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5月。
ムカツク自分にも慣れてきたけれど、慣れたからと言ってムカつかない訳じゃない今日この頃。
部内ではつらい練習メニューに慣れた人間も居れば、そうでなく辞めていく人間もいた。
中でもあたしに退部の相談をしてきた同級生に「辞めたいなら辞めれば」と返したのがいけなかったらしい。正しい回答は「そんな弱気な事言わずに一緒に大会頑張ろ!」だったようだが知るか。やる気がないなら辞めればいい。この高校は帰宅部もあるんだからさっさと辞めて家でテレビでも見てればいいんだ。
が、部長は血も涙もない人間という根も葉もある噂が広まりつつある。
「っつー感じでめんどくさいんスよ……!」
「おーおー。荒れてんな。おーい酒持ってこい酒~」
ダメに決まってんでしょ! とすぐ頭を叩かれていた彼に、今日はずっと愚痴を聞いてもらっている。
あたしにしては珍しく、ストバスに来て一度もベンチから立たず、ゲームに参加していない。
ストバスの人達とバスケすると、余計、部活のバスケが楽しくなくなるからここは悪魔的存在だった。
そう言えば、だ。
ベンチから立ってないと言えば、あの人もだ。
このストバスのフェンス内へ入っているものの、端の端に座ったまま動かない人。
目深にキャップを被り、パーカーのフードもかぶり、顔もほとんど見えないレベル。体の大きさやラインからして女の人なんだろうなぁと推測は出来るものの、なにをしているのか分からない人物。
彼女の持ち物はノートとペン。それを入れてきた鞄。それだけ。
ずーーーーーーーーっと、飽きることなく、何かをノートにかいている。
地べたに座って、三角座りの両膝にノートを立て掛けるみたいにしてるから、何をかいているのか、覗けもしないのだ。
あたしが彼女へ視線を遣っているからか、それまで愚痴を聞いてくれていた彼が同じように視線を遣った。
「あ~あいつな。ここ最近、ずっと来てるんだ。声掛けてみたんだが、バスケやりたいってワケじゃないみたいでな。邪魔しないからここに居ていいかって聞かれて。たまにバスケの試合みるのが好きな人が来たりするだろ? それかと思ってOK出したんだが……どうも、なぁ」
終盤困惑を混ぜ込んだ彼は頭を掻く。
OKを出したものの、こんな頻繁に通う人と思わなかったしあんな謎行動をする人とも思わなかった。
連日あそこでああしていられるのも……ちっとばかし気味が悪い。
そんなところか。
「誰も話し掛けないの?」
「何人かは行ったけど、シカトだ。何話しかけてもなーんも言わねぇらしい」
「へーぇ?」
あらかたの事情を聞き終えたあたしは、ベンチから立ち上がった。
向かう先は、バスケコートじゃなくて、端の端。
「こんちは」
近付いていく間も、傍に立ち挨拶しても、彼女は何も言わなかった。
「隣座っていいっすか? 駄目ならダメって言ってください。答えまで3、2、1。なんも答えなかったんで座りますね」
予想していた通り、彼女は何も言わなかった。
もしかして何も聞こえてないんじゃないのか? とフードとキャップの下でイヤホン装着を考えないでもなかったが、あたしが傍に座ってもピクリとも妙な反応はしなかったから、聞こえていてあえて無視してたんだろう。
「何かいてんすか? 見ていいですか? 駄目ならダメって言ってください。答えまで3、2、1。なんも答えなかったんで覗きますね」
さっきと同じ手法で許可を取ったあたしは、彼女の手元をひょいと覗いた。
細い脚へ立て掛けられたノートはなんの横線もない、真っ白なページ。学生が授業で板書をとる大学ノートというよりは、小学校低学年のとき役立った自由帳と言った具合だ。
そのノートの上を、シャーペンが縦横無尽に走っている。長かったり、短かったり。止まったり、跳ねたり。弧を描いたり、直線だったり。様々に動きながら描いていたのは、絵だ。
バスケをしている人の絵。
右手でワンバン経由で送ったボール。左手で迎えたその瞬間。
そこにある絵では左手の中にボールを持った人しか描かれていないのに、どうしてだか、その数秒前には右手でドリブルをしていたのだと分かる絵だった。
「す……………………っげぇー…………」
英語のthの発音みたいに息が抜けていった。思い出したように続きを喋ったときには、随分と息苦しくて大きく息を吸って、吐いた。
食い入るように見て、瞬きも惜しいと思う絵。
ずっと見てたいな、とお世辞抜きに言ってしまった。
答えが返ってくるはずないと想定していた呟きに、意外にも彼女は反応した。
「何を見ていたいの?」
声はすこし高め。女性らしい、ほそい感じの声。
相変わらずシャーペンを動かしながら、彼女はこっちを見もしない。
「なに……何って。この絵」
「この絵の何を見てるの?」
絵の何を見るって……こいつ馬鹿か? 絵見てるって言ってんじゃん。
そう思ったけれど、いやでもこんなすげぇ絵を描く人にそこまで言うのは失礼か。
思い直したあたしは、腕を組んで頭の中で言葉を探しながら喋った。
「絵の、前が知りたい。から、見てる。見てたいと思った。たとえばこの人。左手にボールあるけど、右手で地面に一回ついて左に送ったんだなって思えて。そのまぅわ……っ!?」
「見えたの?」
ビックリしてあたしは体を仰け反らせて、傾いだ。慌てて組んでいた腕を解いて地面に着いて倒れかけた自分を支える。
あ、あぶねぇな……急にこっち向くなよ。
「ごめんなさい。驚かせて。でも、見えた?」
「あーウン」
「あーウンのあーって何? 見えたって嘘だったの?」
め、めんどくせぇ~~~~。と頭の中で叫んだ。
細けぇトコ突っ込んで聞いてくるのめんどくせぇ~~~~。
「ちがくて。見えたけど、それであってるのか分からなかったから。あんたが違うように描いてたなら、間違ったこと言うのは悪い気がしたから。あー言っちまっていいのかな、っていう、迷いのあー、だよ」
「なるほどね」
うわ。うっわ。一言で済ませた。
こっちはめっちゃ説明で喋ったのに返してくんの一言。面倒くせぇ!
絵は凄いけどコイツ自体は面倒だしうぜぇかもしれん。と評価をつけ始めたあたしに、彼女はいきなり「ありがとう」と言った。
「え?」
「……」
……オイ!! 訊き返してんの! こっちは! 無視すんな!
「なぁ。なんでお礼言ったの?」
「そう思ったから」
てっ……!
てんめぇ~~~このくそっ……!
「あんたそりゃないんじゃないか? 人には詳しく聞いといてそっちに訊いても素っ気ないとか。ちゃんとありがとうってなんで思ったのか説明してくれよ」
同じ方向を向けて座っていた体を90度回して、彼女に向き直るよう胡坐を掻く。ぱすぱすと地面を叩いて説明を催促すると、きょとんとした目が、あたしを見てきた。
フードの中。キャップの下。丸っこい眼はすこし驚いている。
「聞きたかったの?」
「だから聞いたんだっつーの」
「ならそうと最初から言って? なんでお礼を言ったかなんて、そう思ったからとしか答えようがないもの。どうしてお礼を言おうと思ったのかと聞かれたら、答えようもあるのだから」
まるで「自分は間違った事は言ってない」と言い張るかのような物言い。
むかつかなかったと言えばウソになる。
だから正直に、言ってやった。
「…………うざい」
それは人を傷付ける言葉だ。まともな親や先生なら、注意する言葉。
なのに彼女は笑った。
「よく言われるの」
いつも赤いもの身につけてるよね。赤が好きなの? とでも言われたかみたいに、彼女は軽やかに笑う。
「人がどうしてそれを訊くのか、”ふつうに”分からないの」
空気が読めない、とも言うらしいわ。と彼女は付け加えて、絵描きを中断したシャーペンを手の中でくるりと回した。
「”ふつうに”って、今、力を込めて言おうと思ったのは、どんな理由がある?」
「今まで散々言われてきたから。皆にとっての”ふつうにわかる”は私にとっては全く不明。分からないのが”ふつう”なのに、そこが分かってあたりまえらしいんだもの。当て付けをしたくなるわよ、何度も同じパターンにイライラするし。かと言って、分からないものが分かるようになる魔法なんて、知らないし」
饒舌になった彼女は「でも」と続けながらあたしを見つめる。
「あなたは私達に、あわせられる人なのかもね。そうだとしたら、ありがとう。きっとうざいのほかにおかしい奴だとか面倒な奴だと思っただろうけれど、それを跨いでも、話そうとしてくれて」
彼女の言う「私達」という複数形が、目の前の人の他誰を含んでいるのか分からなかったけれど、”この人はいい”とあたしは思った。
”いい”っていうのは……面白いとか、興味を惹かれたってこと。
あぁなんであたしは、コイツに訊かれてもないのに、解して考えたんだ。
「あんたはあたしの事よく分かるんだな。確かに言う通り、面倒な奴と思ったよ。でも、面白い人だとも思ったし、もっと喋ってみたいと思った」
「そうなのね」
「……」
ああ~~……っ、詰んだッ。キャッチボールが終わった。
くそっ調子狂うな!
再度シャーペンを動かし始めた彼女ともっと何か言葉を交わしたいと思った。
でも、なんか、今日はこれで腹いっぱいだ。
「なぁ、また、ここに来て絵を描く予定はある?」
「あるわ」
「いつ?」
「決めてないけど、3日以内には1回来るつもりでいる」
「わかった」
頷いて、踵を返せば、結構な人数がこっちを見ていた。
皆、この怪しい人がどんな人物なのか、気になってたんだろうな。
どういう具合に怪しい人なのか、話して聞かせてやろう。意気揚々と皆の方へ歩き出そうとして背後から声が掛かる。
「あなたはここに来る予定は?」
振り向いて、スリーピースしてみせた。
「3日以内に1回は来るよ」
「そう」
「うん。また会えたらいいな」
……。
ハイ無視された~。
面倒くさ。でも、おもろ。
久々に、おもろい人に、出会った気がする。なんて思いながら、あたしは好奇の視線しか送ってこない奴らの元に、戻ったのである。
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