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もし身動ぎして、二人のどちらかがこっちを向いて、泣きそうな面を見られるのは避けたい。
その一心で微動だにせず耐えていたあたしの耳に届いたのは、キッパリとした強い言葉だった。
「でも。無理して言ってるって、顔に書いてあるから、全部は納得できない」
それを言われた先輩は……どんな映画でも、見た事がない表情をしてた。
なんて言い表せばいいか、どんな言葉をあてがえばいいか、あたしには分からないカオで「なんで、分かっちゃうんですか?」と、泣きそうに不安定な声音で訊く。
その向かい側では、愛羽さんが。こちらもこれまたビックリするくらいになんて言えばいいか分からないカオで「大好きだから、分かるのよ」と返事をしてる。
愛羽さんに至っては、カオだけでなくて、声にも、驚いた。
丸くて、柔らかくて、ほわんとした響きで、そんな声を聞いてる耳があったかい綿で包まれたみたいになる。
首筋に鳥肌が立って、でも寒い訳じゃなくて。
帯びた熱が上昇していく妙な感じ。
泣きそうだったあたしの目の縁からは、いつの間にか涙が消えていて、今はカッカと熱い耳と頬の意味を、理屈を、カラクリを、知りたくなる。
なんだよ、この感じ。
なんの催眠術にかかってんだよ。
心臓はドキドキしてくるし、耳の熱が頬に移ってきて落ち着かない。
だけどそんなあたしを他所に、先輩はなにやら話を始めていた。
テンチョーって人に教えてもらったっていう方法?
「虚勢も、嘘も、張り続けて、吐き続けて、本当にしろって」
先輩の、恩人? らしいけど。
「そうなりたいと思うなら、続けろって。大丈夫って思えるようになりたいなら、顔を上げ続けろ。出来ないんだ無理だ駄目だっていつまでもグズグズしてたら、そっちが本当になる。それが嫌で、どうにかしたい、変わりたいって思うなら、虚勢も嘘も、見栄も、意地も、思いつくもの全部使って、本当にしてしまえって」
「…………あの人らしいわ」
聞いてる限り、どうやら、愛羽さんもそのテンチョーって人と知り合いらしい。
「だけど約束事がいっこあって。見破ってきた相手には、甘えること。だから、愛羽さん。今夜、甘えていいですか?」
あたしは自分の耳を疑った。
先輩が、甘える?
は? 空耳か?
イヤ。
いやいやいやいやいやいや。あの先輩が甘えたがって? その許可を? は……?
「もちろん」
でも愛羽さんの快諾に先輩はほっとしてるし、嬉しそうだし、わざわざ「ありがとうございます」とか言ってるし。
「そのお礼も、その前の確認も、要らないくらいよ?」
「ほんとですか?」
「うん。もちろん」
いいテンポで交わされる会話を追いかけて視線を左右左右と動かしていたあたしは、未だに、目の前の光景と会話が信じられなかった。
だって、あの先輩だぞ?
どんな事をされても耐えたし、解決する為に兄貴や他の人の手を借りる場面はあったもののそれは”甘える”とかじゃなくて”手を借りる”だった。
顧問と1on1して負かして教師に言う事聞かせるような人だぞ?
そんな先輩が、甘えていいですか? だって?
問答無用で甘えるとか、抱くとか、そんなんじゃなくて、まずOKかどうか訊く?
そもそもこの人が甘えるとか、一体何をするんだって話だけど……。なんて思ってる間に、なんか知らんが腰をあげた先輩が片膝でソファに乗り上げた。
「ぇ?」
最後に見えた愛羽さんの顔は、恋人である先輩の動きにびっくりしてた。
それを覆って隠したのは、先輩の背中だ。
片膝でソファに乗り上げた先輩は、愛羽さんに覆い被さって、……たぶん、腕力にものを言わせて抑え込んでキスしたんだと思う。
多分愛羽さんのだと思うけど、呻き声が聞こえたし。
洋画でそういうシーンが突然始まるのはよくあるし鍛えられた流石のあたしでも、叫んだ。
「コッ……ッ! こっ後輩前でナニしてんスかッ!? 馬鹿じゃねぇの!?」
何考えてんだ!!? 馬鹿なの!?
なにいきなり盛ってんだよ!!!?
甘えるどーのってこの場でヤるとかそんな話じゃないだろうなっ!?
そんな事おっぱじめたらあたしは迷わずコート引っ掴んで帰るからな!? と思っていると、愛羽さんが先輩を殴り始めたので、一応、安心した。
どうやら、頭がおかしいのは、先輩だけらしい。
愛羽さんは流石に恥ずかしいからか片手で紅潮した顔を隠しつつ、責めるように隣の馬鹿を殴り続けてる。ってことは、まぁ、この場でナニが始まるとかは、ないみたいだ。
にしても驚いた。
先輩があんな行動するなんて。理解不能すぎる。伊達に狼さんやってた訳じゃねぇな……マジで……。あー……びっくりした。
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