隣恋 第11話 はよーございまーす

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「はよーございまーす」

 バイト先のスタッフルームに入る。
 店の奥に設けられたここは、結構いい部屋。
 着替えに使う場所が小部屋みたいにカーテンで仕切ってあるし、ロッカーは一人一つ、高級ソファ、テレビがある。
 まぁテレビを見る暇なんてほぼ無くて、飾ってあるだけだが。
 このスタッフルームは、キッチンスペースでもありコンロなんかもあるから、なんならここで鍋パとかもできる。やったことはないけど。

 しかしナゼ高級ソファがあるかというと、店長が店に置くためソファを注文したとき、個数を間違え発注。店内に置く場所がなくなったからだそうだ。
 意外とおっちょこちょいなその人は休憩中らしく、その高級ソファに座って、何かの本を読んでいた。

「おはよう」

 私の出勤に反応し本から顔を上げた店長が、いきなり、くわっと目を見開くので、私はビクッとして立ち止まる。
 こ、こわっ。

「雀! なにそのやつれた顔。どうしたの?」
「やつれたって……ちょっと痩せただけでしょう」
「ちょっとじゃないでしょうが……!」

 店長は珍しく焦った様子を見せ、近付いてきて私を抱き締めた。
 すぐさま抵抗した私が店長から逃げて、失礼ながらも雇い主を睨みつける。

「なにするんすか」
「……ガリガリ」

 抱いた感覚だけで分かるのか?
 どんだけ前回の抱き心地覚えてるんだよ。

「一体どうしたの、雀」
「どうもこうも……」
「待って! 話を聞くのは店が終わってからにしましょう。雀が心配で仕事できなくなるわ」

 ぽんぽんと私の頭を撫でた店長は、「体調が悪いとかはないのね?」と私に確認をして、投げ飛ばした読みかけの本を拾い、ソファに戻る。
 そして何事もなかったかのように、

「ほらすーちゃん、着替えたら? 脱ぐの、手伝いましょうか?」

 と、いつもの調子で、手をわきわきさせる。

「け、結構です」

 カーテンで仕切られた着替えスペースへと走り込み、目を擦る。

 ……あんなふざけた事もするけど、店長はすぐに私の異変に気付いてくれた。……優しい。
 駄目だ。
 今はちょっと優しくされただけで、泣きそうになる。
 あの日から、数日経っているのに、私はまだまだ金本さんの事を引き摺っていて、立ち直れていない。



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 カーテン越しに、店長が声をかけてきた。

「すーちゃん、多田さん、来てるわよ」
「あー……多田さん」

 多田さんは、やたらと私に構ってくるお客だ。
 食事に行こうとか、遊園地に行こうとか、何度もお誘いをしてくれるが、丁重にお断りし続けている。
 でも今は、誰かと何かをしたり、それこそ遊園地とか行って絶叫系アトラクションに乗っていたら、少しは気が紛れるかもしれない。

「甘えてみようかなぁ……」

 ぼそっと呟くと、店長がカーテンを開けてひょいと顔を覗かせた。

「すーちゃんを甘やかすのはアタシの役目だから駄目」
「りょーかいでーす」
「分かればいいのよ」

 店長は微笑んだあと、「あんな下手そうな男だめよ」と顔を顰めてみせるのだった。



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 流石、私によく構ってくる人なだけあって、多田さんも私の減量には気付いたらしく、「失恋!? 俺が慰めてあげようか!」と猛アタックをしてきた。
 実際失恋だから、その言葉にイラッとしたけど、お客様に睨みをきかせる訳にもいかず。

 のらりくらりと言い訳をしつつ、できるだけさらっと飲めて度数の高いカクテルを何杯も空けさせた。
 結果彼は、うちの店に最近通い始めてくださった黒人ゲイのおにーちゃんに、家まで送ってもらうことになり店を出て行った。

 当店より外での出来事に、責任はもちません。

「つ……疲れた……」

 閉店後の片付けを終えて、スタッフルームへ引き上げる。そして、ソファにどさりとへたり込む。今日は体力を多田さんに持ってかれた。あーいや、体力ではなくて、精神力の方……かな。

 私と同じくバイトの太郎君が労うように、ポケットからチョコレートを出してくれた。

 ……いつも思うけど、太郎君はチョコをいくつ持ち歩いてるんだ?

「ありがと。悪いね」
「今日は見ててもうざかったんで。ご苦労様です」

 この太郎君、無口。たまにしゃべったと思えば、ズバッときつい事を言う。
 でも性格はとても優しい。そしてやり手。
 泣き上戸のお客さんなんかが居たら、一番にとんでって、ハンカチを差し出す。

 ティッシュじゃなく、ハンカチ。ここポイントです。

 なぜなら。
 ティッシュは捨てて終わりだけど、ハンカチは返しに来なきゃいけません。

 太郎君の高感度と店の売り上げアゲアゲです。



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「すーちゃん。座ってないでさっさと着替えなさい。そこで脱がされたいの?」

 奥の着替えスペースから私服で出てきた店長。

 おいおい、太郎君が着替えてる横でストリップはやだよ。
 あ、ちなみに男性スタッフは、公開着替えだ。

 奥のカーテンで仕切られた着替えスペースを使えるのは、女性スタッフのみ。

 ひどいルールだと思うだろう。
 けど、慣れてくると男は皆、顔色も変えずにちゃちゃっと着替えていく。

「こら、なにたっちゃんの腹筋みてるの。ホントに脱がすわよ」

 いや背中の筋肉がすごいなぁどのくらい筋トレしてるのかなぁと思って……て、店長!?
 首の辺りでしゅるるっと音がしたなと目を遣れば、店長が私のネクタイを外している。

「な、なにしてんすか!?」
「すーちゃんが呆けてるからでしょ。ほら、今日はうち泊まりに来るんだから」
「初耳っすけど!?」
「決定事項よ」

 驚く私を見て、にやり、と店長。

「お疲れ様です」

 私たちを置いて、着替えを済ませたのでさっさと帰ろうとする太郎君。

「えええ!? 助けようとか思わない!? 太郎君!」

 ドアを開けながら、首だけで振り返る太郎君。
 親指つき立てた拳を私に向ける。

 いやいやグッドじゃないんだってば! ちょっと!?

「お疲れ様でーす」

 太郎君は去った。



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 てっきりスタッフルームで話を聞いてもらえるものと思ってた。
 しかし連行された、店長宅。
 最近はよくここを訪れる。

 通されたリビングでは、深夜だというのに、ゲームをしている遥さんを発見。
 店長の恋人だ。

「あ、おかえり。いらっしゃい雀ちゃん。ごめんね~、こんな格好で」

 こんな格好、というのは。
 前髪をゴムで結んでちょんまげに、眼鏡をかけ、パジャマ姿。

 ――……正直言って、萌え、ですよそれは、遥さん。

「夜分にスミマセン」
「いいよー。ねーぇ、それよりファファ崖で迷子になったんだけど、ここどう行ったらいいの?」

 テレビ画面を指差して、遥さんがゲーム攻略法を私に尋ねた。
 ファファ崖かぁ……私もそこは苦労したんですよ。

「えっとですね、右に5つめからはループになってるんで――」
「――コラ。なにしにウチ来たのかしら」

 ゲーマーの間に割って入る店長。

 遥さんの方をむいて、め! みたいな顔してる。
 おぉ……店長でもそういうことするんだ。意外。



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 それでもきっちり私からゲーム攻略法を聞き出した遥さんが、一旦席を外して戻ってきた。その手にはマグカップが握られていて、私の前に置かれた。ホットミルクだ。
 どうやらゲームを中断して、わざわざ私の為に淹れてきてくれたらしい。

「すみません。ありがとうございます」
「いいえ~」

 にこりと笑ってくれた彼女は、店長の前にはお茶の入った湯飲みを置くと、コントローラーを手に取った。
 私と店長の会話に参加するつもりはないようだが、ゲームを止めて退室するつもりもないようだ。

 まぁ……もう、終わった事だし、聞かれて困る事でもないから、いいか。
 数日前に発覚して、そこからショックを引き摺っているが、現実的には諦めるしか道は残っていない。
 だからもう、終わった事だ。

 ここ数日で痩せた体も、きちんと食べれば元に戻るだろう。

「……」

 えっと……なにから、どう、説明していいものやら悩む。
 店長は金本さんの存在は知っているから、……やっぱり、3日前のあの夜、エレベータホールからの事を話すべきだろうな……。
 前に置かれたホットミルクを見つめながら、私はぽつぽつと喋る。

 金本さんが酔っていたこと。
 抱きつかれたこと。
 本音がつい漏れてしまったこと。
 抱きしめてしまったこと。
 「好きな人に好きな人がいたらどうする」と尋ねられたこと。
 金本さんには好きな人がいるのが発覚したこと。

 だからもう。
 もう全部、忘れようと思ったこと。

 一通り話し終えた頃には、ゲームをしていた遥さんも私に向き直っていた。
 そして店長はというと、いつの間にか、すぐ隣まで近づいている。

「それで、いいの?」
「……いいもなにも、向こうには最初から最後まで想い人が居て……私が勝手に別れたのかもしれないとか、仲良くなってきたかもしれないとか勘違いして、盛り上がって落ち込んだだけっすよ……」

 勝手な恋だ。
 恋するのは自由。という言葉をどこかで聞いた覚えがある。

 しかし。

 そうは言っても、相手の立場や状況を考えず突っ走ると、こういう結果になるんだ。

「気持ちを伝えないままで、いいの?」

 店長の言葉に、胸がぎゅうと締め付けられて、痛い。
 私は思わず痛んだ胸元の服を握り、首を振った。

 異性愛も同性愛も、好きという心に嘘はない。ただそのイレモノが、自分と同じだっただけのこと。
 しかし異性愛は、受け入てもらえない場合が、多い。

 想いを知られてしまうと、事態は一変する可能性を孕んでいる。
 昨日と同じ人物が、昨日とまるで違う目で私を見るのだ。

 その目はひどく、残酷だ。

 たぶん私は、金本さんにその目を向けられると、耐えられない。

 だから、言えない。言いたくない。

「せめて、いいお隣さんで……いたいんです」

 彼女に好きな人がいるのなら猶更言えない。
 言ったところで、結果は悪い物しか待っていない。

「……そう」

 店長は、何度も、私の頭を撫でてくれた。

 遥さんはずっと、手を握って、背中を撫でてくれた。

 ごめん、と私は、私の恋心に謝る。
 私に生まれた恋心は、相手に伝えられる事はなく、成就もせず、小さくなって消えていくしかない。

 ごめん。

 いつもこんな私で、ごめん。



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