第39話 武藤と不変の笑顔

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 その後の先輩はマジで、ああ言えばこう言う状態で、あたしを散々コケにしてきた。
 加えて。
 愛羽さんまでもそれに参加してきて人をコケにしながら、あたしがいつから先輩を好きだったのかを明らかにしようと努めた。

 既に理解していた事だけど、愛羽さんは馬鹿じゃない。それに、怒ると怖い。
 先輩は怒っても怖くないけど、めちゃくちゃ直球で物を言うし、聞いてくる奴だ。まるで、どこかの絵描きみたいだと思うけど、いやいや違った。引地に先輩が似てるんじゃなくて、先輩に引地が似てたんだった。
 知らず知らずのうちに、先輩より引地と過ごした時間の方が長くなっていたせいか、彼女の存在や、彼女に関する記憶の方が、濃くなっていたので起きた勘違いだろう。

 まぁそんな引地の事は置いといて。

 あたしは二人掛かりで寄ってたかっていじめられ、吐かされた。
 高2の頃は好きだったけど好きじゃなかったこと。好きの種類。ライクがラブに変わった時期。
 どう考えても先輩の今カノに聞かせるような話じゃないだろと思うのに、吐かされた。

「ケド。大事な後輩って言われて……マジでそれだけの関係でしかなかったのかと思ったらそれが……なんかイヤで。そっから先輩のことばっか考えるようになって。だけど受験の邪魔する訳いかねーし、卒業して合格発表あった後ならいいと思って連絡したらメールエラーだし、電話番号も変わってるし。……そんで先輩と連絡とれなくなってやっと気持ちに気付いたんスよ。まぁ……そういう訳なんで。だから。マジで。高2ン時は、好きじゃなかったし、そういうコトっスから!」

 めっちゃ恥ずい。なんなんこれ。なんでこんな状況にされなきゃなんねーんだよボケ。なんの罰だアホが。
 半ば自棄っぱちに言い放って、残っていた茶を飲む。
 だいぶ溶けたものの氷がゴロゴロ入ってるグラスでよかった。まだ冷たくて、火照った体が一気に冷える。

 あたしが氷までも口に含もうかとしていた時、先輩があたしを呼んだ。

「悪かった。ごめん」

 歯にあたっていた氷をグラスに戻して、自分の表情が強張るのを感じつつ、なんとか息を吸って、下げられた頭に向かって質問する。

「……なんで、謝るんスか」
「お前の気持ちに、ちゃんと向き合ってやれなくて、ごめん」

 真っ直ぐな奴って、どいつもこいつもだ。
 こっちの心情なんてお構いなしに、喋ってくる。言いたい事を、言ってくる。

 烏龍茶で冷えたはずなのに、腹の底がカッと熱くなって、その熱に振り回されるようにあたしの口から攻撃的な返答が飛び出す。

「……あんたが彼女持ちってのは、マンションで会った日に知らされたし、それに、勝手に消えた奴のことずっと好きで居続ける訳ないっしょ。あんま、自惚れないでもらえますかね」

 言わなきゃ、バレない。
 あの日。マンションのエントランスで再会した日、号泣したなんて。
 あれは引地しか、知らないあたしだ。

 今日だって、なにかと仲の良い様を見せられ、終いにゃキスまで目の前でされてんだ。
 生憎と、失恋の号泣したからハイじゃスッパリ忘れて次々! みたいに切り替えれる恋多き女じゃねんだよあたしは。
 これでも結構ギリギリで耐えてんだぞクソが!!

 そういう内心を全部ぶちまけられたらいいと思うけど、ちっぽけでも一応在るプライドがそれを許さない。
 失恋の号泣をした日から、あたしの気持ちはどれほど先輩を好きなのか、どれだけ残っているのか、自分でもはっきり把握できてない。
 けど、今日、先輩の背に庇われたと思った瞬間には間違いなくグッときたし、久々にきちんと話が出来て声が聞けて、やっぱりいいなと思ったのは事実だ。

 そんな微妙な心境のあたしに向かって、あんたはマジで容赦がねぇ。
 言いたい事を真っ直ぐ伝えてきて、マジで、ムカつく奴だよ、あんたは。

 あたしからの敵意は、少しくらいは伝わってると思う。
 だけど先輩は、穏やかに首を振った。
 そしてまた、あたしを真っ直ぐに見つめて、言いたいことを、伝えてくる。

「そういう意味で、向き合えないって言ったのもあるんだけど、まず何より、私は私の都合でバイト先を除いて高校の全部を捨てた。高2のお前はちゃんと私を友情や先輩として好きって本当の気持ちを伝えてくれてたのに、それでも捨てて、逃げた。その行動は、お前の気持ちに向き合ってない。それは本当に、悪かった」

 年下で、後輩のあたしに、何の躊躇いもなく先輩は頭を下げた。
 ちっぽけなプライドを優先させて、素直さを捨てて即行で噛みつくようなあたしとは、全然違う人。

 茶髪のつむじが見えるくらいに深く下げた頭に、あたしは言葉を失うしかできない。
 だって。

 この人の謝る理由が。
 そんなことを考えて、謝っただなんて。

 喉が詰まる。息がし辛い。
 何か言わなきゃ。言葉を返さなきゃと思うのに、上手く文字が、出てこない。

 そうこうしてると、頭をあげた先輩があたしを見て苦笑する。

「なんて顔してんだよ」

 あたしに、まだ、この人は笑いかけてくれる。そこに苦味が混ざっていようと、笑って、真っ直ぐ、見てくれる。
 そんな人に謝らせたのか。
 あんな考えをさせたのか。

 あたしは……この人に……。

 あたしなんかのせいで、この人は。

「馬……鹿なんじゃないかあんた……!」

 呻いた声が向かい側へ届くかも不安なくらいだったが、先輩は拾ってくれて、また苦笑する。

「うん。バカと思う。今思えばお前にはアドレスとか教えたり――」
「――違ぇよ馬鹿!」

 そうじゃねぇよ!!!

「知ってんだよ。あんたが逃げた理由は大体知ってる……! ヘタクソ共に目茶苦茶好きなバスケの邪魔されて理不尽に耐え続けさせられて! ずっとずっとンな事させられて! 帯谷先生は自分のせいで他校かどっかにとばされて! 近岡先生に嫌われて! 生活指導でも睨まれて! あんな楽しそうにしてたストバスだって取り上げられて! 女共にはうざいくらい付き纏われて! 普通じゃなくて目茶苦茶な高校の思い出なんかいらねぇよ! ンなの当たり前であんたがああしたのは当然だ! なのにどうして……っなんで! たかだかあたし一人が、今になって遅すぎる今のこのこ出てきて文句言ったぐらいで謝ったりすんだよ……っ。なんでいっつも! 責めねぇで守ったりすんだよ……っ!!」

 あたしが転校して、同じ部に入ってから、あんたの傍に大抵居た。
 だから知ってる。見てきたから。
 当時自分じゃ自覚してなかったけど、好きな人だったから、ずっと見てた。

 だからひでぇ事になっていくのも、見てた。知ってた。
 けど、面倒事に巻き込まれたくなくて、保身に走って、先輩とは近くて遠い距離に居た。
 自分可愛さに、助けれる時だけ、気が向いた時だけ近付いた。
 ストバスを紹介して連れてったのはあたしだ。けどそこで問題が起きたら、先輩が庇ってくれたまま、大人しく庇われた。自分じゃ何も、しなかった。
 責めない先輩に甘えて、守ってくれる背中に隠れた。

 一番安全な場所で、好きな人を犠牲にしながら楽しんだ。

 そんなあたしを、今でもあんたは……っ。

 感情の走るままに想いをぶちまけた。
 きっと、先輩にしてみりゃあ理不尽だろう。
 先輩を大事にしたがってる愛羽さんからすりゃあ、とんでもなくムカツク奴に映ってるだろう。

 けど、愛羽さんは何も言わないし、先輩は片眉をくいと持ち上げて、呆れ口調でさらりと告げた。

「お前は後輩なんだから、守ってあたりまえだろ」

 高校の頃、「お前バカだな」と言いながらよく見せてくれてた笑顔で、「大事だから、お前を抱かないって言ったろ? それと同じだ。どうでもいい後輩なんていくらでもいるし、そいつらに文句言われても何とも思わない。でも、お前は私の高校時代で居てくれてよかったと思う数少ない人間の一人で、その中でも後輩だ。そりゃあな、守るよ。私も兄に守られて育ったから」なんて、平然と言ってくる。

 ちっとも変わらない笑い方をあたしに向けながら。
 あの頃はそんなこと一度も言ってくれなかったくせに、今言ってくる。

 背中で語ってた。行動で語ってた。
 それを今は、言葉にして直球で、ぶち込んでくる。

 こんなあたしなんかを、守ると言ってくる。
 もう同じ部の後輩でもない。恋人でもない。
 ただ同じ大学に通う年下の人間に対して、守るのは当たり前だと言ってくる。

 マジで。
 まじで。

 まじであんた……なんなんだよ……っ。

「あ゛ーーーーー……っ」

 堪えきれずにあたしは上を向いた。
 絶対バレた。
 泣いたのバレた。

 そう思うのに、閉じた瞼の隙間から熱い液体が滲み出ていくのを、あたしはどうしても、我慢できなかった。




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