【遥怜シリーズ】怪我から生まれたつながり 1

 

 不覚にも起こしてしまった事故。
 猫を避けようとして大型二輪車で滑って、右足を骨折。
 幸か不幸か。

 後々思えば、その怪我は幸であることに間違いはなかった。

 ~ 怪我から生まれたつながり ~

 井出野さん。と呼ぶ声にアタシは夢の中に沈んでいた意識が持ち上がるのを感じた。
 ああそういえば、本を読んでいていつの間にか眠ってしまっていたみたいね……。

「ん……」

 とろりとした意識が完全覚醒へ向けて徐々に動き出す。低血圧のアタシは小さく声を漏らして、瞼を押し上げた。
 広がる視界。窓際のベッド特有の光の明るさの中に、ひとりの看護師がいる。

「井出野さん。検温の時間です」

 ベッド脇のテーブルの上に置いてあった体温計を差し出されて、寝起きでまだぼんやりする頭のまま、パジャマの前を外して、脇にそれをはさむ。

「これ、落ちてましたよ」

 二度目に看護師が差し出したのは、アタシが眠る前まで読んでいた分厚い本。
 彼女の小さな手には厚さがあまるほどのそれをみて、アタシは唇の端をあげた。

「可愛い手ね」
「えっ?」
「ありがとう」

 本を差し出して手を褒められるだなんて予想もしていなかったのだろう。驚いた様子の彼女に微笑んで、本を受け取る。
 看護師の顔が少し赤いのは、アタシの見間違いや気のせいではないはず。

 入院患者には、検温の時間が一日に数回訪れる。
 しかし、外出していたり、診察に行っていたり、眠っていたりしたら、そのときの検温はパスできる事もある。
 特に、アタシのようなただの骨折で、安静にする為だけの入院患者なんかは、特にそうだ。

 なのに、彼女がアタシをわざわざ起こしたのは、それなりの理由がある。

 その理由はなにか……。

 アタシは薄々、感づいている。
 そして、それを楽しんでいる。

 アタシが入院して退院するまで、3週間弱。
 本当はそこまで入院しておく必要はないんだけれど、仕事人間のアタシを周りが気遣って、この際だからゆっくり養生してこいと入院をすすめられたのだ。
 それとなく、病院の先生にそのことを伝えると、ベッド数も空いているし構わないとのこと。

 そんなこんなで、アタシはこの病院にしばらくの間身を置いている。

「はい」

 脇でピピピと鳴った体温計を彼女に差し出して、くつろげていたパジャマの前をとめる。
 アタシの胸に視線をやっていた看護師はあわてて体温計をうけとり、もっていたカルテのようなものにその数値を書き込む。そしてケースに体温計を戻し、テーブルに置いた。

「お大事に」
「ありがとう」

 彼女が仕切りのカーテンから出て行くとき、アタシは見逃さなかった。
 体温計の受け渡しの折触れ合った指先を、彼女がもう片方の手で包み込んでいたことを。



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