第26話 武藤と過去を知らない奴

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「……」

 無言で見下ろしたケータイ。
 送ったメールの返事は来ない。出張ってのがどんだけ忙しいのかは知んねーけど、ここまで返ってこないとなると、そこに何かしらの意図を感じる。

「……愛想良いとは思ったんだけど」

 違ったか……?

 一応人を見る眼っつーか、裏を嗅ぎ取る鼻は持ち合わせてるつもりなんだが今回はミスったかぁ……?
 首を捻りながら『元気で何よりっス。先輩は元気っスか?』というメール内容を表示する画面をオフにして、ケータイを置く。

 先輩の彼女――愛羽さんという奴だが……一体どうなんだ?
 引地が言うように、先輩を誑かすような悪い女だったか?

 先輩は優しいからなぁ。例えば泣いて女に縋られたらこう……助けたいとか守ってやりたいとか思っちゃって簡単にオチそうな種類の人間だしなぁ。

 守った分だけ、得がありゃあいいんだが……なぁ。

 溜め息が出る。
 あの人は……なんつーか、自己犠牲が過ぎる性格だ。

 高校の頃、保健室には帯谷珊瑚という変わった名前の教師が居た。
 その教師、調べれば調べる程クズ。教師として終わってる奴だった。なにせ未成年の生徒に手を出すだけでなく、男も女も関係なくとっかえひっかえに、抱いたり抱かれたりしていた。しかも、たぶん、近岡先生と恋人の関係になっていながら、だ。

 出回る噂の端を掴んで元を辿れば、大体男だった。しかもかなりの確率で童貞。筆おろしマスターかよと脳内でツッコんだのは記憶に濃い。
 行けばヤらしてもらえると、かなり密かではあったが噂になっていた。

 密かな噂というと矛盾しているようにも思えるが、その有益な情報と体験を守る為、情報保有者は信用できる奴にしか話をしないし大っぴらにしない。密かに密かに、話を回して、体験して、体験談も回す。そんなやりとりを他の教師に知られないよう、マジで、超真面目に、あいつらは秘密を共有していた。

 比率的には男の方が圧倒的に多かったけど、女も時たま帯谷先生に抱かれていたらしい。そして顔がイイ上、部活で怪我を負わされ保健室の利用が多かった先輩は漏れることなく、帯谷先生に個人的にお世話になったようだった。
 いつから世話になっていたかは分からなかったけど、いつの間にか先輩はちょっとだけふわふわした雰囲気を纏うようになっていた。それはきっと、自分に初めて恋人のような存在(実際はセフレだったけど)が出来て浮かれていたからだろうと思う。

 だがそれはある日を境に一転した。

 帯谷先生の所業がついにバレて、学校を辞めたのだ。
 調べた所によると彼女が自ら辞職手続きをしたようだが、その裏にあるのは、数々の生徒との交遊だったみたいだ。
 まぁそりゃああんだけとっかえひっかえやってりゃあいつかはバレるだろうし、バレた所で庇ってくれるような近岡先生じゃあないだろうし、結局は自業自得だなとあたしは呆れ混じりに嘲笑っていた。

 けど、先輩は心境が違ったらしい。

 帯谷先生がいなくなって抜け殻みたいになったかと思えば、まるで先生が乗り移ったのかと思うくらいにとっかえひっかえやりはじめた。
 最初噂を聞いたときはまさかあの安藤先輩が? と疑い、信じる気にはなれなかったが、誰も彼もが口をそろえて「狼さんが気持ち良くしてくれた」と言えば信じざるを得ない。
 一体どうしたんだと先輩を見張ってみると、日課のように閉まって開かない保健室のドアに触れて嘆息を吐いたり、物悲しそうにする姿を多々見た。どこか後悔を含む横顔や背中は、確実に自分を責めている。悲しんでいる。

 あたしのように、「そりゃ帯谷先生の自業自得だわ」と切って捨てるような考えはしていない。
 むしろ、自分のせいで帯谷先生がいなくなったとすら考えてそうな雰囲気。
 その贖罪なのか、はたまた、溜まる性欲の捌け口を探したからなのか。

 狼さんの噂はどんどん広まっていった。

 もしかして……飛ばされた帯谷先生のために罪悪感を背負って、狼をやってるのか?
 そう思わないでもなかったが、でもだったら男は撃退して抱かせない意味が分からない。
 女ばかりを抱いて、しかもむちゃくちゃ優しいし気持ちいいらしいから、先輩は嫌々でなく、好きでやってる事なんだろう。

 でもそれにしたって変化が大き過ぎる。
 あのストイックで硬派な先輩が随分と、帯谷先生の消失のせいで変わったものだと思った。

 高校の頃を思い出したあたしは、いつの間にか閉じていた瞼を開けた。
 視界に広がるのは一人暮らしの狭い部屋。

 置かれたケータイを手にして、あたしはまたメールの着信を確認した。が、来ていない。

「……あんときあたしに昔の事聞いてきて。で、先輩は訊かれたくなさそうで。つまり愛羽さんは高校の狼を知らねぇ訳だ。もちろん、帯谷先生の事も。帯谷先生がいなくなった時の先輩の変化も」

 だからこそ平気な顔して「出張なのよ」とか言ってたんだ。
 出張から帰ってきた来週、あたしに飯奢る件について連絡するって言ってたってことは、出張は1日2日でなく、まぁ一週間くらいはあるんだろう。

 出張そんな長くて先輩、大丈夫なのか?

 まずそれが頭に浮かんだ。
 引地に「愛羽さんはまともな女か?」と問われ、夜眠らずに考えた結果「微妙」と現時点では答えが出たし、帯谷先生消失でおかしくなった先輩の過去を知らず傍を離れる仕事を簡単に選ぶ様子には、かなり疑惑の目を向けざるを得ない。

 その上、このメールの少なさ。
 女は大概マメな連絡をする奴が多いと思っていたけど、例外もいるらしいと再認識した。

 一日一通返事がくれば十分なくらいに、愛羽さんは連絡を寄越さない性格らしい。
 さらに、今のところあたしが最後に送ってメールが途絶えている。疑問文を書いて送ったのに、返してこないくらいに、筆不精。

 これでは先輩が心配だ。
 たかだか1週間だろうが、寂しいもんは寂しいだろうに。
 あの人は記憶力もいいし、帯谷先生が消失した時の体験と現在進行する現実を重ねて見てなきゃいいんだが……。

 警告というか勧告というか。
 ヒントのつもりで送ったメールの意味も、これじゃあきっと、彼女に届いてないだろう。

 先輩を気に掛けてやってくれてるのか、含めたつもりだったんだが……。

 こうなってくると、引地の言い分は正しかったのかもしれないと思えてくる。

 誑かされている?
 相応しい?

 どうだろうな。正直、まだ分からん。
 だが、刻一刻と、愛羽さんはやべぇ女説が説得力を増していく。

 プライベートでは自分の用事の送り迎えをさせて、荷物持ちもさせて、先輩になんでも言う事を聞かせて。
 仕事は家庭を顧みない父親レベルでバリバリ働く出張ウーマン。

 ……先輩は優しいからなぁ……。
 惚れた弱みで文句も言えないで、言うこと聞いてたりするのかもしんねぇなあ……。

 だったらいよいよ、あたしがどうにかしてやるべきなのかもしれねぇ。



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