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一言一句間違えず「それは、男子バスケ部の、という意味の、同じ部だったのね。同じ部というくらいだから、あなたの好きな人は女子バスケ部の先輩なのかと勘違いしていたわ。ごめんなさい」という台詞を脳内で繰り返してみて、あたしは瞬きを10回以上した。
その間、受験勉強以来かと思うくらいの猛スピードで脳みその思考回路を動かして、なんとか、なんとなく、状況を把握して。それから、引地を呼ぶ。
「なに?」
「あのな、引地」
「だから、何?」
あーもうこの腰! 抜けた腰どうにかなんねーのか! 喋り難くて仕方ねぇ!
うつ伏せの状態であたしは両手を床に着く。腕立て伏せの要領でぐっと上体を持ち上げて曲げた膝を体の下へ引き寄せる。そうやって無理矢理に正座をしてみたものの、腰が安定せずに上半身が傾いて脇腹を座卓でしたたかに打ち付け呻く。
「なにをしているの?」
「座ろうとしてんだよ……!」
そりゃ傍からみりゃ滑稽かもしんねーけどこっちは必死なんだよ!
座卓をひじ掛けみたいにしてなんとか座りを安定させたあたしは、改めて引地を呼ぶ。
だからなにと応えてくれるコイツもいい加減辛抱強い性格だなと感心しつつ、あたしは説明を求めた。
「お前、あたしと先輩の関係ってどんなものだと認識してる?」
突然、一体、なんの話を始めたがっているのかと考えてそうな顔をあたしに向けてきた引地だが、こちらがふざけていないと判断したのか、一つ嘆息のように小さく息を吐き、喋り始めた。
「あなたの一つ年上の男性。高校の時同じ学校へ通い、あなたは女子バスケ部。先輩は男子バスケ部へ所属。仲が良かったけれど、先輩が高校卒業をしてからメールも電話も通じなくなり連絡方法を失った。しかし高校の教師から聞き出した情報で、通う大学や学部を割り出し、あなたは同じ道を目指した。無事に同じ進路を辿ることを成功したが、食堂でその先輩を見かけても話し掛ける事が出来ない。それはもしかすると自分を嫌っているかもしれないという恐怖があるから。もしそうだったなら自分から話し掛けて不快な思いをさせないようにしたいと考えたあなたは、自分から先輩に話し掛けないと心に決めた。加えて、先輩が居て当たり前の場所……大学構内、最寄り駅でない場所で、先輩から声を掛けられない限り、目と目が合っても喋らない。そう決めた。……が、今日、このマンションのエントランスで先輩とその恋人の女性と出くわし……どうしてだか落ち込んでいる、そういう関係と認識しているけれど?」
長い説明を終えて、引地は小首を傾げた。
一方あたしは、「だよなぁそうなんだよな。今までそう思ってたんじゃなくて、今さっきあたしの発言で、女先輩と思ってたのを間違いだと判断して男先輩だと認識し直してくれた。お前はそういう賢さはある奴なんだよなぁ」と脳内で褒めておく。
引地のその認識のし直しは、尤もだ。
なにせ、女のあたしが「先輩が彼女といた……」と言い落ち込んでいれば、男の先輩が恋人の女性と居たと認識しておかしくない。それが普通だ。
元々洋画好きのおかげで同性愛に慣れきっていたあたしは、全く何の戸惑いもなく今まで過ごしていた。それはストバスの連中も偏見をこちらに向けて来なかったおかげでもある。
だが、この引地は違う。
こいつは普通の女子大生なのだ。
女が恋愛するのは男と相場が決まっている。
しかも、だ。
「続けて聞くけど。あたしが、先輩に思っている好きの気持ちって。引地が、漫画家の先生に思ってる気持ちと、同じだと思ってるよな……?」
「ええ、思っているわ」
だーーーよーーーーねーーーーー?
違ぇ。違ぇんだよ引地ーーーーー。とは咄嗟に言えず、あたしは頭を抱えた。その隙に引地は「あなたは先輩が好きで、近付きたくて、必死で勉強して同じ大学へ来たのでしょう?」とまるで褒めるみたいに言ってくるから、あたしは更に頭を抱えた。
ぐぅぅあああああこの誤解。
どうやって解いてやろうか悩む。超、悩む。
けど解決方法なんて、1つしかない。
でも、誤魔化す方法なんて、たくさん、ある。
このまま、先輩を男として扱って、引地に話を合わせて、やり過ごしたり。
あたしの「好き」は引地の「好き」と同じだと嘘をついて、やり過ごしたり。
彼女を騙す方法なんて、あたしにはいくらでも思いつく。
なんの疑問もなく、こちらの事を信じる奴だ。おまけに”ふつう”が分からない奴だ。簡単に騙せる。
騙せる。
騙せるんだ。
「……」
けど、こいつは……。
コイツは変わった奴で、全然料理が出来ない奴で、ムカつくこともある奴で、空気が読めない奴で、”ふつう”が分からない奴で、「なんで?」「どうして?」「なにが?」人間で、賢くて、ハリネズミみたいで、面倒くさい奴だけど、すげーすげー、優しい奴だ。
なにもないすっからかんのあたしを、大学生にしてくれた。
望んだ願いを、叶えてくれた。
泣かせたくないと言ってくれた。
そんな奴を、あたしは騙したくない。
そう思えた気持ちを、握り潰せない。
「……あのな、引地」
あたしは抱えていた頭を持ち上げて、彼女を真っ直ぐ見た。
ずっとこちらを見ていたのだろう。引地とはすぐに、目と目が合う。
そうだ。
こいつはずっと、あたしを見ていてくれた奴だ。向き合ってくれた奴だ。
「お前にはちょっと、分かりにくかったり、難しかったりする話をする。けど、聞いてくれるか」
「聞くけれど……それはあなたについての話?」
「そう。あたしの話だ。でも結構、難しいと思う」
”ふつう”が理解できる一般的な奴に対して同性愛を説明しても、きちっと100%理解されないレベルの話の内容だ。
それを、そもそも”ふつう”が分からない引地に話して聞かせて、理解を得られるかどうかも分からない。
もしかすると……、今日、合鍵を取り上げられる可能性だって、あるし……な。
「とても難しいのね」
分かったわ。と彼女は頷いた。
これがあたしとの最後の会話になるかもしれないなんて欠片も思ってない目をして、彼女は笑った。
「だけど、難しくてもきっと理解できると思う」
随分自信を付けたもんだなと揶揄いたくなるけれど、実際こいつは、かなり察する力や理解する力がアップした。
あたしの受験勉強をみてくれながら、いろいろと話をしてきたから。
その話で、どういう言葉を交わせばいいかを様々に試して、間違えて、訂正されて、研究して、実践して、と繰り返して努力してきた奴だから。
「出来るといいな」
他人事だからそんな言い方をした訳ではなくて、本当にそう思う。
けど、なんでもかんでも、理解と納得ができることばっかじゃない。
生理的に無理、っていうのも、ある。
それを身をもって教えるハメになるとは予想もしてなかった展開だけど、まぁ、なんだ? お前と深くかかわってきて、こんなん教えられるのはあたしくらいしか、いないだろ?
サイン会の時落ち込んだお前は助けてやれなかったけど、今回は、あたしにしかできない事、してやれそうな気がするよ。
お前の為になるかどうかは別として。
もーちっとだけ、お前の世界を広げてやれるかもしれないのは、やぶさかじゃねーかな。
一人で勝手に感傷的になるあたしの気配でも察知したのだろうか?
引地は「だいじょうぶよ」と、やけに優しい声で言ってきた。
なんかこう、胸にグッとくるから、今はそういう声、控えろよな。やっぱお前は、空気読めねーやつだわ。
「なにが大丈夫だ?」
「だって、あたしの事が分からないならちゃんと聞け。お前が分かるまで答えるから。ってあなたは前言ったじゃない。だから私は分かりにくくて難しい話でも、大丈夫。理解できるはずよ」
……。
……ああ……そうだった。
あたしがそう、教えたんだった。
ンな細けーこと覚えてんのは、お前くらいなもんだ。
「ありがとよ」
「なんのお礼?」
言いたかっただけだと首を振って、あたしは話を始めた。
すげぇすげぇ、難しい話を。
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