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パロディ 教師 7
安藤先生のターン
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「いやまず……片付けだろ…」
自宅の玄関をくぐって、へたりこみそうになった自身に言い聞かせる。
だってもうすぐ、金本先生がくるんだから。
そこまで普段から散らかしている訳じゃないけれど、流石に、ひとが自宅へ入る前には片付けたいし、空気の入れ替えもしたい。
私は玄関からまっすぐベランダへ向かって、ドアを開け放った。網戸を通して部屋へと入ってくる風はもやぁっと熱いけれど、この季節だから仕方ない。
「あ、たま…いた……」
歩くたびに、ぐぁん、ぐぁん、と頭蓋骨の中が揺れる。
イメージ的には、きゅっと縮こまった脳が、白い頭蓋骨の中をころころ転がっている。そして、骨に接触する度、わたしに頭痛を訴えるのだ。
まるで鈴みたいな構造のイメージだなとひとりで笑いながら、とりあえず、買ってきた薬の箱を開けた。
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水で薬二錠を飲みほして、部屋のフローリングにささっとモップをかける。
そうこうしていると、部屋の空気の入れ替えもいい頃合いで、ベランダの戸を閉めて、冷房のスイッチを入れた。
私の身体は多分熱があるせいでか、寒気が走るんだけど、これから来る金本先生は暑いだろう。
「あとは……」
買い物袋からスポーツドリンクの粉を取り出していると、電話が鳴った。
携帯電話を耳に当てると、やっぱり金本先生だった。
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「もしもし、マンションの下にいるんだけど、どの部屋?」
「あ、迎えにいきましょ」
「いいから! ひとりで行けるから病人らしくしてなさい」
私の言葉を遮って彼女は慌てたように言う。
病人らしくって言うけど、ちゃんと薬も飲んだし、スポーツドリンクも用意しようとしてるのに。
そんな事を考えながら部屋の階数と番号を教える。
電話の向こうからカツカツと靴音が聞こえてくるので、多分、階段を使って登ってきている所だろう。
「えーと、ここかな?」
「開けますね」
玄関のドアの覗き穴から見てみると、金本先生が見えた。
鍵を外し、ドアを開けると、私は頭を下げた。
「わざわざすみません」
「ううん。わたしが好きで来たんだから、気にしないで」
促すと、金本先生は「おじゃまします」と言って私の部屋へと足を踏み入れた。
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彼女の横へ手を伸ばして鍵を閉めると、コキュ、と生唾を飲む音が聞こえた。
ちらと流し見れば、どことなく赤い頬が目に入った。
狭い玄関では立ち話もなんだし、せっかく来てくれた金本先生に申し訳ない。
部屋の奥へと案内しながら、彼女を振り返る。
「外、暑かったです? 喉渇きました?」
「え? ええ、まぁ、ちょっとね」
金本先生はどこか挙動不審に頷くと、次にはにっこりと笑った。
普通に美人だよなーとその顔をぼんやり見て、リビングのソファへ座るように勧めて、私は冷蔵庫から麦茶を取り出した。コップに注いで彼女に手渡す。
「ありがとう…って、違うでしょ……!」
「…へ?」
何が一体、違うというのか。
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「だって金本先生顔赤かったし、暑かったって言ってるし」
違いますか? と首を傾げて見下ろすと、彼女は目を一瞬だけ泳がせた。
「そ、れはそうだけど! わたしは安藤先生におもてなしされに来た訳じゃないのよ」
と持っていた袋をぷらぷらと揺らした。
その不透明な袋の中身が分からず、今度は反対方向へ首を傾げる。
そんな私を見て、苦笑のような呆れのような顔で笑った金本先生は、きょろりと部屋を見回して寝室として使っている部屋のドアを指差した。
「あっちが寝室?」
「はい」
「じゃあパジャマに着替えて寝てて」
「え」
彼女は立ち上がった。
「え、じゃないの。わたしは看病しに来たんだから」
看病。そっか、看病か。
私はどこか他人事のように呟いた。
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突っ立ったままの私の後ろへ回り、背をそっと押し出す金本先生。
「もう薬は飲んだの?」
「はい、さっき」
「ご飯は?」
「何も食べてないです」
押されるがままに寝室のドアを開ける。その私の後ろで彼女はちょっと溜め息をついた。
「薬で胃が荒れちゃうわよ? 今、食欲は?」
「多少なら」
「おかゆとおじや、どっちがいい?」
「……おじや」
ん。と短く返事をした金本先生が、少し申し訳なさそうに眉尻をさげた。
「キッチン、貸してね。あと、冷蔵庫とかもちょっと借りるかも。ごめんね」
「あぁ全然。どこでも、なんでも、あるもの使ってください。なんならテレビとか見てください」
世の中には冷蔵庫を見られるのが嫌という人も居るらしいけど、私はそれに該当しない。
冷蔵庫を開けてもらえば分かるけれど、全くもって家庭的な冷蔵庫ではないそこを恥じる気もないし。一人暮らしの冷蔵庫なんてそんなものだろう。
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「だから、遊びに来た訳じゃないんだってば」
苦笑を交えて言った金本先生は、寝室のドアを閉めながら、子供に言い聞かせるみたいにして言う。
「ちゃんと寝てるのよ?」
社会人にもなってそんなセリフを浴びるとは。
でもまぁ、悪い気はしない。
頷く私に微笑んだ彼女はパタンと扉を閉めた。
どうして悪い気がしないのか。
それは多分、彼女の言葉や態度の端々に、私への心配が込められているからだと思う。
ただの同僚……正しく言えば職場の後輩に、よくあそこまで良くしてくれるもんだ。
自分には出来ない芸当に感心しながらパジャマに手を伸ばしかけて、寝室のドアがノックされ振り返る。
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「はい、どうぞ」
私の返事の後に薄く開いたドア。
「ちょっといい?」
「どうしました?」
何かわからない事でもあったかな? キッチンの使い方とか?
金本先生の方へ歩き出そうとしたとき、彼女がひょこんと顔を覗かせた。
「安藤先生ってアレルギーとか、食べられないくらい嫌いなものとか、ある?」
「アレルギーはないですね。嫌いなものも……」
き……、とドアの蝶番がきしみながら、金本先生が押したドアがゆっくり開く。
嫌いなものと言っても別に絶対食べられないものはないよなぁ、と頭の中で考えを巡らせながら顎を撫で、私は動きを止めた。
「ある? 食べられないもの」
言葉を途切らせた私に、小首を傾げる金本先生の出で立ちが、変わっている。
着ていた薄手の上着を脱いで、黒いシックなエプロン姿。と、片手にタマゴ。
「…………、ない、です」
「そ。よかった」
何事も無かったかのように扉を閉めた金本先生。
ドアの前から遠ざかる足音を聞きながら、私は片手で顔を覆った。
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