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「同性愛って、知ってるか?」
そんなセリフを皮切りにあたしは長々と説明した。
引地には難しいだろうな、とか。分かりにくいだろうな、とか。受け付けないだろうか、とか。色々と思う所はあったもののとりあえず全てを言葉にして、関係を、経緯を、状況を、説明する。
やはり流石に、バスケ部でひでぇ扱いをされてたコトや、狼さんとして大人気だったことは伏せたけれど、先輩が女で、かつあたしの好きな人で。その好きがライクではなくて、ラブの方の好きだと説明した。
途中ふと我に還り、なんで自分はこんなことを当の先輩でない人に聞かせてるんだと急激に恥ずかしくなったけれど、話を熱心に訊き、分からない所は質問をしてくる彼女の態度が真摯すぎて、引くに引けなくて、隅々まで説明を施してしまった。
様子を見ている限りでは、引地は同性愛というものに嫌悪感は抱いていないようだ。
それどころか、興味があるらしく質問はなかなか尽きない。
例えば、同性を好きになってもいいのか、といった初級の質問から、同性愛者はよく存在するのかとか、同性愛は普及しているのかとか、同性愛者は告白をするのが普通なのかとか。
マジで細かい所までいろいろ。ほんっと色々聞いてきた。
回答するあたしだって、同性愛者がどれだけ居て、どこに分布しているのかなんて詳しく知らない。答えに窮するような質問は回答拒否したかったけれど、先に言われた例の「だって、あたしの事が分からないならちゃんと聞け。お前が分かるまで答えるから。ってあなたは前言ったじゃない。だから私は分かりにくくて難しい話でも、大丈夫。理解できるはずよ」って言葉が頭から離れなくて、あたしはできるだけ自分にある知識は脳みそから絞り出して提供した。
最後の一滴まで絞って絞って、捻り出して引地に提供したころには、抜けていた腰も元に戻り、胡坐をかけるまでになった。
「そろそろ満足か?」
腕を組み、顎先を撫でながら考え込む引地が黙って数分たった。そうやって黙ってりゃコイツ、美人な部類の顔してんのに喋り始めたらめんどくせぇんだよなぁ残念な事に。なんて失礼な思考をゆるく回しながら尋ねたが、答えは返ってこない。
どこか一点を見つめて何かを考え込んでいる引地。
喋らないコイツを放置して帰るのもなんだしなぁ……どうするか。
ま、とりあえず、待つしかないよな。
説明し終えたあたしは座卓に頬杖を着いた。
ぼーっと眺めるのは引地だけど、考えるのはやはり、先輩の事だった。
……。
……。
先輩。
……彼女、作ったんだな。
ま……あの人ならモテるし、居ても不思議じゃないけど、なんかこう……あっこまで仲いいっつうか、手懐けられてるの見ると……複雑だ。
荷物持ちしてたし、なんでも彼女の言う事聞いてたし、触れさせてたし、今日も明日も送迎っつってたし。犬じゃねーかよ。狼はドコ行ったんだよ。
足癖の悪さや乱暴な所は昔と変わんねーくせに。
いっちょまえにスーツなんか着て。……んでまたそれが似合ってっし……クソが。
あたしには会いたくなかった、って言ってたな。やっぱ。……あたしはあの時、捨てられたんだな。
ケド、そこまで会いたくなかったなら、大学で見掛けても自分から声掛けないでよかった。たぶん、彼女の前だからあの程度の態度の悪さで済んでたけど、ドチビええと……愛羽さん? がいなかったら今日以下の態度だったってこと……だよな。
それはきちぃわ。流石にキツすぎる。
……でも……連絡先、貰っちまったなぁ……。
なんで聞いちまったんだろあたし……。
彼女居る時点で……聞いたらダメだろー……。
諦めろよな、いい加減。マジで。無理だって認めろよ、あたし。
あの人は卒業の時あたしをいらないと思って連絡を絶って、会いたくないって思ってたんだ。今だってあんな仲がいい彼女が居て、犬ッコロみたいに言う事めちゃめちゃ聞くまでに手懐けられてんだぞ。
別れる気配なんて微塵もなかったし、例え別れた所であたしへ先輩の目が向くことなんてねーって。
だって会いたくなかったんだぞ? ハッキリきっぱり拒否る相手に、天地が逆になっても惚れるなんて、付き合うなんて、ありえねーって。
無理なんだって。もうあたしに出来る事は何もねーんだって。
「泣かせたくないから手を貸して合格させたのにね」
耳へ入ってきたのはなんとも表現しにくい声で、視界にぬっと入ってきたのは手だった。
ペンだこのある指は迷うこともなくあたしの頬に触れる。
頬骨から目尻近くへ撫でるように動いた指の感触で初めて気付いて……苦笑した。
どうやらあたしは、泣いているらしい。
考え込む引地を待っている間に自分も考えに沈み、その上、失恋のショックで涙を流していたみたいだ。
泣いてるのに気が付かないなんて、映画のワンシーンかよ。
「泣かせた上に、そんな辛そうに笑う顔までさせるなんて、合格させなければよかったわ」
「おまえのせいじゃねぇよ」
不安定な涙声を発して、改めて自覚する。
あたし、めちゃくちゃ泣いてんじゃねーかよ。
頬を流れて、顎と首を伝って、服の中へと侵入した塩水が気持ち悪ぃ。でも、全然止まらなくて、そんなに辛いのかと自身の心境への理解が後になって追い付いてくる。
けど、あたしが今こうなってるのは、引地の……受験勉強を見てくれた家庭教師のせいではない。それは、絶対に、違う。
「お前が大学に合格させてくれた事と、先輩に彼女が居た事はちがう話だ」
「だけど」
「就職じゃなくて、進学出来てよかった。それは間違いねぇよ。だから……」
長く喋る事ができなくて、ごくと唾を飲んで整えるけれど、全然涙は止まらないし、鼻水も啜って貯めとくのが限界に近い。
「だから、んなこと、言うなよ」
グズッと汚い鼻水の音を立てて俯くと、謝られた。
ちがう。謝って欲しい訳じゃないんだ。お前が悪い事を言ってきた訳じゃない。
きっとお前は善意で今のを言ったんだ。泣かせたくないと言ってくれた奴だから、泣いていない状態にあたしをしていたかったんだ。それはこいつなりの気遣いだし思いやりだ。
でもあたしは進学を後悔してないし、今の大学で出来た友達も多いし、バイトは面倒な時もあるが面白いし、一人暮らしにも満足してるし、泣く結果になっている今でも先輩と同じ大学に合格できてよかったと思ってる。
そう伝えてやりたいのに、引地が頭を撫でるから。
初めて金髪に触れた日あたしを真っ直ぐ見つめて精一杯に出来る気遣いをくれた時みたいに、優しくするから。
目を開けているはずなのに、瞬きで涙をカットしてるはずなのに。溢れて溢れて前が見えない。視力はいいはずなのにぼやける視界には座卓や座布団や引地の半身が映ってるけど見えない。鼻水を啜ってるのかしゃくりあげてるのかも分からないような状態を脱したいのに、できない。
なんでこの部屋では、コイツの前では、こんなに泣いちまうんだ。
引地が酷い事を言ってきた訳でも、してきた訳でもないのに。
コイツはいっつも、肝心な時に、ただただ優しくしてくれただけなのに。
泣きながら、あたしは気付いて、どうしようもなく胸が詰まって、引地の膝に手を伸ばした。
既に風呂に入った彼女が着ているパジャマの膝を握って、泣く。
ごめんとありがとうを伝えたいのに、上手に声が出せなくて、言えない。
こいつは、あたしの為に、尽くしてきてくれたんだ。
勉強を見てくれて、合格させてくれて、辛い時には精一杯気遣ってくれた。出来る事を可能な限りしてきてくれた引地に、あたしはこんな結果を晒してしまっている。
ありがとう。
ごめん。
言いたいのに、言えない。
考えれば考えるほど、しゃくりあげてどうしようもなくなる。
未だに頭を撫でて、膝を掴む手の甲に迷いがちにも手を重ねてくれる彼女に余計、胸が詰まる。
引地。なんでおまえはそんな優しいんだよ。
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