隣恋 第10話 きっかり10時

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 きっかり10時。

「上がっていいわよ」

 と店長が私の肩を叩いた。

「あ、はい。じゃあお先に失礼します」

 ジョギング中に与えてもらった聖水の代わりの残業を済ませた私は、頭を下げてスタッフルームのある奥へ引っ込もうと踵を返した。が、呼び止められる。

「すーちゃん、近いうちにちゃんと連れてくるのよ?」

 誰を、どこに、なんて言われずとも、理解できてしまった。

「……ハイ」

 一応は返事をしたけれど。

 連れてくるって言っても、どーやれと……。

 未成年がOLさんに、バーに行きませんかなんて誘い文句を使っていいのか。
 いやそんなの絶対おかしいだろ。

 どうしたものかと首を捻りながら、帰路についた。



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 ――遭遇率、高すぎじゃないですか。

 私はマンションのセキュリティドアを抜けた先のエレベータホールで、2人のスーツ姿の女性を見つけ、はたと足を止めた。

「んでこんな不幸なのよぉ?」

 もしもし? 今日は木曜ですよ? 華の金曜日じゃないですよ?
 明日も仕事でしょうに、どんだけ酔ってるんですか。そんな大声だして。

 そう思わずにはいられない程、ホールに響く女性の酔った口調。

「なーんでわたしばっかこんなビンボーくじよ?」
「わーかった、わかったからもぅちょっとボリューム下げなさい」

 私の視線の先にいる、金本さんとまーさん。
 ホント、仲いいんだな。なんかいっつも一緒にいる。

 と、それはさて置き。
 酔いに酔って千鳥足で、相方の肩を掴んでがくがく揺すっている女性。

 それは金本さん。

 そう。
 意外な事に、滅茶苦茶に酔っ払っているのが、金本さん。

 で、彼女を抑えようとしてる、まーさん。

 逆パターンなら、容易に想像できる。
 ぐでぐでまーさんと、ソレを支える金本さん。

 しかし、現実は違う。

 普段シッカリしてそうな金本さんでも……あんなふうになるんだ……。



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「頑張ってるでしょ!? わたしも! 初めてなんだから戸惑うの当たり前じゃないの!」
「はいはいそうね、そうですね」

 意外すぎる一面を見て絶句していると、まーさんが人の気配を感じてか振り返り、顔を歪めた。
 言うなれば、「げ!?」みたいな表情。

「なのになんでがんばり始めてぐぐっ」
「ほらー、人様に迷惑だから、ちょっと静かにね~」

 まーさんが、金本さんの口を手で覆っている。ものすごく強引な黙らせ方だが、まーさんの方が身長も高いし、金本さんは小さいし、なんていうか腕づくでも、どうこう出来そうだ。

 しかし私の存在が見つかってしまったから、ここは声を掛けておかなきゃヘンだろう。

「あー……こ、こんばんは。すごいことになってますね……」

 手で口を塞がれて苦しいのか、まーさんをばしばし叩いている金本さん。……なぜか、こっちを見たまま。
 叩いているけど、酔っているからあまり威力はなさそうだ。

「出来たら見なかったことにしてくれると有難いんだけど」
「了解です。じゃ、じゃあ私は階段で」
「ごめんねー」

 いやいや全然、と首を振り、階段へ行く為二人の後ろを通過しようとした。が、呼び止められた。酔っ払いのほうに。
 今日はなんだか、よく呼び止められる日だ。

 たいていの酔っ払いは、自分の言う事を聞かないと怒る。
 バイト先でそれを学んだ私は、ちゃんと立ち止まって振り返った。

「あコラっ」

 まーさんの制止の声と同時に、胸に飛び込んできた、金本さん。

 ……うそだろ……?



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 なんだこれコノおいしい展開。嘘みたいじゃないか。

 金本さんは、私の背中に手を回して、子どもみたいにきつく、しがみついてきた。

 まぁもちろん、私は心臓バクバクの、顔真っ赤。
 所詮酔った末の行動といっても、好きな人にこんな事されて動揺しない人がいますか。

 少なくとも、私は、動揺しまくりです。

「あのっ、かッ、金本さん…!?」
「やだ」

 なにが!?

「コラ愛羽!」

 金本さんの背中を引っ張りながら、到着したエレベーターを気にするまーさん。

「いーやー! 離れたくないのっ」

 うわ……。

 死ぬほど幸せなセリフ……。

 ってうっとりしてる場合じゃない。

「あの、金本さん、ほらエレベーターきましたから、乗らないと。ね?」
「雀ちゃんも乗る?」

 この至近距離での上目遣い。

 乗らいでか。



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 言葉の通り、本当に引っ付いて離れない金本さんを引き摺って、エレベーターに乗り込む。

「ごめんすずちゃん……」
「ははは……いやいや」

 申し訳なさそうに項垂れながら、まーさんが6階のボタンを連打する。
 酔っ払いの扱いには慣れてますから平気だけど、それを言える状況でもない。

 だって、片思いの相手に壁際まで押しやられる経験は人生で一度もないんだから……っ。

「雀ちゃん」

 背中がエレベータの壁に押し当たるくらいに詰め寄られ、そこでぎゅっとされる。
 いやもう本当になんですかコノ幸せすぎる展開!
 明日は空から槍でも降ってきて、それに貫かれて私死ぬんじゃないのかなぁ!?

「あーいーは! ゲロするから黙っときなさい」
「いやよ、じゃまするなまー」
「邪魔じゃないでしょ」
「二人きりにしないことがもうじゃま」
「はぁ!? あたしに階段で上がれと」
「そうよ」
「ざけんな、ここまでどんだけ苦労して連れて帰ってきたと思ってんの」
「わたしがどれだけ苦労して歩いたと思ってるの」

 酔ってるのに、よく舌がまわるなぁと感心しながら目の前で繰り広げられる舌戦を観戦していたが、ついに、吹きだしてしまった。



 

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「金本さん可愛いなぁ」

 つい口を突いて出てしまった。 

 本当に、無意識に。

 ぽろっと本音を漏らしてしまった。

「雀ちゃんのほうがかぁいいよぅ」

 笑う私に反応した酔っ払いさんは、私に両腕を回した状態でこちらを見上げてくる。
 結構な至近距離での見つめ合いに、ドキンと胸が大きく跳ねた。が、そんな私を他所に、金本さんは胸に顔を埋めてきて、ぎゅうぅっと腕に力を込めた。

 ――やばい……。

 ときめきMAXやばい。
 私の自制心は戦闘不能になった。

「金本さんのが絶対可愛いっす」

 彼女の背中に、絶対手は回すまいと思っていたのに、駄目だった。

 抱きしめてしまった。

 なんかもう、可愛すぎて。
 好き過ぎて。

 ベランダで抱き締めたあの日以来、こんな事はしなかったのに、あの時みたいにぎゅっと両腕で囲い込んでしまった。

 すると、嫌ではなかったのだろう。金本さんは嬉し気に「ん~」と、可愛い声あげるから、調子に乗ってもっと抱き込む。次の瞬間、耳に飛び込んできた、6連続のシャッター音。
 びっくりして、音の出所を見遣れば、まーさんが携帯電話を構えていた。



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「ぁゴメンつい。らぶいちゃしてるから撮っちった」
「え?」

 らぶいちゃ? とまーさんのセリフをオウム返しに脳内で繰り返した私は、はたと気付いた。
 自分が金本さんを抱き締めていることに。

「わっ! す、すみませんっ!」

 超至近距離の金本さんがいる。いやもう、至近距離とかの話ではなく、完全密着だ。
 慌てて両腕を上に上げるけど、金本さんは離れてくれない。

 体を包む浮遊感と同時に、エレベーターのドアが開く。
 どうやら6階に着いたらしい。

「ほ、ほら金本さん、着いた! 降りて降りて」

 胸に顔を埋めている彼女の肩を叩いて促すと、胸から顔を離した金本さんは私をじっと見上げてこう言った。

「好きな人に好きな人がいたらどうする?」

 意味を理解したとき、頭の中が真っ白になった。



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「ほら早く降りなさい」
「ひっぱるなー」

 まーさんが金本さんを引き剥がして、エレベータを降りる。剥がされる際も、最後まで私の服の裾を掴んでいたけれど、まーさんの力には敵わなくて、腕を引かれ私から離れた金本さん。
 その後に続いて、私もエレベータを降りる。

 そのまま廊下をズンズン歩くまーさん。
 連れられて小走りに近い感じでついていく金本さん。
 二人のヒールの靴音を、遅れて、スニーカーの靴音が追いかける。

 ―― あー……好きなひとに、好きな人が。

 なるほどな。と私は頭の中で呟いた。



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 つまりは、あの彼氏さんに……別の女性がいた、と。

 で、金本さんはアノ夜、ベランダの仕切りを破壊するほどの悔し泣きをした、と。

 で、まーさんに相談していた、と。何回も。

 で、今日は外で飲み、自棄酒かな。

 今のエレベーターの中のは、あれか。

 女子がよくやる、スキンシップの一環。
 もしくは、泣き上戸やら笑い上戸やらの、抱きつき上戸。

「そっか」

 と、私は小さく呟いた。



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 彼女の自宅へ金本さんを押し込んだまーさんが、ドアを閉めたまま、私を振り返った。
 ……なんかドア越しに叫ぶ声、聞こえるけどいいのか。

 でも、まーさんはそちらをまったく気にもせず、やけに真顔で私へ話しかけてくる。

「あのね、愛羽、めっちゃくちゃ酔った時のこと、次の日覚えてないから」
「は、はぁ」
「だから、さっきあったこと全部忘れていいからね」
「あけてぇーー」

 中から、間の抜けた声が聞こえた。
 だから、ちょっと笑える。

「分かりました。忘れときます」
「……うん」
「じゃあ、おやすみなさい。金本さんにもよろしくお伝えください」
「うん」

 お辞儀して、まーさんの横を通り過ぎ、鍵を開け、自宅に入る。
 廊下を抜け、電気をつけて、真っ直ぐ机に歩み寄って、空の店長ドリンクと、紙を手に取る。

 キッチンに向かって、ビンごみ入れに店長ドリンクを。くずかごに、紙を入れた。

 ベッドに倒れこんで、丸くなる。

 体の真ん中が、痛かった。

 とんでもなく、痛かった。



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 目が覚めた。
 あれから私はいつの間にか眠ってしまっていたらしい。

 うっすら差し込む光の具合で、まだ明け方の4時から5時の間だろうと予想して、携帯電話のディスプレイをみる。

 4:27

 私はへへっと笑った。

「し、に、な」

 語呂合わせを呟いた瞬間、27が28に変わって、否定された気がした。
 ケータイ、おまえ優しいな。私はおまえを何回も落としたのに。

 昨日のことは嫌でも思い出す。

 全部、嘘だったらどんなにいいか。

 昨日の朝、店長にお世話になったんだから、ラストまで働けばよかったんだ。
 そうしたら、金本さんたちと鉢合わせすることもなかった。

 金本さんがまだ、彼氏さんを好きって知る事もなかった。



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 首を振って、体を起こす。

 店長は、金本さんに彼氏がいるか確かめないと話が先に進まないと言っていた。だから、バーに連れてこいと言っていた。
 彼女に好きな人が居るを確かめる。その予定だったはずだ。
 答えが明らかになったんだから、いいじゃないか。

「それは、そーなんだけど」

 私はまた、ベッドに横になる。
 昨日、鞄すら背負ったまま眠ったらしくて、腹の横あたりにリュックがある。どうも、それを抱きかかえて眠っていたみたいな雰囲気があるけど、私はそれをベッドから押し出して、床に落とした。

 今日の講義は午後からだったはず。
 まだまだ眠れる。

 眠らないと、考えが暗い方に走ってしまう。
 予定通り、ちゃんと、金本さんに好きな人がいるかどうかが分かったのに。
 それは、いいことなのに。

 なんでこんなに、心臓の奥が痛いのか。
 なんでこんなに、息苦しいのか。
 なんでこんなに、体に穴が開いたみたいなのか。

「……てんちょー……たすけてー……」

 布団を頭まで引き上げて、今一番頼れそうな人を力のない声で呼んだ。

 でも、次のバイトは……3日後だ。



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