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いつだったか、雀ちゃんが近所に猫カフェを発見して、連れて行ってもらったことがある。
その時は何故だかカフェ内に居る猫という猫に好かれずショックを受けていた雀ちゃんだけど、何度か通っているうちに、ついに、1匹の猫ちゃんが膝に乗ってくれるまで懐いた。
その猫ちゃんはノルウェージャンフォレストキャットという種類の子で、長い毛並みが特徴的。
名前は「シオン」と言って、以前は雀ちゃんが撫でようとすると、彼女の手に肉球を押し当て撫でるのは拒否と云わんばかりの態度をとっていたのだけれど。
「可愛いなぁ」
今となっては、彼女にすっかり懐き、絨毯の上で胡坐をかいた脚の中にすっぽりとはまって、丸くなって落ち着いている。
雀ちゃんは初めてここまで懐いてくれた猫ちゃんが可愛くて仕方ないらしく、にへーっと嬉しそうにしながら、他の子には目もくれず、膝の上の猫にご執心だ。
そう。他の子には目もくれず。
わたしにも、目もくれず。
「ふわふわだなぁお前ぇ」
でれ~、とした口調は、まるで厳めしい顔つきだったおじいさんが初孫の魅力に憑りつかれて愛でている様子にも似ている。
しかも猫相手だと、「お前」だとか滅多に聞かないような呼び方だし、もちろん名前を呼ぶときには「シオン」と呼び捨てだし、わたし相手みたいに敬語を使わない。
素の喋り方を聞けて嬉しいのは嬉しいんだけど、それはわたしに向けられたものじゃないし……なんて思いながら、購入した猫のおやつを、三毛猫ちゃんに差し出した。
手のひらに乗せたおやつを迷うことなく食べにくるこの三毛猫ちゃんは、以前雀ちゃんが触ろうとしたら素早く逃げた。
だから彼女はこの間までわたしが触っているのを羨ましそうに見ていたんだけど……今は目もくれず、シオンかわいいなぁ、とでれでれしている。
――シオンばっかり。
むー。と頬を膨らませたくなりながら、猫のおやつを小さなカップから取り出していると、
「愛羽さん」
と、名前を呼ばれた。
雀ちゃんがシオンではなくてわたしの名前を呼んでくれた事が嬉しくて、おやつを取り出す手も止めて彼女へ視線をむける。
「それ、いっこください」
「ん。はい」
私が近くにいるとネコが寄ってこないから、と遠慮して少し遠めに座っている雀ちゃんがこちらへ手を差し出している。
シオンが膝にいるので、こちらに近付けないのだろう。
二人でめいっぱい手を伸ばし合えば届く距離なので、はい、とその手のひらにおやつを乗せてあげれば、三毛猫ちゃんは「なんでそいつにやるんだ」みたいな顔をして、わたしの膝に両手をついて催促してくる。
「ありがとうございます」
わたしが三毛猫ちゃんに一瞬視線を奪われた隙にお礼を言った雀ちゃんは、わたしがそちらへ視線を戻せば、もうシオンしか見ていなかった。
「おい起きろって。ん。おやつだよ」
アンモナイトのように丸まった胴をツンツンとつついて、シオンの鼻先へと指先で摘まんだおやつを近付ける。
――おい起きろだなんてわたしでも言われた事ないのにーっ。
いい言葉遣いではないけれど、普段丁寧な口調の彼女が言う「おい起きろ」には嫌悪感は全く抱かない。むしろ、言われたい。敬語抜きの親密な関係性になりたい。
嗅覚の鋭い動物らしく、鼻先に近付いたおやつに匂いで反応したシオンはむくりと顔をあげて、雀ちゃんの指ごとおやつに噛みつく。
指も一緒に噛まれたけれど痛くはないようで、雀ちゃんは相変わらずでれでれしながら「噛ぁむなよ~」とシオンの顔を両手で挟んでうりうりうりと撫で回している。
――あんな声で、喋り方で、噛むなよとか言われたことない……!
わたしだって雀ちゃん噛んだ事の一度や二度はあるのにっ。
我慢の限界が来て、わたしは膝の上に居た三毛猫ちゃんを下ろして、雀ちゃんの方へずりずりと近付いた。
「あったかいなぁシオ、ん?」
わたしの接近に気が付いた雀ちゃんは、シオンを撫で回していた手をとめ、でれでれの笑顔も引っ込めて、こちらへ顔を向けた。
「ねぇ」
「は、はい……?」
絨毯の上で、脚同士が触れるくらい近くに寄ったわたしの強めの口調に、雀ちゃんは何事かという顔をして、ちょっとだけ身を反らした。
なんで避けるのよ。シオンには自分から顔近付けてたくせにっ。
「わたしもネコなんだけど」
周りのお客さんに聞こえないようにちょっと低めた声で訴えた。
ついこの間遥さんに専門用語である「ネコ」「タチ」について教わったのだ。だから猫カフェと掛けて言ってみたんだけど。
「……」
虚を突かれたような顔で数秒、見下ろされる。
構え、というのが伝わらなかったんだろうかと思い始めた頃、ふっと雀ちゃんの体がこちらへ傾いた。
「っ……!?」
慌てて、ばしっ、と彼女の口に手のひらをあてて、向こうへ押しやる。
「何しようとしたの……っ!」
ひそひそ声で怒鳴ると、「キス」とだけ言う雀ちゃん。
でしょうね! そんな気配がしたから止めさせたんですもの!
ここをどこだと思ってるのよ他のお客さんも店員さんも居るのに……っ。
思わず赤面を隠せずにいると、性懲りもなくこちらへ顔を寄せようとする彼女。
「誰も見てませんよ」
「駄目!」
小声で密めき合っても、こちらが「め!」という顔をしてみせてもキスしようとしてくる雀ちゃん。
構えと思ったけれどもこんな構い方をされるだなんて予想外だ。撤退しよう。
丁度いい事に雀ちゃんの膝にはシオンが居て、わたしが移動すればついて来れない。
だからわたしがずりずりと元居た方へ遠ざかると、軽く目を眇めて不満の表情をした雀ちゃんはシオンを撫でながら、低めの声で告げた。
「帰ったら、即行で」
即行で、なに!?
キスなの!? それともそれ以上なの!?
どっち……!? と焦るわたしを他所に、雀ちゃんは笑顔で、
「なー? シオン。楽しみだなあ?」
と語りかけている。
……わたし、とんでもない地雷踏んじゃったのかしら……。
「帰るのこわい」
わたしは近寄ってきた三毛猫ちゃんに語りかけた。
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