第9話 武藤と勉強

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 後に引けないとこんなにも辛いのかと感じた。

 これまで生きてきて、あたしは結構、テキトーに、自由に、生きてきたと思う。
 そりゃ家では不自由もあるけど、家事任されるとかどこにでもある話だし、ネグレクトされた訳でも虐待された訳でもない。だから最低層から見れば随分いい暮らしをしているんだと思う。けど、今回、大学受験に関して失敗が許されないこの状況になって、あたしはかなり、キツイと感じている。

 地域雑誌に、あたしのことは掲載された。もちろん、学校の全面バックアップも。
 月刊誌であるそれは、どうも来年の4月まであたしを追いかけてくるらしい。雑誌編集部はいつの間にか親にも許可を取っていた。
 そのおかげで毎月毎月、判定模試の結果を提出しなければいけないし、それが雑誌で世間に公表される。

 なんていうか……自分が引き起こした事だが、正直しんどい。
 流石に、雑誌に実名は載らなかったものの、どこの高校のバスケ部元部長かは載ったから、ちょっとその辺りの情報に詳しい人が雑誌を読めば誰のことだか簡単に分かってしまうのだ。

 それまで真面目に学問へ打ち込んでこなかったツケもここで回ってきて、あたしが合格目標として立てた大学はE判定。点数的に見れば、F判定と言っても過言ではない。
 誰がどう見ても、受験するのをもうすこしレベルの低い大学を選び直したらどう? と思う結果である。

 随分と気温もあがってきた夏の手前ほど。
 久々に。本当に久々にあたしはストバスのコートにやってきた。

 なんたってあたしは苦学生。
 親はあたしを大学に行かせるつもりなんてなくて就職一本と考えていたため、受験料のみならず合格後の学費も稼がないといけないからバイトもそこそこにしている。
 だから勉強とバイトの合間を縫った、ほんのひと時の息抜き。

 訪れたそこでは、相変わらずの面子が相変わらずバスケをしていた。

「おー! 武藤じゃん!」

 その声を集合の合図にわらわらと寄ってきた皆にはやっぱり言われた、雑誌のこと。
 あれお前だろ? やるな。などと口々に浴びせられた。
 あんなでっかい事やるなら自分に言ってくれたら手を貸したのに、とも言われた。

 確かに今思えば、あれはここの大人達の手を借りるべきだったのかもしれない。が、それはもう今更考えても遅いしどうしようもない。
 ははと乾いた笑いで躱して、とりあえず久しぶりにボール触らせてくれと頼めば、皆快く相手をしてくれた。

 あー。…………あーー……やっぱ、たのしい。

 心の底から思う。
 勉強ばかりで完全に体はなまっているが、このボールの重みやシュートが入った時の感覚。リバウンド合戦でもぎ取れたヨッシャ感。たまらない。
 ガス抜きに少しだけと思って来たけれど、来てよかった。
 マジで。来てよかった。

 噛み締めるようにバスケを楽しんだけれど、やっぱりめちゃくちゃ体力が落ちている。
 荒々しいゲームから早々に離脱してベンチに座ると、そこで初めて、目に留まった。

 端の端で、描いてる人。

 フードとキャップの絵描き。どうやら、相変わらずバスケの絵を描いてるらしい。
 近付いてみると、やっぱ無視。
 無断で横に座って、あたしの事を覚えているか訊けば覚えているとの返事。

 ああこの素っ気ない返事は彼女らしいと笑ってしまう。
 それから、あたしは、彼女に対して喋った。
 ここ最近がどんなものだったのか、これからもどんなふうに続くのか。思い出と予測と想像をたっぷり語って、しゃべり疲れた頃、彼女はノートから顔をあげてこちらを見てきた。

「勉強を出来るようになりたいなら、手伝いましょうか?」

 意外な提案。
 なんの魂胆があってそんな親切な気を起こしたのか問えば、彼女はシャーペンを手の中でくるりと回した。

「今日、あなたを久々に見て、私の所へ来て話しかけてくれて、嬉しかったの。全然来なくなった間は寂しいと感じたし会って話したいと思ったわ。だけど事情があったのを訊いて納得はした。勉強の為にここへはまた来られそうにない。でもこの先勉強の為なら私とも会える機会が作れるかと思ったの。あの大学、私はA判定だったし、教えられる事も多いと思うわ」

 げ……あたしがE判定だったとこA判定とか嫌味かよ……。
 眉を顰めそうになるけど、勉強を教えてくれるなら教えて欲しい。ていうかコイツ……いくつなんだ?

 いつもフードとキャップを被っていて、まともに顔を見せたことがない。まぁ声的に若いんだろうとは思うけど、何歳で、どこで何やってる人なんだ?
 そもそも名前も聞いたことないし。

 そういう疑問を全部訊けば、彼女はすらすらと答えてくれた。

 引地 望。二十歳。大学生。文系で法学部。通う大学は……。

「合格したらあんたの後輩かよ……」
「してもいないのにそんな心配しなくてもいいと思うわ」

 ノートの端へ書いた自分の名前の漢字を消す彼女の横で、あたしは頭を抱えた。

 どうしよう。どうするのがいい?
 迷う気持ちは大きい。でも頼る価値はあると思う。教わってみてそりが合わなければ、断ればいい。
 うちは塾や予備校へ通わせてもらえる金もないし、学校の教師に教わるなんてまっぴら御免だ。
 だったら自力でどうにかするか、もしくはだれかに頼るかだ。

 ここに今日来たのは、実はちょっとそういう目的もあったりした。ここに居る面子は、意外な事に頭のいい人も居るから。何か頼れるかもしれないと思って来たんだが……この目の前にいる奴……ひきちのぞみ、だったか。

 ノートの端で消された文字の跡をじぃと見る。

 助けてもらうべきか。
 一人でやるべきか。

「……」

 あたしは馬鹿じゃない。物が考えられる人間だ。
 ここで彼女の手を払い除けることほど、馬鹿な行動はない。
 なにせ、教えてもらって、教え方が下手とか気に食わないとかあれば、断ればいいのだ。そういう手が残っているのだから、今、選ぶのは……。



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