第36話 武藤と対象の変化

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「武藤。本当のことを教えて欲しい。愛羽さんがそう言ったからとかじゃなくて、お前の気持ちを知りたい」

 あたしは、思った。
 今、先輩は、愛羽さんを背に庇ったな、と。

 ああ……守る対象が、変わったんだ、と。

 もうその背中には庇ってもらえないんだ、と。

 あたしが見るのを許されるのは、でかくてカッコイイ背中じゃなくて、正面。
 力んだ眉の下で険しく見つめてくる茶眼。通った鼻筋とキリと引き結ばれた唇。

 守る相手じゃなくて、戦う相手に、格下げされた訳か。

 見せつけられたその現実のせいで、一気に、泣きそうになった。
 鼻の奥が痛いし、視界は潤むし、表情も、先輩に言い返す声の震えも全然コントロールできない。

「あたしの気持ちを知ったところで……。教えたところで、何になるんスか」

 もう遅い。何もかも。
 いや、遅いとか間に合ったとか、そんな次元じゃないんだ。
 先輩が卒業する前にあたしが、あたしの気持ちに気が付けていたら……とか、思わないでもなかったけど……先輩が連絡方法を絶たなきゃあたしは自分の気持ちに気が付けなかった。だから今更、あの時こうすればよかったとかそういう後悔を抱いたりするのは今ある現実の否定に繋がる。
 それはイヤだ。先輩への気持ちを自覚したのも、大学受験の勉強を頑張ったのも、バイトを頑張ったのも、やらなきゃよかったなんて考えた事は、一度もないから。

 だからもう、ほっといてくれ。
 あたしは実家から出て一人暮らしできた。大学に行けた。からっぽだった自分に、大学生という居場所を与える事ができた。獲得できた。

 先輩を追っかけてたのはある。けど、もう失恋したんだ。だからもう、今更、昔を掘り返すなんて、しなくていい。
 今更、先輩に気持ちを伝えようなんて、思わないから。

 だからほっといてくれと思うのに、先輩は、対峙してるあたしから目を逸らさない。

「お前にきちんと向き合える。向き合って、謝りたい」
「向……っはぁ!?」

 敵として見ているくせに、先輩はそんな事を言ってきた。
 謝る!? なんで!? 謝るってことは、雲隠れしたことを悪かったと反省しているのか!? と思ったが、違う。違うな。
 この謝る対象は、愛羽さんによってバラされたあたしの気持ちだ。

「なんで先輩に謝られなきゃなんないんスか! 好きか嫌いかもまだ言ってないのに、なんで謝る必要があるんスか……っ!」

 鈍感だけど、バカではない先輩の事だ。
 ここまで愛羽さんに演説をかまされたら、流石に気付いてしまったのだろう。

 隠していたあたしの気持ちに。

 愛羽さんに一番ダメージを与えようと思って答えをぼかして、まだ、ハッキリとは口にしていないけれど、きっと……先輩にバレてしまったに違いない。
 だから「謝りたい」と言うのは”お断り”をしたいという意味……だと思う。

 けど。

 ……けど……!

「向き合いたいのも、ぁっ……謝りたいのも、先輩じゃないっスか! あたしに何の得があるんスか! 先輩が向き合いたいから向き合って、謝りたいから謝って、それをあたしは聞くだけ聞かされて! また自分のしたいようにするんでしょ!? こっちの気も知らないで!」

 先輩。それはあんまりにも、ひどすぎる。

 急に消えて、あたしに気持ちを自覚させて。それを伝えられない状況まで作り上げて。置き去りにして。やっと話が出来たと思ったら失恋に陥れて。それはあまりにも、あんまりにも、酷過ぎる。

 この2年間の事が走馬燈のように頭の中を通過していって、心臓の辺りがぐちゃぐちゃになりそうだった。

 溜まっていた不満を全部投げつけて、押しつけて、それでも何も言わず、じっとあたしを見つめてくる真っ直ぐな眼の人に、子供の癇癪みたいにぶちまけていく。

「向き合うっていうのも今更っスよ! 勝手過ぎる! 先輩は逃げたくせに、自分で拒否ったくせに! こんな状況になったらきちんと向き合う!? 置き去りにされた方が辛いしっ、なのにこれだけがんばって漕ぎついた現状でよくそんな勝――」
「―― いい加減にして。わたしに言わせれば、雀が謝る必要はないし、むしろあなたがその身勝手さを謝罪すべきよ」

 いきなり割り込んできたのは、あの女だった。




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