第48話 武藤とお母さん

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 テーブルの近くへ座った引地は、しげしげとあたしの部屋を見回している。
 あー、ま、そりゃ狭く感じるだろうなぁ。お前の家の方がまだ広いし、洋室だし、廊下もあるし、こんな狭い所に住んでる人間が珍しいだろうなぁ。

 眺め回される居心地の悪さで、「帰省は楽しかったか?」とどうでも良い事を尋ねてしまう。すると、引地の視線はこちらへ寄越され、いつも通りに真っ直ぐな視線を受けた。

 ……。

 昨日の今日で思い出すのはやっぱり先輩だ。
 あんなことがあった翌日、先輩に似ている引地を目の当たりにして思い出すなという方が難しい。
 それとなく視線をずらして正面衝突を避けながら、「ええ。家族で初詣に行ったから楽しかったわ」という返事に頷く。

「初詣か、そういやあたしは行ってねぇな」

 初詣。正月の恒例行事の存在すら忘れてた。ここ最近はそれどころではなかったから。
 しかし、思い出したからと言って、今更行くのも面倒だ。今年はもう、神社に行くことはないかもしれん。まぁ、行ったとしても年末に二年参りするかも、とか、そのくらいだろうな。

「あなたは帰省はしていないの?」
「しねーよ」

 思ったよりも被せ気味に返してしまったからか、引地が少しだけ目を丸くして驚いている。
 去年、あんなことがあって帰省したくないと思ったのも、親に会いたくもないと思ったのも、口調が強くなった原因だ。だけどそれはコイツのせいではない。コイツに八つ当たりするのは……ちがう。

「わりぃ。いや、バイトが忙しくて帰ってねぇだけだ」
「そう。お正月も、バイトがあったのね」
「正月限定のバイトっつーのはたくさんあるからな」
「そう」

 当たり障りのない言い訳を述べて、テーブルに頬杖を着く。
 引地母、はやく出てこねぇかな。きっとここでの会話はトイレの中まで聞こえてるだろうし、コイツの親が聞いているとなると妙に話がし辛い。
 いや別に変な話をしようとかそんなんじゃないんだが、なんかこう、居心地悪いよな。

 何の話題を出せばいいかと悩んでいると、いきなり、引地が口を開いた。
 コイツにしては珍しい。そこまで口数の多い奴じゃないのに「こんなに長い間会わなかったのは、とても久しぶりね」と言い始めたのだ。

「あん?」

 長い間会わない事を久しぶりって言うけど? は?
 なんで重複して喋ってんだ? と首を捻れば、「あなたが高校生で、私が勉強を手伝うようになった頃から週に1度は必ず会っていたでしょう? 半月近く会わなかったのは、とても久しぶりだと思ったの」と補足が入る。

 ああなるほどな。そう言われたらそうかもしれねぇな。てかそうだな。
 去年の正月コイツはこんな長く帰省してなかったし、普段は飯作るのもあって週2か3くらいのペースで会ってるもんな。

「なんだ? あたしに会えなくて寂しかったのか?」

 ニヤついて揶揄った。そんなあたしが馬鹿だったのかもしれない。

「さみしかったわ」

 ぐ、と言葉に詰まるくらい真っ直ぐな返事を寄越されて、さらに「あなたはどうだったの?」と尋ねられてしまう。
 うわぁミスった。マジで軽々しく揶揄ったりすんじゃなかった……!

 いつもみたいにコイツと二人きりなら「ンな訳ねーだろばーか」とか余裕で言えるけど、すぐそこに引地母が居るとなると……さっき土下座してまで礼を言ってきた人がいるとなると……く……ここは……。

「…………さみしかった」
「そう」

 別に寂しいとか思ってねぇよ! いやツンデレとかそんなんじゃなくてマジでそこまで引地に執着心なんてねぇし! 冬休みに入ってこっちから連絡したのは野菜とか食い物わけて欲しかっただけだからだし! でもそこに母親がいるのにコイツを無碍に出来ねぇってだけ! それだけだぞ!

 心の中で盛大に喚きながら、どうにかこうにか吐き出した返答にも引地は相槌一つだ。

 オイ……! オイコラ!!! と言ってやりたいと思うものの、それも出来ずただ頬杖で唸る。

「……」
「……」

 う……気まずい。
 コイツと過ごす時間が長くなってきて、無言の間も全然苦でなくなってたのに、いつもみたいに絵を描くシャーペンの音が聞こえないだけでこんなにも違うもんなのか……!?

 焦る必要はきっとないんだけど、なんか焦る。なんだこれ。なんなんだよと自問を繰り返すばかりで、焦りと答えの出ない問いが増えるだけ。
 そんな時、また不意に彼女は口を開く。

「その割に、年賀状の返事も、メッセージの返事も来なかったけれど?」
「は……?」

 寝耳に水とはこのことだ。あ、いやまぁメッセの返事は、わかる。
 そういや昨日引地とメッセのやりとりしててその途中で先輩達と合流して焼き肉食い始めて、家帰ってケータイをコートのポケットに入れたまま寝たんだ。だからきっと、引地からの返事を無視した形になっているんだろう。

 しかし、年賀状とは初耳だ。

「メッセは悪かった。忙しかったんだ。でも……年賀状?」
「送ったわ」
「どこに?」
「あなたの家の住所に」
「ここに?」
「ここに」

 畳を指差す形でトンと爪をあて、引地は頷いた。

 マジか。

「悪ぃ……ポスト全然見てなかったわ」

 取ってくる。と言い置いて、あたしは玄関へ向かった。
 いや驚いた。未だに年賀状とか送る奴、居たんだな。あたしの周りは全員ケータイでそれを済ませちまうから、年賀状が届くかも、なんてのは全く頭になかったんだ。
 だからポストなんて普段覗きもしない。どうせチラシが捻じ込まれるだけだし、それがはみ出るくらいまで手を付けないで、たまに回収して捨てていた。

 足早に外の廊下を過ぎて、鉄製の階段を下る。アパートの側面に申し訳程度のひさしが作ってあってその下にある集合ポスト。横雨や強い雨が降ればすぐにポストの中は濡れるが……ここ最近は雨ってあったっけ?
 引地の年賀状は無事か?

 ロックを解除し開けたところで溢れてくるチラシの中、硬い紙を見つけた。これだ。
 引っ張り出せばやはり年賀状。勉強を教えてもらっていた時よく見た引地の字だ。
 よかった。濡れてないし、折れてない。

 あたしはとりあえず片手で握れるだけチラシを握り、ポストを閉める。中にはまだ少し残っているけれど不要チラシだ。また今度回収しよう。
 階段をあがりながら、クシャミをする。そういやスウェットだけで出てきたんだ。そりゃ寒いしクシャミも出る。廊下を歩きながら年賀状の裏を見れば、「おぉ」と思わず声も出た。

 流石、と言わずにはいられない上手さで、今年の干支の絵が描かれている。
 テンプレートを印刷したものでなく、ちゃんとした手描きの絵だ。どのくらいコレに時間かけたんだろうなと思う力作だが、明けましておめでとうございます、という文字以外何も見当たらないのは、アイツらしい。

 カギも掛けずに出た自宅のドアを開ければ、引地母が居る。あたしが外へ出た間に、トイレから部屋に戻っていたらしい。「どうも」と会釈をすれば、にっこり笑う彼女の目元も鼻も、もう赤くない。テーブルには手鏡が置いてあって、それをちょんと指でつついた引地母は「お手洗いありがとう」とわざわざ頭を下げた。

「いや全然っス」
「年賀状はあった?」
「ああ。スゲー絵上手いな、やっぱ」

 引地の問い掛けに、片手に握る年賀状をピラと振ってみせる。と、そういやぁ新年の挨拶言ってないなと気付き、でも、なんか今更言うのも照れ臭くて、迷う。
 絵を褒めたからだろう、ありがとうと礼を返してくる引地から視線を外し、わざわざゴミ箱へチラシを捨てに行く。

 こういうのは気付いた瞬間が一番照れくささや気恥ずかしさが少ないのだ。時間をかければかけるほどそれらは膨張していくのに、なんかこう……言うタイミングを逸した。

「ああそうだ。武藤さん」
「ハイ?」

 引地母の声に振り向けば、彼女は立ち上がっていた。
 なんだなんだ。改めてまた何か深刻な話でも始めるつもりか? と一瞬身構えるが、にこやかな笑顔と共に送られてきたのは、

「あけましておめでとうございます。昨年は大変お世話になりました。今年も娘をよろしくお願いします」

 との挨拶。
 ゆるりと下げられていた頭が持ち上がると、またニッコリが送られてきた。が、その顔と目で……バレてたんだなぁとなんとなく、察知する。

 あたしがあけおめを言おうか迷って、言いあぐねているのを彼女は見抜いて、だからわざわざこのタイミングで言ってくれたんだ。

 ……昨日からなんか、すげぇ人とばっか会うなぁ……。

「明けましておめでとうございます。こちらこそ、今年もよろしくお願いします」

 返す挨拶ならばそこまで恥ずかしくもない。引地母の気遣いに甘えて、あたしは二人へ視線を向けた。
 たぶんもう、この母親と会うことはないだろうけれど、引地を通じてあたしの何かしらの情報は行くだろうし、今日は食料も貰ったしよろしくと頭を下げておいて損はない。

 母親とあたしが立ったまま挨拶を交わしているのを見れば、気の利かない引地もさすがに察したのか、立ち上がって頭を下げた。

「明けましておめでとうございます。昨年は大変お世話になりました。今年もどうぞよろしくお願いします」

 教育されきった挨拶の文言は完璧だ。
 が。
 こいつにしてみれば年賀状で新年の挨拶は済ませたというのに二度手間だと思ってるんだろう。そう云わんばかりの顔は、どうにかならねぇのか。

 表情を作るとかそういう事もコイツは出来んのだよなぁと眺めていると、引地は母に、どうしてスマホを取りに行かせたのかと聞き始めた。
 人払いだよとは言えないだろうから……どうするんだろうな?

 こちらが何かを言う時ではないなと眺めていると、引地母は思い出したように手を叩く。

「ああそうそう。そうなの、武藤さん」
「え? なんスか?」
「申し訳ないんだけど、このおばさんに、アプリ? をね? 教えて欲しいのよ」
「アプリ?」

 自身をおばさんと指しながら尋ねてきたのは、コミュニケーションアプリの使い方だった。
 まず、インストールから。そして、設定。さらに、新しく友達を追加する時、グループを作る時、どうやるのかをあたしは説明した。

 しかしこのコミュニケーションアプリ。引地もインストールしているし、普通に普段使ってる。あたしとの連絡はこのアプリを使っているし、娘に訊けば分かったんじゃないか? と思っている所で、不審点は解決した。
 彼女はスマホを振りながら、「武藤さんのも教えて?」と言ってきたのだ。

 娘に何かあった時の為かもしれない。あたしと直接連絡が取れるようにしておきたいのだろう。
 大人しく連絡先を教えていると、引地純子、という人からメッセが送られてきた。

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