがなにか話をしているのを背中で聞こえたけれど、それを立ち聞きしようなんて思えなくて、急いで玄関を開けて廊下を歩き、リビングに逃げ込んだ。

 閉めたドアに背中を預け、暴れる鼓動を深呼吸で鎮める。
 吐く息が震えていて、心臓のバクバクに合わせて、体が揺れてるみたいな感覚さえもする。

 駄目だ……。

 なんで。
 諦めるって……忘れるって決めたのに……。

 なんでどきどきするんだよ……!



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