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退部を決意した。
顧問に退部届を提出しに行くとめちゃくちゃビックリされたし、引き留められた。「もう決めた事なんで」と突っ撥ねても、顧問は首を縦に振らない。それどころか、退部届をもってくるより前にどうして相談しなかったんだなどと寝言を言い始めたので、「相談相手に選べる程の価値がなかったので」とハッキリ答えてやった。
もちろんそれは職員室内でのやりとりで、こちらの物々しい雰囲気に興味を引かれそれとなく聞き耳を立てていた他の教師達の気まずそうな顔と言ったら、見物だった。
顧問が言葉を失っている間に、あたしがわざとぐるっと職員室内を見回せば、さっと顔を伏せる様子は、まるで授業中当てられるのを避ける生徒みたいだ。
興味は示すくせに厄介事には関わりたくない。そう考えていると分かる面々を後目に、あたしはもう一度「退部させてください」と頭を下げずに高らかに言った。普段そんな声は張らないけれど、今ばかりは会話を見せびらかしてやろうという魂胆で腹に力を込めて声を出す。
頭を下げない理由はもちろん、その価値がないと思っているから。
だって、生徒が部活をやろうがやめようが自由。現にきつい練習に耐えられずバスケ部を辞めていった生徒だっている。なんであたしだけが辞めたらダメなんだ。
しばらく椅子へ座って無言だった顧問を見下ろしていると、「お前が辞めたら部長としての仕事は誰がやるんだ」との馬鹿極まりないお言葉を頂いた。
「部長としてやってきた事といえば練習メニュー決めと、部活活動時間中の号令掛けと、部長集会や顧問からの連絡事項の伝達くらいです。練習メニューは継続すればいいし、内容を変えたければ変えたいと思ったその人が考えればいいし、号令は3年生で一日ずつ交代でやればいい。顧問からの連絡事項伝達は、顧問が顧問としての仕事をサボらずに部活活動時間内5分だけでも顔を出して伝達すれば済むので、全部解決します。退部させてください」
再び高らかに言えば、唸り声と一緒に「部の仲間にはどう説明するんだ」と、また馬鹿極まりないお言葉を頂いた。
「引き留める奴なんていないと思いますけど」
「これまで一緒に頑張ってきたじゃないか。前の大会だって皆でがんばって、3年が抜けた穴もなんとか出来るようになってきた仲間だろう?」
「あの結果を見て3年が抜けた穴をなんとか出来たって言える顧問の評価や達成目標が信じられないくらい低いのは今の言葉でよくわかりました。仮に引き留める奴がいたとしても、部の仲間? があたしが行きたい大学に金積んで裏口入学させてくれるなら言う事聞くけど? って返答待ちっスね」
なんとかまともな話し方をしようと努力していたのに、さっさと退部を認めて解放してくれないからボロが出始めた。
ああめんどくせぇ。
どうせあたしが抜けたらいろいろ押し付けられるかつ押しつけた仕事をこなす能力がある奴がいないから引き留めてんだろバーカ。うぜぇんだよそういう楽しようっつー考え方が。
こちらの言い分にまた言葉を失った顧問は、なんとか息を吸って整えて、わるいことを言った生徒を叱り始めた。
「大学の裏口入学なんて、できるわけないしやっていい訳ないだろう。そこはきちんと勉強をして試験を受けて、合格を勝ち取るのが――」
「――だから。受験勉強する為に部活辞めたいっつってんのに、勉強時間削る部活を辞めさせないって、矛盾してるの分からないんスか? 教師なんだからどっちが今後の人生に大きくかかわってくるのか、分かるでしょ?」
あ~~~~~も~~~~~~~めんどくせぇ!
「もういいです。あんたに言っても埒あかん。教育委員会に電話しに行く」
「ちょっ! と待て。待て武藤」
「待ったら退部認めてくれるんスか」
「落ち着け武藤」
腕を掴まれたが触られたくなくて振り解く。
立ち上がった顧問より身長が低いのはとんでもなく癪だが、こればかりはどうしようもないから睨み上げながら今一度訊く。
「退部届受理してくれるんですか?」
「落ち着いてちょっと考え直せ。受験勉強は夏の試合が終わってからでも遅くない」
「……」
正直、めっっっっっっっちゃ! 舌打ちしたい気分だったが、ぐっと堪えてあたしは「ここまで訴えても近岡先生の考えは変わらないんですね?」と訊く。と、馬鹿はほっとしたのか表情を緩め、
「分かってくれたか、そうだ夏が終わってからでも遅くないからな」
とか馬鹿を言い始めた。
あたしは大きく息を吸って、吐いて。この後の計画の為だぞと自分に言い聞かせて、殴りたい衝動を抑え込む。
「近岡先生の考えは分かりました。理解だけはしました。でもあたしは理解しただけで納得した訳じゃないです。失礼します」
「ぇ、おい武藤」
引き止めるよう名前を呼ばれたものの、今度は腕を掴まれなかった。その隙に踵を返して、顧問に渡した退部届は取り戻さず職員室を出る。
あたしはその足で、ジャージに着替えず体育館へ向かい、女バスの部員に練習を中断して集合するよう号令をかけた。
体育館へ制服のまま現れたあたしに皆は興味深々の様子で近付いてきたが、そこからあたしが退部を希望している意思とその理由を述べ、さっき顧問へ退部届を提出しに行ったけれど突っ撥ねられたこと。その理由を説明したら、気まずそうにしんと静まり返った。
「退部届が受理されていない間は仕方なく来るけど、あたしは退部したいと思ってる。今日は腹が痛いからもう帰るけど、一応は明日からも部活はするから。辞めていいって言われるまでは」
じゃ。練習続けて。
と、手を挙げて解散を告げ体育館から去る間、優に20歩はあったと思う。
誰一人呼び止めはしなかったし、引き止められもしなかった。
ほらみろ顧問。
誰も引き止めない。暴君が恐怖政治してきたんだから、皆諸手を挙げて喜ぶし、練習メニューだって緩い物に変えていくに決まってる。
あたしは辞めれて万々歳。
困るのは部活に手を抜いていた顧問くらいだ。
やっぱ、トップが馬鹿だと下が苦労するってストバスの人から聞いたのは本当の話だったみたいだ。
ああアホくさ。
こんな馬鹿みたいな展開にマジでなるとは思わなかったけど、明日から覚えとけよ、顧問。
怨念を込めた手紙大作戦が効いたのか、3日後。あたしは退部届を受理された。
ま、怨念が本当に目的達成の手助けをしたかどうかは分からないけれど、組織の弱点を突いた策は、確実に効果があるってことは証明されたのだ。
手紙大作戦というのは、こういうものだった。
あたしは退部届を顧問へ提出した日、帰りがけに情報教室でパソコンを借りて、退部届と、どうしてそれを作るに至ったのかを説明する手紙を作った。もちろん所属学校、学年、クラス、名前入りのその2通を3部印刷し、校長宛て、教育委員会宛て、地域雑誌編集部宛てに郵送したのだ。
同県内に郵送したので届いたのは発送から翌日だったらしい。
まず放課後校長室へ呼び出されて事情を聞かれた。校長と一対一の対談。ウソをつかずに大学受験の為の勉強がしたいこと、プラス、受験料を稼ぐためにバイトをしたいこと。それを伝えたら校長は重々しく頷いて状況は分かったと言い、あたしを解放してくれた。
退部届が受理されていない間は出席すると伝えていた通り部活動に勤しんでいると、部活活動時間終了間際、また校長室へ呼ばれた。
行ってみると、物々しい面子。校長、教頭、担任、顧問。
訊けば、教育委員会と地域雑誌の編集部から電話が入ったらしく、想定以上に大ごとになりつつある現状に大人たちはビビったらしい。
あたしは内心、お~すげぇ流石先輩の方法を真似してみただけはあるなぁとにやついた。
かつて先輩は、この学校の教師相手に喧嘩したとき、上から圧をかける手段で勝利を勝ち取った。
それを真似たのだが、一人で行動したにも関わらずここまで出来るのはすげぇと我ながら感心する。
先輩は、先輩の兄ちゃんをはじめ、ストバスの面々に頼って勝った。
でもあたしは一人で全部やった。
色んな意味での勝利を確信してほくそ笑みながら、あたしは事情聴取に粛々と応じた。
その日の事情聴取プラス話し合いで判決は聞かされなかったものの、翌日の放課後、また校長室へ呼び出されたあたしに退部とバイトの許可が出た。
それに加えて、奨学金獲得にはどうすればいいのかという資料やパンフを大量に渡され、妙に感じて尋ねれば、地域編集部からの取材許可の依頼を受けたとホクホク顔で校長に聞かされた。
どうもあたしは、一人勝ちはできなかったらしい。
地域雑誌には、女バス部長が受験の為夏の大会を前にして仕方なく退部。そしてアルバイトで入学の為の資金集めや勉学に勤しむ美談が載るらしい。
もちろん、学校側はそれを全面的にバックアップする、という形で、だ。
教育委員会に対してはそういう大人の狡賢い方針で説明がついたのか、学校に対し特にお咎めはないらしい。
――……スカッとしない展開になっちまったな。
やりたい事が出来るようになったのは万々歳だが、どうも、してやられた気分だ。
負けた訳ではないのに、負けた気がする。
…………やっぱり、先輩みたいに、カッコ良く出来ない。
帰り道、資料やパンフで重くなった荷物を背に、あたしは小石を思いっきり蹴飛ばした。
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