第34話 武藤と教育

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 正直、羨ましかった。
 愛羽さんが先輩を愛でるように、あたしを見てくれた大人は、一人としていなかったから。

 いいな、と腹の底がジリついた。

 横顔だけでも魅力的に見えるんだから、正面から愛でる眼を向けられればどれほどなんだろうと興味が湧いた。
 だから二人きりの世界になっている間へ無理矢理割り込んでみた。ら、なんか、愛羽さんの態度が180度変わっててびびる。同時に、うわ面白れぇとまた興味をそそられる。

 その上、

「余計に、ムカツクのよ」

 だなんて言い放ってくる。
 目を丸くせざるを得ない変化に、ワクワクがどんどん募っていく。

 先輩曰く、こんな感じの愛羽さんは珍しいらしくて、あたしだけが、愛羽さんの珍しさを引き出せたのかと思うとなんとなく鼻が高くなる思いだ。

 他にはどんなカオを持っているんだろう?
 どんな愛羽さんの魅力があるんだろう?

 沸々と込み上げる彼女への興味を他所に、ソファ席へ座る二人は、なにやらいい雰囲気。
 先輩はついさっきまで呆然として微動だにしなかったくせに肉を食ってるし、愛羽さんは口では「とっても怒ってる」とか言いつつもふわりとした微笑みを隣に送っている。

 横から見る和やかな笑顔もいいなぁと思った一瞬あと、愛羽さんがこっちを向いた。

 ぇ。

 震える事さえ逃した程、あたしは驚いた。
 い、いまさっき、笑ってたよな……?
 ふわっとしてた……よな……?
 ま、真顔なんだが。
 怖いんだが?
 オイオイ待て待て怖ぇっつーんだが……!?

 一秒にも満たない時間で全てを脳内で騒ぎ散らして、あたしは逃げるように視線をずらした。
 本音を言えば全力で明後日の方向を向きたいくらいだったがなんとか残っていたコントロール力で、愛羽さんの鼻先へ視点を定め、やり過ごす。

 せっ、先輩見てた時の可愛い顔はドコ行ったんだよ!? などと騒ぐ内心をひた隠しつつ、なんとか平静を保つ。

 だが。

「絢子ちゃん。目、見て話そっか?」

 怖ぇぇぇぇっ、バレてやがる……!
 ぞっとすると同時に、ワクワクが止まらん。あたしが言い返せば、愛羽さんはどんなふうに応じてくるだろうとかと期待が膨らんでしまう。

「見てるじゃないっスか」
「あなたが今見てるのはココ。鼻じゃあなくて。目、見て、話そっか」

 うわ。うっわ。うわ~やーべぇ愛羽さん。あたしがどこ見てたかすら把握してるし、語尾のクエスチョンマークを消し去り”3回目はないわよ”と云わんばかりの圧力の籠る催促。
 怖いと思う。けど、楽しいとも思う。面白いと、思ってしまう。

 実際あたしは、楽しんでる場合じゃない。
 愛羽さんの査定をしなきゃならない訳だから、面白がって彼女と遊んでる場合じゃない。
 でも興味が湧いて仕方ない。
 あたしに”怖い”と思わせられる人間がこの世に少なすぎて、この感情が新鮮過ぎて、堪らない。

 武者震いでも起きそうな体を落ち着かせる為に息をゆっくり吐いて、とりあえず、彼女の指示に従ってみた。
 バッチリ、目と目が合った。次の瞬間、

「ん、上手、よくできました」

 褒められた。
 真っ直ぐにあたしを見つめた眼が弧を描くよう細まり、口角はくいと持ち上がる。

 それまでのカチッとした雰囲気の鋭い真顔から、一瞬で切り替わった笑顔に正直な話ドキッとした。いやむしろ……ドキッと言い表すよりも、キュンと言い表した方が合うかもしれない。
 そのくらい胸に衝撃を与えてくる愛羽さんの笑顔だったのに、それはものの一拍で消え失せ、「で、話を戻すけれどさっき言った」と真顔に戻って喋り始めた彼女を、あたしは超大慌てで遮って騒いだ。

 今愛羽さんの手に赤ペンが握られているなら、あたしの額にはなまるでも書きそうなくらいに、見事な褒め文句だった。あたしが言う事を聞いたら、褒めてにっこりしてくれた。それはもう教育としか思えず、もっと悪く言えば調教だ。テンポ的に言えばかなりのハイペースだし、初めて一緒に飯を食う間柄でやるような行為でもない。
 褒められた瞬間はホワンとするような心の色だったが、先輩までもが「教育された方がいいぞ」などと言い出したので、あたしはハッと我に還ったのだ。

 こんなん洗脳じゃねーか!!

「なんなんスか先輩! 狼が犬みたいになって!」

 あんたはもっと格好良かったはずだ!
 あんたの横顔も背中も眼も、昔はもっと尖って、鋭かったはずだ!!

 なのに先輩は、隣の恋人を見下ろして。
 当時の尖りなど一切ないような声音で告げる。

「犬でも下僕でも奴隷でも、愛羽さんの傍に居られるなら、なんにだってなるしそれでいい」

 ハァァッ……!?
 叫んでやりたかったけど、寸前に愛羽さんがトマトがどうとか喋り始めたのでとりあえず、あたしは黙る。

 焦げそうな肉を焼き場から救出しつつ、なぜか怒っている愛羽さんの話に耳を傾ければ、先輩を大事にしたいとか言う割に、普段犬扱いしてはいるらしい。
 全然大事にしてねーじゃんとツッコミたくなる矛盾だが、犬扱いって……なんだ? 家で首輪でも着けて生活してんのか? 先輩……。鎖に繋がれてケージにでも入ってたらあたしはマジで引くぞ……?
 犬用の平べったい皿に飯入れられて、四つん這いにでもなって食ってたら、マジで通報する……。
 つか、わしゃわしゃするとか……なに?
 撫でてもらうの嬉しいとか……え、マジか? 先輩。マジで首輪、着けてたりすんの……?

 うわうわうわキモイこれ以上聞きたくないないない!

 流石にアブノーマルな世界に染まり過ぎだぞ先輩!
 年上のやべぇ女の趣味に染まってねぇでノーマル世界に帰ってこい先輩!!



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