第46話 武藤とプレゼント

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「興味あったけど、今のでもっとアガったっスわ」

 そう告げると、愛羽さんはヤメロと顔でも言葉でも言う。
 嫌がる顔を見るとなんだか苛めたくなってくる彼女だが、そういう加虐心なしに、あたしはこの人に興味を持った。

 だって、さっきの”狼”の話。
 高校が一緒で、随分と近い距離に居たはずのあたしでさえ、先輩の心は知らなかった。

 なのに、後になって付き合い始めた愛羽さんは先輩の全部を知っていた。
 それはきっと、この人が元々相手の心や裏を見抜く力が強いからであったり、また、先輩からの信頼を勝ち取れたり、また、先輩を犬のように手懐けたりできる能力を持っているからだろう。

 どんなふうに先輩から狼の心を聞き出したのかは不明だが、それでも、あの先輩から核心を聞き出したのはもうすげぇとしか言いようがない。

 正直、いいなぁと思った。

 こんな人と付き合えたら、いいなぁ、と。

 自分を守ってくれて、支えてくれて、甘やかしてくれて、自分の為に他人に怒ってくれる。自分の絶対的な味方。
 欲しい、と思った。

 そんな事を考えていると、引地の事は好きではないのかと尋ねられ、あたしはそれについて考えてみた。
 あたしが引地を好き?
 いやー……まぁあいつと出会った一番最初。バスケコートの端で喋った時。
 あのときはもしかしたらこれって出会いだったりするのか? とか思った。
 他に……なんだったか忘れたけど、なんかの拍子でアイツにドキッとした事もあって、狼狽えた事もあった。
 だけど。

「かも~とか思ってたんスけど、今日の2人の事見てて恋人の関係ってこーゆーもんなのかと分かったら、なんかあたしらはちげーなって。303より、むしろ今は愛羽さんが気になる」

 あんたが先輩と付き合ってるのは重々承知だ。けど、気になる。いいなぁと思ってしまった。
 今日見てた限りじゃあ結構、つか、かなりまともな女だと思う。メンヘラかどうかに至っては「たぶん大丈夫」くらいの判断しか下せなかったけど、これだけ他の面がしっかりしてるなら多少メンヘラの気があったとしてもいいんじゃねぇのと思ってしまうくらいだ。

 きっとあたしの中には、まだ先輩への未練はある。

 けど、失恋だったり、不完全燃焼の恋だったり、そういう残ってる気持ちは、新しい恋で消すのがセオリーってもんだろう?

 さっきはカマかけでアピールしてみてたけど、あれはあれでやっといて良かったかもしれん。
 だって、この人ともし付き合えたなら、あんなふうに尽くして守ってもらえるんだぜ? めっちゃいいじゃん。あと、恋人になれば苛め放題だろ? 楽しそう。

 ワクワクを募らせているあたしへ、更に愛羽さんは問い掛けてきた。

「じゃあ303はそれとして。雀ちゃんは?」

 おいおい、さっきは気になるけど聞くのはよくないと思うとか、言ってなかったか? なのに今更聞く?
 そんなツッコミに彼女は、状況が違ってきたのだから尋ねるのは当然だと答えを要求してきた。

 まぁ言われてみればそうなのかもしれない。彼女の説得により考えを変えたあたしは、愛羽さんの質問に答えていく。
 隠し事はせず、正直に。
 妙に引地とあたしをくっつけようとする言動が多いけどそれはある程度受け流しつつ、彼女と話をする。

 この人、話の端々にも賢さっつーか、察しの良さがあって、喋りやすい。こういう所でも、先輩はまんまと手懐けられたのかもしれないなと想像は捗る。

 最後にひとつ。
 そんなふうにしてきた質問は、「やっぱり鋭いなぁ」と思わざるを得ない。
 なにせあたしが素直さをもって喋り始めたことに気が付いたのだ。そして、それは何故かと訊いてくる発言力。

 例えば内気な奴なら、気付くは気付いても相手に訊けないとか、ある。
 でもこの人は違う。

「だって、教わったんで。テンチョーって人に。見破った人には甘えろ、って」

 怪訝そうにこちらを見つめていた瞳が、呆れ混じりになる。

 が、そこは呆れてくれるなよと思う。
 だって、先輩が、あたしが居る部屋でその話をしたのは、あたしに訊かせたかったからだと思うから。

 昔バスケを一緒にしてたときも、あたしに何かを教えるとき、あの人はなんの宣告もなく自分が会得している新技を出していた。そしてしばらく経ってあるときにふと訊いてくるのだ。
 アレはもう出来るようになったか? と。ニヤついたちょっと意地悪な目でこっちを見ながら、小脇に抱えたボールを投げて寄越してくる。
 見てたんなら出来るだろ? と云わんばかりのその態度に何度ムカつかされたか。
 結局練習もしてなくて、やり方教えてくれと何度乞うたか。その度「仕方ねぇなぁ」と呆れ混じりに応じられて腹を立てた。

 なんだよ、あんただってそうやって頼られてちょっと嬉しそうにしてんじゃんよ、と胸中では舌を出していたが。

 そういう意地悪な所のある先輩だから、あたしは盗んでやったのだ。
 あいつが見せびらかした新技を。

 きちっと丁寧にやり方を教えてもらわなくても、出来たんだぞと言ってやりたくて。

 しかし。
 自分で言うのもアレだがあたしは相当捻くれた性格をしている。
 そんなあたしが、素直を全力で発揮しても、きちんと出来ているかどうかは正直分からん。

 こんな展開になるなら引地に素直の極意でも聞いてくるんだったなぁ。でもアイツは素直っつか馬鹿みたいに正直っつかオブラートを知らねぇっつうか。なんかこう、素直とはもちっと違う感じがするよな。
 なんて事を考えていると、愛羽さんがこっちを真っ直ぐ見てきた。

 正面の席に座っているあたし達は今日何度となく視線を重ねてきたけれど、そのどれよりも、彼女は真っ直ぐ真っ直ぐ、あたしを見つめている。

「いま、言ったことに欠片も嘘がないなら、上出来と思うわよ?」

 その言葉に嘘はないと感じたし、褒められたのは嬉しい。どうやら、上手くやれていたみたいだ。
 喜びも素直に表現していると、「でも、ごめんね」と急に謝られた。

 まるで先輩みたいに深く頭をさげた愛羽さんは、顔をあげてキッパリ告げる。

「わたしは雀ちゃんがいいの。あの子以外は、嫌なの」

 心臓がどくっと嫌な感じに脈打って、あたしは何故か、笑みを浮かべた。

「そんな今すぐ答え出さなくても」

 なにを喋ろうか、どう言葉を紡ごうか、特に練らなくても口からするりと出た。それは……やけに、うすっぺらい。
 安い映画に出てくる三下が抑揚もなく喋るみたいだ、と感じつつ、あたしは予期した。

 聞きたくない事を、言われる。

「んーん」

 首を振った彼女の肩元で揺れた髪。
 ああ。そういえば、ストーカーから助けた時より、髪が短い。切ったんだな。
 あぁ。そういえば、この間着飾ってバッチリ化粧してた時より、短い。てことは結構最近、切ったんだ。

 なんだ、あたしは、そんな事にも気付けずずっと喋ってたのか。

「最初からあるから。この答えは、揺るがないの。わたしには雀ちゃんしかいない」

 ……。

 ……。

 ……。

 ウン、やっぱ、聞きたくなかったわ。
 そんな真面目なお断り。
 そんな真っ直ぐな返事。
 そんな……マジで先輩だけしか見たくないっつー宣言。

「そっすか」
「うん。ごめんね、絢子ちゃん」

 分かったって。ンな何回も、断んなって。
 こっちが惨めになるだろうがよ。

 やっぱ、アレだな。
 柄でもねーことするから、罰あたるんだな。

 昔、先輩のやり口を真似て、学校に他から圧力をかけた時もそうだった。
 先輩の真似すると、手痛いしっぺ返しを食らう。
 いい事なんて、全然ない。

 やるだけ無駄だったんだな。
 地域雑誌の件だけで学べばよかったのに、学習が足りなかった。

 先輩みたいになりたい。
 先輩に近付きたい。

 そういうふうにあたしは思っちゃいけねぇ運命なのかもしれねぇなあ。

 ようやくその運命にあたしは気付いた。
 だから、これを手放そうと思った。

 ポケットに忍ばせておいたのは、SDカード。高校の頃使ってたケータイに挿して使ってたデータ保存用のヤツ。

 あげると言って渡したそれには、高校の頃の先輩の写真だの動画だのが容量ギリギリまで大量に入ってる。
 丁度先輩がトイレから戻ってきたので「あたしのウハウハの源っス」と説明しても、どうやら理解していないらしい。

 昔、バイトもしてなかったあたしがどうやって部活帰りに買い食いだのする金を工面していたのか、先輩は知らないんだろうなぁ。
 あたしが、あんたの写真をプリントアウトして1枚300円で売って儲けてたって、知らないんだろうなぁ。

 当時一回だけ、先輩はあたしのウハウハの源だ、みたいな事は本人に言ったんだけど、あの頃も何も気付いてなかったし、きっと写真買ってるファンの皆は先輩の写真を裏で流してるのをバレたくないから必死に隠してただろうし、この人抜けてる所あるし情報通でもないし、知らないままに卒業してったんだろうなー。

 狼さん旋風が起きてた頃や、その少し前でも先輩は人気者だった。
 バスケのルールもしらないくせに、バスケの大会には見学に来る女子は多かったし、部活中も体育館の入口にたむろしてる女子は多かった。
 そういう生徒に写真をチラっと見せて「300円で買う?」と言えばかなり良い儲けになったし、コンビニでプリントアウトしても写真は1枚30円かそこらだ。
 先輩は部活中ほぼボールとゴールしか見てないから写真は撮り放題だったし、あの人が一番輝いててカッコイイのは、制服着てる時じゃなくてコートの中だったから、最高の条件が揃い過ぎて、いい稼ぎだったのだ。

 それのデータが、このSDカードの中にはある。

 先輩にあれだけ首ったけな愛羽さんならきっと喜ぶと思う。
 貰うかどうか迷ってた彼女もしれっとポケットに入れてたし、データのバックアップとかも、あたしは取ってない。

 だからもう、バイバイだ。

 飯を終えて、店の駐車場。
 車で送ってやろうか? と言う先輩に嘘を吐いた。

 ここからあたしの家は、歩けば30分近くかかる場所にある。

 だけどこれ以上、先輩とも、愛羽さんとも一緒にいたくなくて嘘を吐き、喧嘩の火種になっちまえと思いながら「確かに魅力的っス」と真面目くさって意味深に告げ、夜道の一人歩きを心配をしてくれる先輩に喧嘩を売り、あたしは立ち去った。

「へーい。じゃ、先輩、愛羽さん、失礼しまーす」

 背中を向け、駐車場から出て、角を曲がって振り返った。
 よし、見送りには来てないな。

 よかった。
 もう。
 我慢できないから。

「……こんな寒ぃ中泣いたら鼻めっちゃ痛ぇじゃん……」

 鼻水啜る度、冷たい空気に激痛が走る。
 流しっ放しの涙もすぐ冷たくなって、痛い。あとなんか、肌がかゆい。

 あーもー。最悪。
 なんでこんな、辛ぇことばっか、起きんのかな。




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