第16話 武藤とOLと元カレ

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 さみぃ……。ジャージで出てくるんじゃなかった……。
 両手をポケットに突っ込めば、中にあった小銭がチャリと音を立てた。そしてその反対側ではコンビニで買ったシャーペンの芯が入ったプラスチックケースが冷たく指先へあたる。

 あんだけ絵描きまくっといてシャー芯がなくなったとかフツーあるか……? 消費激しいんだからいっぱいストックしとくだろ。
 そんなこともせずにアイツはその上、「今日は食事を作ってもらっていない代わりに、講師代はお使いでいいわ」とか……。
 外がさみぃからコンビニ行きたくないだけだろ! 昨日のカレーの残りがあったから今日は料理してないだけだろ! と言い返すあたしに、アイツは千円札を握らせてきた。

 勉強の為にここへ来る頻度が以前より高まったあたしに、合鍵とセキュリティドアや集合ポストのロックナンバーを教えてから、引地は結構態度が雑になった。言い換えれば親密度が増したとも言えなくはないが……なんつーかコイツ、あたしと居る事に慣れてきたな、って感じだった。

 ま……それでアイツがいいなら、いいんだが。

 迷惑をかけるだけかけているこっちがどうこう思う点ではなかったかと思い直しつつ、マンションのエントランスに入ったあたしは妙な空気で対峙している男と女の姿を認め、片眉をあげた。
 スーツを着たOLっぽい女と、普段着の男。なんだ? 痴話喧嘩か? それならこんな所でするなよな。なんて思いつつ、あたしは引地のポストに近付いた。
 もちろん、この二人の痴話喧嘩に聞き耳を立てながら、だ。
 だって痴話喧嘩とか面白そうじゃん。

「だからとりあえず、入れろって」

 男の方がそう言った。
 サラサラヘアーが自慢です! とアピールポイントに出来そうなくらいさらっさらの髪の毛の男は、どうやらここの住人ではないらしい。
 が。

「だから家に入れるつもりないって言ってるでしょ」

 OLの方は家に入れたくない、と。
 その時点で2人は恋人同士とかじゃあないのかと判断しつつ、あたしはのそりそのりとした動きで空のポストの中を意味もなく探る。
 だって今日ここに来た時ポストは覗いた。だからここが空ってのも分かってたけど、時間稼ぎに中を確認してるだけ。

「お話すれば気分も変わるって」

 ゲスだなぁと感想を抱くような声音。
 まるで映画に出てくる悪役の下っ端のそのまた下っ端みたいな奴だ。
 ちょっと面白い展開だなと唇の端をにやけさせつつ、あたしは一旦、外へ向かう。道中、男の方の顔を見てみたが……まぁどこにでも居そうなタイプの顔だった。

 外に出た理由は、ちょっとした気まぐれだ。

 このマンションの外には自販機が設置してある。そしてポケットの中には使っても惜しくない自分の物でない金がある。その好条件もあって、やってみたいと思う事が浮かんだのだ。

 引地には怒られるから言ってないけど、最近久々に映画を見た。マジで勉強ばかりの生活を大人しく送っていたあたしにしては珍しい反抗で、その原因は苛立ちだ。地域雑誌の編集部からの取材がウザくて、ストレスが溜まったから、そのストレス発散の為に仕方なく、ほんとに、しかたなーーーく、映画を一本見たのだ。

 その映画のワンシーン。主人公が通りすがりに、ナンパに困っている女性を助けて去る場面。格好良かった。
 腕を絡めて引き寄せた女性の腰を抱いて、主人公が言うセリフ。
「この女は俺がもらった」
 格好良い。カッコよすぎ。咥えタバコを指で飛ばしナンパ野郎への威嚇と足止めをした隙、雑踏に女性を連れたまま消える背は格好良過ぎた。

 そんなシーンの再現が今まさに出来そうな展開。
 やらない訳がない。
 だがあたしには生憎タバコがなくて、その代理を求めて、自販機の前へやって来たという訳だ。
 何がいいかな。炭酸がいいか。よしコーラにしよう。

 引地の金で買ったコーラ缶を思い切り上下に激しく振って20回。プルタブを開けた瞬間あのサラサラヘアーがびしょ濡れになる所を想像するとおもろくて笑っちまいそうだが、真顔に切り替え、あたしはエントランスに戻った。
 どうやらまだ、言い合いは続いていたらしい。近付くにつれてOLの声が聞こえてくる。

「――いらないって言ったんでしょ。話す事なんて何もない」
「いらないなんて言ってねぇだろ」
「別れ切り出したのそっちでしょ。わたしはもうあなたと話をする気はないから」

 へぇ?
 このOLが男に振られて、なんか知らんが男の方がまた元サヤになりたいって感じか。うーわ、ウケる。
 ポケットから鍵を取り出しつつセキュリティドアの横の操作盤へ近付く際、今度はOLの顔を盗み見たが、こっちはまぁ可愛い顔してんなと思う。が、それ以上に、背の小ささと髪の毛の長さに目を引かれるものがあった。
 ヒール履いててあの背って……150ないんじゃないのかちっせぇ……。

 引地に教えてもらって覚えたロックナンバーを打ち込み、キーを操作盤へ挿し込み、回す。横でセキュリティドアが開くのを確認しながら、あたしはそちらへ向かうフリをしながら斜めに歩き、OLの近くへ少しだけ寄った。ポケットに鍵はしまって、右手にはコーラ缶のみの状態。

 よし。

 あたしはくると体の向きを変えて、

「あ……!」

 男の背後、エントランスの入口を指差した。
 顔では、”なんだあれ……!?”感を演出しながらの行動に、サラサラヘアー野郎はまんまと騙され、背後を振り向く。

「は?」

 よっしゃ今だ! あたしの方を振り向いたOLの腕を掴んで引きながらセキュリティドアの向こうへ移動。
 男は靴音でこちらの行動に気付いたのだろう。弾かれたように首を戻して、

「あっ、てめ!」

 と追っかけてくる。
 でもその行動は想定内だぜー兄ちゃん。

 にやついたままあたしは、OLの腕を離しざま自分の背後へ押しやって、セキュリティドアのセンサーが反応しない事だけを祈りながら、閉じかけるドアの向こうへ缶を投げた。

「ほーれ」

 バスケのパスのよう一直線でなく、山なりになるように彼へと投げてやった缶は「うわわ」と狼狽えつつキャッチされる。
 男のナイスキャッチの隙に、無事、セキュリティドアは閉じてあたしはOLの奪取成功。
 閉じたドアに今更気付いて悔しそうな声を上げる野郎を指差して、あたしは言ってやった。

「この女は俺がもらったァ!」

 映画の主人公よりめっちゃ声を張ってしまったが、まぁ仕方ない。ちょっと気合いが入り過ぎた。
 いやでも、あたし格好良過ぎん? やってやったぜ。

 悦に入ったあとは、OLの手を引き階段の方へ。
 あの男が最近流行りのストーカーという奴なら、面倒事が少なくなるよう配慮した方が良い。

 セキュリティドアの外からでも、エレベータが見える作りのこのマンション。もしもエレベータを使えば降りた階数を把握するくらいは容易に出来てしまう。

「一回言ってみたかったんだよね、あのセリフ。やべー超滾るゥ。さっきの奴に家の階数バレたくないなら階段使いなね。じゃ」

 近付けばよりいっそう小ささの目立つドチビのOLの腕を解放しつつ助言をし、あたしは階段を一段飛ばしにのぼる。

「あのっ、ありがとうっ!」
「気ィ付けなねー」

 背中に礼の言葉が聞こえたので軽く応じ、あたしは2階の廊下へ出た。エレベータを呼び、やって来たそれの中に入って7階へ。そこから6、5、4、3、と各階へエレベータを止めながらおりてきて、自分がエレベータから降りる前に、2階と1階のボタンを押して脱出。
 ここまでやっとけば、どの階で降りたかは分からんだろう。

 今日は人助けまでしていい事したぞと意気揚々帰った引地の家で「遅い。どこをほっつき歩いていたの」と叱られた。
 今し方あった事を説明しても、胡乱な目。
 どうやらあたしが嘘や誤魔化しを言っていると考えているようだ。

 あーあ。クソ。
 人助けなんて、するんじゃなかった。



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