021  虹

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 6月と言えば、雨。
 そう、梅雨だ。

 いつまでも、しとしと降り続く雨が、今日は珍しく晴れた。

 とは言っても、道路は水たまりだらけで歩きにくいんだろうなぁなんて事を考えつつ、私はマンション6階の見晴らしの良いベランダから、空へかかる虹を眺めていた。

 最近は雨続きで、月見を楽しむこともままならなかった。
 だから月ではないが、虹が出たので、それを楽しもうと思ったのだ。

 湿気を多く含んだ空気はべたつくけれど、空に虹があるだけで、晴れやかな気分になるのは何故だろう。
 人間って、面白いよなぁ、なんてことを考えつつぼんやりしていると、隣の家のベランダが開いて、私の彼女が姿を見せた。

「お月見の代わり?」

 微笑んで、軽く首を傾げる愛羽さん。
 さすが私の恋人だ。よく分かっていらっしゃる。

 私の傍へやってきた彼女に頷くと、愛羽さんは嬉しそうに笑って、空を見上げた。

「なかなか見られるものじゃないもんね」
「ですね。タイミングとか合わないと難しい」

 それからしばらく、会話をすることもなく、ただただ虹を見つめていたんだけど、もしかすると退屈にさせちゃってるかなぁと不安が過る。

 私は元々、空に浮かんだものが好きで、それを眺めているのは全く苦ではない。
 頭が空っぽになるような感覚が好きだから、いい。

 だけど愛羽さんは私のお月見とかを見て、「風流な趣味ね」と言うくらいのひとだから、そこまで月や虹に興味はないかもしれない。

 だから私はひとつ、お話をしてみることにした。

「虹にまつわる話っていっぱいあるじゃないですか?」

 ゆるりと喋り始めた私の視界の端で、愛羽さんがこちらを見上げて頷いた。

「私が知ってる話の中で、一番好きなのは、虹霓っていう中国の伝承なんです」
「こうげい?」

 物知りな愛羽さんでも知らないようなので、私は虹霓についての説明を始めた。

「中国では、昔、虹は長く空を泳ぐ様子から、龍に喩えられていたそうなんです。愛羽さんは主虹と副虹を知ってますか?」
「あー……主虹がアレで」

 彼女は空へかかった龍を指差す。

「副虹がまれに見られる、色が逆並びの虹、だっけ?」
「そう。さすが、愛羽さん」

 やっぱり博識だなぁ。彼女の頭の中には、私が知らない知識がごまんとあるんだろうなぁ。格好良い。

「その主虹を雄の虹、副虹を雌の霓と呼んで、番の龍と喩えていたんです。空から降る雨によって天地が結ばれ、番の二匹が地上へ水を飲みに来ると虹が出来る、なんていう伝承が残っているそうなんですよ」

 人間が勝手に龍に喩えたりしただけでも面白いのに、虹霓にはさらに面白い。

「虹霓がやってくるのは干ばつの前触れだって言われたり、逆に、虹の龍に感じて聖王が生まれる前触れだって言われたり。良い事も、悪い事も龍のせいにされて、きっと龍も、いい迷惑でしょうね」

 そもそも、居るのかどうかも、分からないけれど。
 人間はいつの時代も勝手な生き物だよなぁと思う。

 そうねぇ。とゆったり頷いてくれた愛羽さんは、私を見上げて、手を伸ばしてきた。

「物知りね」

 ふんわりと笑う彼女の手が私の髪を撫でてくれる。
 物知りね、だなんて、愛羽さんの知識量からすれば、全然、月と鼈みたいなものなのに。

 こうやって些細な事でも、褒めて、私の事を認めてくれる愛羽さんが私は大好きだ。

 ケド、虹霓の伝承を披露したくらいで調子に乗りたくはない。

「じーちゃんが中国が好きってだけで、物知りとかじゃないですよ」

 私の名前の元となる話も、中国の四神だし。
 虹霓の話もじーちゃんに虹が出る度聞かされていたから、覚えただけだ。

 子供ながらに、水を飲むだけでも一緒に来るとか仲良しなんだなぁ虹と霓は、って思った記憶がある。

「物知りよ。だってわたしは、虹の根本には金銀財宝がある、くらいしかしらないもの」

 くしゅくしゅっと私の髪を撫でた愛羽さんが肩を竦める。
 虹の根本を掘れば金銀財宝があるというのは、日本の伝承だ。

 さっき虹霓の話を出した中国も、虹が釜の中の酒を飲みに来て、後には金塊を吐いて帰ってゆくとかの伝承もある。

 フランス、ドイツ、ブルガリアの伝承では虹霓と同じく、虹は地へ水を飲みにくるらしいのだが、その虹の根本には金のカップがあるそうだ。
 虹が水を飲み干し去る前に根本へ辿り着きカップを手に入れれば、持ち主には幸運が授けられる。
 逆に手放せばたちまちのうち、不幸に見舞われるという金のカップ。

「世界各所に虹にまつわるそういう富や運の話はあるみたいですね」

 そう括ると、愛羽さんはいつの間に握っていたのか、私の手を撫でた。

「色々あっても、雀ちゃんの教えてくれた虹霓が一番ロマンチック」
「教えてくれたじーちゃんには感謝ですね」

 愛羽さんがにっこり笑ってくれただけで、虹霓の話を覚えていて良かったと思える。
 じーちゃん、もう虹霓とか耳にタコできるしもう覚えたからさぁ……とか思って聞き流してる時もあったけれども、ありがとう。
 今度会ったら肩もみする。

 なんて事を考えていると、愛羽さんは空を見上げた。

「根本に辿り着けなくても、幸運や金銀財宝が手に入らなくてもわたしはいいかな」
「え、どうしてです?」

 お金はあるに越したことは無いのに。

「わたしはこうして貴女と同じものを見れた。同じものを共有できただけで、とっても幸せだもん。それだけで、十分」

 見下ろした先で、彼女があまりにも綺麗に笑うので、見惚れた後、私は身を屈めて、キスをした。

 言われた言葉で、胸が、じんとして、熱い。

「……」
「……」

 唇をそっと離したあと、見つめ合って、また、口付ける。
 ふわりとしたその感触に、好きの感情が、どこからともなく、溢れてきた。
 

「虹の空を背景にキスとか、やっぱり雀ちゃんはロマンチックね」

 照れくさそうにはにかむその可愛い顔を見せてもらえるのなら、私はいくらでも、ロマンチストになる。

 誰よりも、何よりも、愛羽さんが大好きだから。

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