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4月下旬。
あたしは大学の食堂で昼飯の乗ったトレーを空きテーブルへ置いた。
ようやく大学という場所や授業、同級生にも慣れて、それなりに友人も増えてきた。バイトにも随分慣れてきて、余裕のでてきた今日この頃。じきに迎えるのはゴールデンウィークだ。
心なしか浮足立つ生徒達は、昼休憩の今、楽し気に連休の予定話に花を咲かせている。
テーマパークやら旅行やら目的地は様々だけど、ちょっとした遠出が出来るので一般的に連休は非常にありがたがれる。あたしみたいな苦学生にはバイト三昧の日々だが、親に学費や生活費を出してもらえる奴らにとっては、絶好の遊びまくるチャンス。
席に座ってまずは乾いた喉を潤そうとコップを握るあたしの周りからはこんな会話も聞こえてきた。
「旅行行くんだ」
「どこに?」
「温泉」
「え~~~~い~な~。一緒にいきたい」
「駄目」
「なんで?」
「私が押さえた訳じゃないし、もう予約人数変更できないだろうし。代わりにめっちゃ楽しんできてあげるって」
羨ましさと恨みを呑み込む為にコップに入った冷水を飲もうとしていたあたしは、腿に冷たさを感じ、弾かれたよう下を向いた。
どうやら口もつけずに傾けたコップから中身が零れて、太腿を濡らしていたようだ。が、今、どうでもいい、それは。
だって、さっき、の……声。
コップをトレーに戻し、聞こえてきた右斜め前方向に視線を向ければ、居た。
聞き覚えのある声が耳に入った時から、ある程度予期はしていた。そこに、その姿があることを。
だけど、それでも、予測できていても、彼女を見つけた瞬間、心臓がドックンと内臓を攻撃するみたいに大きく動いたし、体温は一気に上昇した。喉が詰まるような感覚に咳をして、その間も目を逸らす事ができない。
先輩。
食い入るように視線を送っても、彼女はこちらに気が付かない。
友達だろう。正面に座った人と笑顔で喋っている。
あの人の私服姿なんて、高校の頃何度かしか見たことがなかったけれど、身に着ける服の系統は変わっていない。顔付きや身長に似合ったボーイッシュなものだ。
髪型は前髪の分け方が逆になっている。でもそれ以外は変わってない。
高校と違って制服ではなく私服になっているし、染髪が当たり前の大学生だから、生まれつきの茶色い毛が以前よりも馴染んでいた。
聞こえてくる声も、変わってない。女にしては低めのその声。
耳鳴りがしてきそうなくらいにドックンドックンと何度も打つ心臓。巡る血。
呼吸すら乱れそうな心地で、あたしは先輩から視線を引き剥がせないでいる。
会いたかった。先輩に会う為にこの大学へ入った。勉強も、バイトも、頑張ってきた。
今は勉強はそこまで頑張ってないけど、学費の為のバイトはめっちゃ、頑張ってる。
その成果が今、こうして実を結んだ。
先輩に、会えたんだ。
けど。
「お土産? やなこった荷物増えるじゃん」
友達からの要求を断りながらケラケラと笑うあの人。
そんな先輩は、初めて見た。
誰かと一緒に居るあの人を、初めて見た。
高校の頃、あんなふうに明るく笑ってたのは……ストバスくらいだった。
学校の中で笑顔なんて滅多にみせなかった。
狼と言われても納得できるくらいの存在だった人が……その影もないくらい明るく笑ってる。
変わらないあの人がいて嬉しかった。
でもしかめっ面ばかりだったあの人が楽しそうに友達と呼べる存在と一緒にいて、ほっとした。
だけど未だ一人で居て、近付いたら噛みつかれそうな雰囲気のあの人と再会したかった気持ちは……あった。
そうでないと、あたしがまた一番近くに居られないだろうから。
彼女が一人なら、近付き易かっただろうに。
「めちゃくちゃ楽しみなんだ。温泉旅行」
心底そうなんだろうなと分かるくらいの表情で柔らかく笑う先輩に、あたしはその日、一歩たりとも近付けなかった。
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