第13話 武藤と初彼氏

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 ファーストキスから3週間ほど経ったある日。
 あたしは例のセンパイにデートに誘われた。次の休みに映画に行かないか、と。

 その映画の話はたまたまバイト先の皆としていて「へー面白そう」とあたしが言ったのを、彼は覚えていたのかもしれない。そうだったなら、やっぱりそういう所は凄いと思えたので、「奢ってくれるならいいっスよ」といつもの通りに返したのだった。

 そして休みの日。約束の映画を見に行き、そこで解散かと思いきや、バイトの皆で鍋パをするから来ないかと誘われた。コミュニケーションアプリの画面を見せられ、確かにバイトの面々と何日の何時から一人暮らしのセンパイの家で鍋パをするぞと取り決めをしているし、その日付は今日であり、約束の時間は1時間後だった。
 まぁ腹も減ってたし、皆がいるなら大丈夫かとスーパーで買い出しをしてセンパイの家へ行ったのだが約束の時間の寸前、センパイのケータイにドタキャンの連絡が入ってきた。他に来る予定だった人、全員から。

 とんでもなく白々しく「アー皆急に来れなくなったらしいわ」と報告してきたセンパイと皆がグルだったというのは秒で気付いたし、こんな見え見えの作戦にどうして気が付かなかったのだと今更嘆いてもどうしようもない。

 思い返せば確かに、バイト仲間が急に映画の、それも洋画の話してくるなんておかしかったんだ。
 あたしは元々ジャンルを問わず洋画が好きで、昔の物から最近の物まで観る人間だが、皆は話題作くらいにしか興味を持たない人達だったはず。

 なのにそこまで人気の出ていない作品を話題にしてきたっていうのは、撒き餌だったに違いない。

 それにこの鍋パ。
 コミュニケーションアプリの画面をわざわざ見せてきたのは、皆の存在をはっきりと示してあたしに警戒心を抱かせない為だったのだ。
 元々他の皆は、集まるつもりなどなく、この作戦の為にわざわざグループを作ってまであのやりとりの記録を残したのだろう。

「ハメたんスね」
「はめ……!? て、なんかねーって」

 てめぇ今一瞬エロい方のハメ思い付いたろ。という反応をしたセンパイと狭いキッチンに並んで立ち、鍋の準備をしながら横目に睨む。

「今になって気付くのも馬鹿だなと思いますけど、まだ気付かれてないって思うのも馬鹿っスよ」

 完全にバレてんぞと言外に含めば、彼は乾いた笑いで誤魔化すように濁しつつ、でもそのあとは開き直った。

「だって、こうでもしないと武藤、おれのこと避けて二人きりになろうとしなかっただろ?」

 嫌ってる沖さんまで上手く使って逃げるんだもんな。と悔し気に言われても、そんなもんあんたが追っかけてくるからだろうがとしか、返しようがない。

「店内もバックも調理場もどこに監視カメラ仕掛けてあんのか分かんないのに、嫌っス。二人きりにでもなったら迫る気満々の眼ぇしてる男」
「外ではさすがにしねーよ」
「コンビニの駐車場は外じゃないんスかね」
「それは……マジで悪かったって……」

 まぁ……謝ってくる姿の通り、反省はしているんだと思う。
 それに、こっちがあの時『もっとこうちゃんとした所でさぁ2人の同意の元さぁ、あるじゃん!?』と言ったそれを守っている行動も、騙し討ちで家へ引き込んだとは言え、誠実さが見えない訳でもない。

 あの日からこれまで3週間、結構、センパイには冷たくあたった。でも、めげずにアタック仕掛けてくるってことは、それだけあたしを好きな気持ちの証拠にもなっている。

 あたしはとりあえず睨むのをやめて、狭いキッチンで準備した大量の具材に溜め息を吐いた。

「どーすんスかこれ」
「とりあえず食えるだけ食って、あとは冷凍しとく。いるなら、持って帰るか?」
「いらないっスよ」

 集まる人数分の食材を買い込んで、野菜は切って、下準備をしてしまっていたのだ。
 あたしを騙すためだけに、最初から来ないと分かっている人達の分まで買い込んだ大量の食料。2人で目一杯食ってもあり余り、これで1週間は食いつなげられそうな量はある。

 もちろん、全部、センパイの自腹だ。

「バカだなあ、あんた」

 呆れ混じりに苦笑を向けると、「好きな子の為だから」だなんて言ってマジな顔をされて、あたしは正直、心臓がきゅっとなった。

 その日、人生2回目のキスは同意の元行われ、人生初、あたしに彼氏が出来てしまった。

 これまでの学校生活で、あたしが一番興味を示し、時間を割いてきたのはバスケだった。
 同級生には「彼氏が~」と休憩時間の度に言う女子もいたし、廊下でいちゃついてる男女の姿も目撃したことはあった。でも、その幸せそうで楽しそうな姿を見てもあたしはこれまで彼氏という存在が欲しいと思わなかった。

 それに先輩が女ばかりを抱いていると知っても洋画じゃあ特に珍しくもない同性愛者だし、へぇーやっぱ女同士でもヤるこたぁヤレるんだなぁくらいにしか思わなかった。

 だから募集したこともないし、出会いを求めたこともない。
 けど、実際に自分に、彼氏という存在が出来てみると案外楽しいものだと思えた。

 勉強バイト勉強バイトたまにバスケの生活が、勉強バイト勉強バイトたまに彼氏の生活に変化した。
 相手がマメな性格だったのもあり、朝起きればケータイに『おはよう』ときていたし、大学生と高校生ではなかなか違うリズムで1日が過ぎていくのを初めて知ったし、学校の授業も、テストも、宿題も、家庭教師に教わる勉強も、課題も、いろんなことを応援してくれるし、受験勉強でたまにしか会えないのを許してくれるし、寝る前には『おやすみ』とメッセージをくれた。

 あたしはあたし自身をとても勝手で、他人と歩調を合わせて生きるのは出来ない人間だと思っていたから、彼との関わりが、この日々が、意外だった。

 特に喧嘩もしないし、他の誰かに目が向いて気持ちが揺らぐという事もない。
 ただただ普通に日々を過ごし、数ヶ月後に迫る受験に向けて、励んでいた。

 そんな安定した交際初期、訪れたのはいわゆる初エッチ。
 それまでのデートではキスもしたしハグもしたし胸も触られたし尻も揉まれたしモノを触らされた。たぶん、あたしが人生初交際と白状したから彼は気を遣って徐々に慣らすように進めてくれていたんだと思う。

 だけどその期間が逆に、あたしに考える時間を与えることにもなっていたと思う。

 ほんとに好きなのか?
 センパイが好きなのか……?

 彼から「好きだよ」と言われたら、こっちも「好き」とは言っている。
 でもそれは「おはよう」というメッセに、「おはよう」と返すような感覚と同じだ。

 勉強で忙しくて会えなくても、今年の春頃のような焦がれて、すぐ行動を起こして、って感じじゃない。どうにか努力して会おうという気は起きないのだ。
 受験勉強を頑張り始めた頃のような燃える感じが体の内にない。
 今から行っても30分しか会えないなら、止めようと思う。ストバスなら、30分でトンボ帰りしてもいいから行こうと思えたのに。
 下の名前で呼ばれることに違和感を覚える。部活で上級生に「絢子」と呼ばれることはあったのに、彼氏に呼ばれると妙な違和感が胸にわだかまる。

 ほんとに好きなのか?

『お前はそういうのは大事にしろよ?』

 頭にチョップをかましてきて、そのままがしがしと撫でる……よりかは揉むみたいにして、空き教室から出ていった人の言葉が、耳の奥に残っている。今の今まで、忘れていたような言葉なのに。声なのに。

 一人暮らしの彼のベッドに押し倒されて、一枚ずつ服を取り去られて、覆い被さってくる彼も服を脱ぎ捨てて、肌同士しか触れ合わなくなって、熱が直に伝わってきて。
 硬い指に、柔らかい舌に、身体をまさぐられた結果口からは声が出る。自分のものじゃないみたいな浮ついた声だ。
 映画のラブシーンで聞くような、オンナの声。それを自分があげているのだと認識すると同時に『お前はそういうのは大事にしろよ?』の声が頭の奥にじんじん響く。

「絢子、いい?」

 彼の声が真上ではなくて、足の方から降ってくる。
 ビニールを触るような音がしたから、装着中なんだろう。

「痛かったら、とめるから」

 装着が済んだのか、YESともNOとも言ってないのに、開いた股の真ん中にひたひたと熱が擦り付けられる。
 今、駄目って言ったらどうすんだろな、と思いながら「いっこ言う事聞いてくれたら止めなくていいよ」とあたしは提案した。

 カーテンを閉め、部屋の明かりを消したベッドの上。遠くなった彼の顔は見えないけれど、いつでも即挿れられるようにあてがった彼が、「なに?」と訊く。

「名前、武藤って呼んで」
「ええ?」

 ちょっと笑った彼の振動が入口を揺らしてきて一瞬息を詰める。
 今更上の名前で? と思うのだろう。そりゃあまぁ、当然だと思う。

 けど絢子じゃなくて、呼んで欲しい。

「慣れてないから」
「武藤の方がいいのか?」
「うん」

 頭の中に響く声の主に、少しだけ似た口調。っていうか、ただ、あの人が男勝りな喋り方する人だっただけだ。
 力抜いて、と出来そうにない指示をしてくる彼が、あたしの曲げた左膝を掴んで大きく横へ広げた。

「いくぞ、武藤」
「うん……先輩」

 応じたあたしは押し込まれた痛みで咄嗟の声すらでなかったけれど、詰めた息を整えたあとはぎゅっと目を閉じっ放しだった。

 先輩と呼んで、彼が覆い被さってきたら両腕を首に回して天然のくせっ毛みたいな髪を掻き回して指を絡めて。触ればこんな感触だったのかなと馳せた想いは「先輩」と呼ぶ声にまた煙らせて。

 全身運動をする彼から噴き出す汗。滴ったそれを肌に受けて、試合中、狼みたいに鋭い眼でゴールと敵の壁を睨みながら手の甲で顎を拭う姿を描く脳裏。

 気持ちいいと快感に上擦り高くなった男の声が苗字を呼べば、どこか重なるキーの音。

「先輩……っ、もっと……っ」

 願った声は激しい律動として返却され、ほとなくして果てた彼の重みを受け止めながら、あたしは彼氏に謝った。

「ごめん、じょうずにできなくて」
「え? いやそんなことないよ、スゲー気持ちよかったって」

 もう一回いい? と起き上がる彼がゴムを換える間、脳内会議で決まったことが2つある。

 ひとつ。
 このあと一回は、お詫びの1回。これが最後。
 ふたつ。
 この人とは、別れる。

「好きだよ、武藤」

 そう言って、あたしの望みを叶えてくれる優しい彼氏に、これ以上好きでいてもらうのは、申し訳なさ過ぎる。

「好きっスよ」

 いつものように返しながら、あたしはまた押し込まれた熱に、ぎゅっと強く目を閉じた。



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