隣恋 第18話 改めて考えてみると

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 改めて考えてみると、秘めて見守る恋、というのはちょっと……いや相当、辛い。
 あまり深く彼女を知ってしまうと、やっぱり私の恋心は燃え上がる。それは絶対にダメ。これ以上仲良くなったり、惚れたりしたら駄目だ。
 けれども知らなさ過ぎると、彼女が辛い時が察知できない。辛い時こそ傍に居てあげたいし、私は元気でるまで傍にいますと宣言したのだからそれは守りたい。

 ――結局は全部私のエゴだけど……。

「……どうすれば……」

 頭を抱える。

 朝から何度目になるのか、溜め息をついて、時計を見ればもう出掛ける時間だ。
 また溜め息をついて、大量のクッキーを持って玄関を出た。



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 今日のバイトは、16時から22時まで。
 そして……金本さんが来る。

 私は”いい人”のポジション。それ以上でも、以下でもない。
 それだけは、守ろう。

 スタッフルームで気合いを入れ、誓いを立て、私は店に出た。



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「おはようございます」
「おはよう」

 店長はコーヒーミルでいい音を鳴らしながら、振り返った。
 見れば、店内に一人もお客さんがいない。

 だから店長は暇そうに、コーヒー豆の仕込みをしているんだろう。

 こちらとしては、気合いを入れてきたのに拍子抜けな感じだけども、

「飲む?」

 とコーヒーを誘われたら、嬉しくてまんざらでもなくなってしまう。
 店長が飲むならお願いします、と頷いた私はとりあえずテーブルの汚れや紙ナプキンの不足がないかどうかを見て回って、やっぱ店長が居るからその辺は抜かりないよなぁ、と胸中で呟きつつ、バーカウンターの内側へ戻った。

 ここに居る店長がシャムのオーナーだし、この店は個人経営店。だからお客がいないと、結構自由なものである。
 たまに店長は、遥さんから借りたゲームをやってることもあるくらいだ。

 私はカクテルとかコーヒーの専門書を読み漁ることが多いけれど、たまに店長とゲームの対戦したりする。
 まぁ、ここまで暇な日は滅多にないんだけど。

 自分達が飲むためにサイフォンを用意し始めた店長の作業を眺めていたんだけど、ふと思い出した。

「ちょっと戻ってきます」

 断ってから、不思議そうな顔をする店長を置いて、スタッフルームへ戻りクッキー片手に、引き返す。
 店に戻った私が何を持っているのか見つけた店長の目がキラと輝いた。

「すーちゃんクッキー!」



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 何度か、店長にクッキーをあげたことがあり、どうも店長の中で私のクッキーはお気に入りに分類されているらしい。
 そして命名、「すーちゃんクッキー」
 まるでネーミングセンスが無いと思ったのは秘密だ。

「ええと、色々お世話になったので。遥さんと食べてください」
「ありがとう。でもこれはさすがに多いわ」

 どっさり。

 まさにそんな量。
 やっぱり多かったか。焼きあがったクッキーを包みながら思ったんだよな。こんなにあげても二人で食べきれないかも、と。
 まぁ、最悪店の皆に分けて持ち帰ってもらえばいいか、と思うんだが、まぁ、どうするのかは店長に任せよう。

「お客さんに出そうかしら」

 腕を組んだ店長が、ぼそりと呟いた。

「え!? 素人の手作りなんか出していいんですか!?」
「あら。そんな事言ったら、アタシだってバリスタじゃないわよ?」
「それは……。でも店長、通信講座やってたんでしょう?」
「中途半端に止めたけれどね」

 それでも、もう6年近く、カフェとバーを経営できてるんだから、もうそれはプロの域じゃないのかな。

「いいのよ。店長のアタシが許すって言ってんだから、商品にしちゃえばいいの」
「は!? お金とるんですか!?」
「なに、タダでこんなおいしいクッキー食べさせる気だったの?」

 そうこう言い合っていると、カランカランとドアベルが鳴った。



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「やっほー」

 そう言って姿を見せたのは、遥さんだった。
 店長の彼女さんだ。

「ハル、どうしたの?」

 真っ先に声をかける店長は、心なしか、嬉しそう。

「今日は早く終わる日だったから、来ちゃった」
「そう。いらっしゃい」
「いらっしゃいましたー。雀ちゃんバイトなのね」
「はい」

 それからコーヒーを3人で飲み、クッキーを食べているとティムスがやってきた。

「あら、いらっしゃい」
「ママ、キタヨ」

 ティムスはその名前からもわかる通り、外国人だ。そして黒人で、ムキムキの筋肉で、身長も高い。
 でも、2メートル近いデカイ体で、なぜか可愛い感じの片言で喋る。
 一体誰に日本語を教わったのやら。

「ママじゃないってば。ここはスナックじゃないの」
「デモ飲ムノニカワリナイカラ、ママン」
「違うってのに……」

 店長が苦笑しながら頭をかくと、ティムスは「め!」という顔をした。

「ワガママ、ダメヨ」
「どこがわがままなのよ。ま、いいわ。ティムス、コーヒー?」
「ウン」
「あ、これも食べていいわよ」

 遥さんはもう身内みたいなものだからともかく、ティムスはお客様だ。でも、止める暇もなく店長の手により「すーちゃんクッキー」が出されてしまった。



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 クッキーを口に放り込んだティムスが突然、手を頭の横でバタバタさせ始めた。
 腰を振ろうとしたのだろうけど、座ったままではうまくいかず、ギシギシとイスが悲鳴を上げ、その上で大男が体をくねくねさせている。

 彼の隣に座っていた遥さんは、若干仰け反るようにして反射的に距離を取り、目を丸くして固まっていた。
 カウンター越しの私でもビックリしたくらいだから、すぐ隣にいた遥さんはめちゃくちゃ驚いただろう。

 けどティムスはそんな周囲の人間にはお構いなしな感じで、体を揺らし手を頭の横で振り、

「ウーッウーッウマウマハッハッハハーン!」

 と、節をつけて叫んだ。
 歌……? なのか、な?

 なにかの儀式か……?

 店長は驚いたのか、驚かなかったのかは分からないが、いち早く口を開く。そういう所は流石だなと思う。

「コラ暴れないの。他にお客様がいるときにするんじゃないわよ?」
「ウンゴメン。オイシイスギタ」
「ですって、すーちゃん。ティムスが言うんだから、本当に商品化する?」
「コレ、アンドゥー作ッタ?」
「あ、はい」
「ウーッウーッウマウマダッタカラダイジョブヨ! パティシエイイウンダカラ問題ナイ」

 だからなんなんだ、ウーッウーッウマウマって……。
 ていうか、それより。

「ティムスさん、パティシエだったんですか」
「ソウネ」

 自慢げに、胸を張るティムス。もこっと大胸筋がすごい。
 パティシエなのに、工事現場に居そうな体型なんだよね。

 しかし……。
 パティシエに褒められるクッキー。自分でも美味いとは思っていたけれど、結構私ってすごいのか……?



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 そんなこんなで、本気で商品化を考え始めた店長に、今夜金本さんが来店することを伝えた。

「だから席を一つリザーブ……なんて顔してるんですか」
「べっつにー? へーぇ? そう、金本さん来るのねぇ。一昨日来たばっかりなのにねぇ?」

 にやにやにやにやにやにやにや。
 からかう気満々な顔で、店長は私を肘でつついた。

「なに、進展あったの?」
「ナイです。昨日も今日も明日からもありませんから」

 秘めて見守るんだから、ある訳ない。
 キッパリ言うと、店長の表情が一転した。

「なんでよ。すーちゃん何かやらかしたの?」
「何にもしてないですってば。……なんなんですか店長。何か言いたいならはっきり言ってくださいよ」

 そんな、なんか、めっちゃ言いたい事あるけどガマンしてるゾ! みたいな顔して。言いたい事あるならハッキリ言ってくれたらいいんだ。
 私が催促してみせると、店長は深く、ふかーくこれ見よがしに溜め息をついた。

「アンタたち、なにやってるのよ……」
「だからなんにもしてないですってば!」
「そうじゃないわよ馬鹿」

 人を罵っておいて、店長はがっくり肩を落とす。それを慰めるように、遥さんがカウンター越しに手を伸ばして頭をぽんぽんする。

 
 ……意味が分からないんですが。

 遥さんに助けを求める視線を送ると、苦笑された。

 ……本当、意味が分からない。



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 夜、私は困っていた。
 久々にギシアンが聞こえる、なんてコトじゃない。

 突き刺さる、不機嫌な視線が、痛いんだ。

 でも。

 だって仕方ないじゃないですか。私だって好きでこの状態作った訳じゃないですもん……!

 ――田中さん、早く帰ってくれっ。

 従業員としてはあるまじきことを、私は心の中で切実に叫んだ。



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 カウンターでお客にカクテルを作る私の前に座るのは、金本さんではなく、田中さん。
 バーの常連さんで、私を贔屓にしてくれているお金持ちの女の人だ。
 どうして彼女がお金持ちと知っているのか。
 それは以前、ここは日本のバーなのにチップを渡そうとしてきたから、私が勝手に「田中さんってお金持ちなんだ」と解釈しているだけなので、本当にお金持ちなのかは分からない。

 でも、貧乏な人が飲み代以外に万札を寄越そうなんて、普通はしないだろうから、きっと金持ちだ。
 まぁ、そんな田中さんの説明はさておき、問題なのは金本さんだ。

 仕事終わりに来るのであろう金本さんを待っていると、今日はバーのオープン時間から結構なお客様が来店された。
 ほとんどの席が埋まってしまったのだが、事前に私がリザーブしていた一席だけは空いていた。

 お客様の入りの数が多ければ、お帰りになる数ももちろん増える。店長、太郎君、私の三人いれば大概は落ち着いて接客が出来るのに、バタバタと忙しない接客。お客様もそれなりに気を遣ってくださる方もいて、1杯だけ飲んで席を立つケースも多かった。
 だから気付けなかった。

 ふと、気付いた時には金本さんの為にリザーブしておいた席に、田中さんが座っていたのだ。
 多分カウンター席の片づけの時にちょっと奥へさげたリザーブの札を、戻し忘れたんだと思う。
 座ってしまったお客様を、他所の席に移すのは失礼極まりないことで、私にはどうにもできず。
 せめてカウンター席の他のどれか1つだけでも空いてくれるように神に祈りつつ、田中さんのオーダーカクテルを作り続けていたものの、カウンター席を選ぶお客様はそれなりにバーが好きで、楽しみたいから来てくださっている訳で……。

 その上、田中さんは私のカクテルに、どんどん上機嫌になっていく。

 ――……ああまずい。この調子だと今日はかなり飲みそうだ……。

 なんて背中で汗をかいていると、姿を見せた金本さん。

 もっと早くに来てくれればと思うものの、仕事なんだから遅くなっても仕方がない。
 その時空いていたカウンターから離れている一人用のテーブル席についてもらうしかなかった。
 席にご案内したのも、太郎君で……私は一切口をきいていない。

 ああもう駄目駄目だ……お願いだから早く帰って、田中さん……。と思うものの。

「次は青い珊瑚礁、お願い」

 田中さんがオーダーされた。



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 ドライ・ジンとペパーミントをシェイクして、スノー・スタイルにしたカクテル・グラスに注ぐ。マラスキーノ・チェリーを沈め、田中さんの前に新しいコースターと共にそっと差し出す。

「お待たせしました。青い珊瑚礁です」
「手早くて、好きよ。安藤が作ってる時」
「ありがとうございます」

 グラスに口をつけながら、田中さんの視線が私を舐めていく。

 ――う……始まった。

 なんかこう……田中さんの目には、妙な力がある。
 視線が当たっている場所が、感覚で分かるのだ。それぐらいの、眼力。
 
 それが、上から下まで、じっくりねっとり、体中を舐めていくのだ。

 またその目元がエロイ事この上ない。
 だからいつも、私はこのときばかりは視線を逸らす。



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 はやく終わってくれ~~。

 心の中で叫びながら、私は田中さんと目を合わせないよう、客席の方へと視線を逸らす。
 すると自然に、金本さんのテーブルへ、視線は引き寄せられてしまう。

 ……ああ……あれは絶対、怒ってる。
 待ってるって言ったのに、一人で飲ませてるもんなぁ。
 悪いことしちゃったなぁ……。
 でも田中さん帰らないしなぁ……。
 しかも飲むペース、早いよ金本さん……セーブして飲むって言ったじゃないか。
 それで9杯目でしょう。いくら杯が小さいからってそれは無茶だ。

 じっと見つめていたら、金本さんが、こっちを向いた。
 ちょっとどきっとはしたけれど、流石に飲みすぎな彼女を止めなければという気持ちが勝り、私は視線を重ねたまま軽く首を左右に振ってみせた。そろそろ飲むのを止めた方がいい、と伝えたいのだ。
 ここから金本さんのテーブル席までは少し距離がある。
 けれどもどうやら、私が言いたい事はジェスチャーで伝わったらしい。
 が。

 フンッ。

 プイとそっぽを向かれた。

 うわああぁあぁぁぁぁぁあぁぁぁあああ!!



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 バックに、ガーン! という文字を背負ってもいいくらいに、私はダメージを受けた。

 金本さんそんな……ぷいってしなくても……怒らなくても……。

「安藤」
「なんでしょうか」

 お願いだから、早く帰って……田中さん。
 私の精神力が底を尽きそうです。

「エンジェル・フェイス、お願い」
「かしこまりました」

 今の私には、あなたが悪魔に見えますよ……。
 ドライ・ジン、アップル・ブランデー、アプリコット・ブランデーをシェイク。カクテル・グラスに注いで、田中さんにお出しする。

「急に、元気がなくなったわね」
「え?」
「振ってるの、何回見てると思う?」

 杯を傾けて、田中さんは唇の端を持ち上げる。

「落ち込んでるなら、私がいつでも身体で慰めてあげるわよ?」
「か!?」

 かかかかかかからから体ってナニ言ってんだ田中さん!?

「真っ赤よ? 安藤」

 楽しそうにする田中さんがまた、杯を空にした。



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 金本さんも結構なペースで飲んでいるけれど、田中さんもかなりのハイペースで飲む人だ。

「次、カシスオレンジ、お願い」

 
 クレーム・ド・カシスとオレンジ・ジュースを、氷を入れたタンブラーに注ぎ、軽くステアする。
 田中さんの前にお出しすると、太郎君が金本さんのテーブルになにかのカクテルを置いていた。

 ――あのグラス……あの色合い……スコッチキルト!?

 い、いや待て待て。似たようなカクテルはいくらでも……って金本さんそれ一気したらダメー!
 ヒヤヒヤしながら彼女を窺っていると、田中さんに人差し指でちょいちょい、と招かれる。

「?」

 なんだろう? 耳を貸せってこと……だよね?
 カウンター越しに身を屈めて耳を近づけると、吐息と共に、とんでもないセリフを耳に飛び込んできた。

「ねぇ、私と寝る気、ない?」
「……」

 体勢、フリーズ。動けません。

 えー、と?

 寝るって……それはやっぱり……。

「迷ってるって事は、見込みがありそうなのかしら?」
「い、いや、迷ってるんじゃなくて理解しかねているだけです」
「そう、じゃもう少し分かりやすく言ってあげましょうか?」
「け、結構です。え、遠慮しますから」
「なんだ。残念」
「うっ!?」

 うわあ!! と叫ばなかったのは、我ながらえらいと思う。
 離れ際、田中さんが私の耳を噛んだんだから。

「これだけ誘惑してるのに、なびかなかったのは、安藤が初めてなのよ」

 耳を押さえる私に、ふふふ、と笑う田中さん。

「それに今日は、私が居るのによそばかり気にするし」
「す、すみません……」
「謝るくらいなら、私と寝てちょうだい」
「そ、それは困ります」

 軽く息を吐いて、田中さんはバッグを持って席を立った。

「強行突破、失敗ね。今日は帰るわ」

 お会計を済ませ、ドアの外までお見送りでついて行くと、田中さんは私の耳に触れた。

「口紅、ついちゃったわね。舐めて取ってあげましょうか」
「いいいいや大丈夫ですっ」
「このくらいで真っ赤になってたら、身がもたないわよ? 私、諦めてないから」
「諦めてくださいよっ」
「イ・ヤ」

 意地悪な笑みを残して、田中さんはタクシーに乗り込んだ。



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 金本さんにはプイってされたから店に戻るのが怖かったけれど、私は仕事中だしずっと外に居るわけにもいかない。
 口紅がついているという耳を擦ってから店のドアを開けると、金本さんの姿が席に……ない。

 帰った?

 んな訳ない。私が出入り口にいたんだから。

 なら、お手洗い?

 首を傾げながらカウンターの片づけをしていると、いつのまにスタッフルームや在庫置き場へ続くドアから店長が出てきて、私に耳打ちした。

「金本さん、スタッフルームで寝てるから」



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 寝てる!?
 ま、まさか飲み過ぎて倒れたのか!?

 オロオロする私の肩に、店長が手を置く。

「吐いてないわ。ふらついてのを受け止めたから大丈夫」
「で、でも」
「ほらあと30分シフトでしょ。たっちゃんがもう上がって様子見ててくれるから、働きなさい」

 見てオーダー溜まってるの、とオーダー表をパラパラめくられ、私はシェイカーを手に取った。

「健介め……こんな日に遅刻して減給よ」

 忙しく仕事に追われるのを嫌う店長は、結構キレ気味らしかった。



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 それから10分ほどの遅刻でやってきた健介さんと共に私をコキ使う店長は、きっかり10時に店の奥を指差した。

 何人かお客さんが帰ったし、ほとんどが常連さんだ。
 忙しさが緩和されてちょっと、店長の機嫌が直ってる。

「行ってよし」
「お先に失礼します」

 健介さんに、安藤忠犬みたいと笑われたけど、金本さんが心配なので、相手にしないことにした。
 でも仕返しに、店長に言い残す。

「店長、健介さんにクッキーなしで」
「了解」
「え!? すーちゃんクッキーあんの!?」

 そんな声を背中に、私はスタッフルームへ急いだ。



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 ドアを開けると、クッションを胸に抱いてソファに座ったままずりずりとお尻で後退る金本さんと、着替え中の太郎君がいた。

「かね――」
「――変態! なんで下脱いでたのよ!」

 金本さんの声にかき消される私の呼びかけ。
 ああ……なんか面倒な展開になってる。

 そう思っているのは、太郎君も一緒らしく、私を振り返って、肩を竦めて溜め息をついた。

「どこのホテルよここ!? あなた誰!?」

 どうも、酔って意識がない間にどこぞのホテルに連れて行かれたと勘違いしてるらしい。
 まぁ確かに、高級ソファがありますけど、ロッカーが並んでるホテルの部屋ってまずないだろう。
 店長はふらついた金本さんを受け止めてそのままこっちに連れてきてくれた、って言ってたから、多分その間の記憶が頭からすっぽり抜け落ちているんだろう。

 だから多分、バーで飲んでたと思ったら、目を開ければソファに寝かされてて、見知らぬ男がボクサーパンツと白シャツ姿で目の前に居た……という感じだろう。
 そりゃまぁ……ひやっとする展開だし、パニクッてしまう気持ちもわからなくない。

 でも、とりあえずは、落ち着いてもらわないと。

 今着替えてるってことは太郎君は、あがりの時間を過ぎても着替えずに制服で待機してくれてた。健介さんがどのくらいで到着するか分からなくて、店に人手が要るようになったらすぐ出られるように。そして、金本さんの容体もどう変化するか分からないから目を離さず見ててくれたんだろう。
 で、健介さんが来たからとりあえず着替えていたんじゃないかな。金本さんから目を離さないよう、ソファの傍で。

 めちゃくちゃいい対応をしてくれてる太郎君を、金本さんは勘違いから責めてるから止めないと。

「金本さん、落ち着いてください。ここ、ホテルなんかじゃないし」

 太郎君を睨んでいた金本さんの視界に割り込むと、彼女の表情が和らいだ。と、思ったら、抱きつかれた。
 その衝撃をこらえきれず、尻餅をつくようにソファに座り込む。

「ぉわっ」
「もうやだー! 怖かったー! やられると思ったよ雀ちゃんー!」

 今までで一番大きい声を金本さんが出している。その口調もちょっと子供に戻ってるような感じだが、なんとか、私は味方であると認識してくれているようだ。
 さっきまで威勢良く太郎君に威嚇していたが、それは多分虚勢だったのだろう。

「ヤんねぇよ」

 後ろでぼそっと太郎君が洩らす。
 うん。彼はバイだがどちらかと言えばゲイ寄りらしい。

「ごめん太郎君」

 金本さんの背をさすりつつ、私が首だけで振り返り謝る。
 すごく迷惑を掛けているのに、更に謂れのない容疑をかけられて、あまりにも太郎君が可哀想だし申し訳ない。
 彼は、「いや。雀さんは悪くないんで」と言ってくれたけれど、マジで今度ちゃんと謝った方がいい。

「雀ちゃん、ここどこ……?」

 いつの間にか鼻水を啜る程に泣いてしまっている金本さんは、私の体をぎゅうと抱き締める。
 ちらっとだけ見えた泣き顔は、鼻の頭と目元が赤くなっていて、ちょっと可愛い。
 ベランダで泣き顔を見たときは、多分あれすっぴんだったんだろうけど、お化粧をしたままの泣き顔はまた一味違って見えて、可愛い。

「バーのスタッフルームですよ。金本さんが酔い潰れたんで、休んでもらってたんです。で、あの太郎君は介抱してくれてた親切な人ですよ。ほら、見た事あるでしょう? まーさんと一緒に来た日も、彼は居ましたよ? 今日もほとんど太郎君がお酒運んでくれたでしょう?」

 半身になって後ろの太郎君を金本さんに見せながら言うと、私の肩へ両手を掛けた彼女は、太郎君と顔を見合わせ数秒間固まった。
 多分、先日シャムを訪れた日の記憶や、今日の記憶と、目の前の彼を照合しているらしい。

 そしてその照合が終わり、彼が店員の1人だと理解した金本さんはぺこと小さく頭を下げた。

「……ごめん。知らない人かと思った……」
「いや、分かってもらえたらいいんで」

 太郎君めっちゃいい人……!



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 着替えを済ませた太郎君がスタッフルームから出ていき、しばらく無言の時間が経った。
 時折鼻水を啜る金本さんが落ち着いてきた頃、私は背をさする手を止めて声をかける。

「大丈夫ですか? 帰れます?」
「駄目。立てない……」
「なら……もう少し休んでましょうか」

 頷いた金本さんから、なんだろうシャンプーかな。すごくいい匂いがする。
 ずっと私に抱きついたままの金本さん……出来たら、離れていただきたい。

 抱き着かれたはじめこそ、太郎君に申し訳なくてドキドキのドの字もなかったこの状況だけど、誰もいないスタッフルームで好きな人に密着された状況だという事を実感し始めると、ゴクリと唾を飲み込みたくなる。

 さり気なく。さりげなーく、離れる為ちょっと体をずらしてみた。

 でもくっついてくる、彼女。

「……」

 駄目だ。

 可愛いすぎる……。

 私は観念して、ソファに背中を預けて力を抜いた。



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 どれくらい、そうしていただろう。
 突然、スタッフルームのドアが開いた。
 姿を見せたのは、シャムで働くスタッフの一人、関口楓さんだった。

 私と目が合った瞬間、彼女は叫んだ。

「わぁ!! ごめん!?」
「違う! 違うんです行かないでっ!!」

 確かに、パッと見ラブシーンに見えるかもしれないですけど違いますから!!

 
「……本当に?」

 薄くドアを開け、こちらを窺う関口さんに頷く。

「ちょっと気分が悪いみたいで、休んでもらってるだけですから」
「そっかー。いやいや、ビックリした。騒いでごめんねー」

 関口さんは奥の着替えスペースでさっさと着替え、店に向かった。



◇◇◇◇ ◇◇◇◇ ◇◇◇◇



 入れ違うように、スタッフルームにやって来たのは、店長。
 休憩に来たんだろう。

 ドアを開いて私たちを見るなり、にやにやと目を細めた。

「これか。すーちゃんの擬似ラブシーンって」
「関口さん情報ですか」
「そ。まだ帰ってなかったのね」

 店長と話していると、私に抱きついていた金本さんの腕に力がこもった。

 ……急にそんな事するの、やめてください金本さん……。

 びっくりするし、ときめくじゃないですか……。

 思わず顔色を変えてしまった私を見て、店長は更ににやにやするし。そんな顔を私は隠せもしないし。
 なんとも居心地が悪かった。



◇◇◇◇ ◇◇◇◇ ◇◇◇◇



「もう少し休んでからがいいかと思って」

 帰っていなかったのか、と店長は言うけれど、シャムは裏口という物がない。
 スタッフもお客様も、あのドアベルが付いた扉から出入りするので私達が帰ったかどうか、店長は知っていたはずだ。
 なのにそんな言葉を寄越すというのは「さっさと帰れ」というサインだろう。
 まぁ……私も帰った方がいいとは分かってるんだけど、金本さんが立てないって言ったからなぁ……。

「ふぅん? それだけ? いちゃいちゃしてから帰ろうとか思ってたんじゃなくて?」
「ち、違いますよっ」

 店長は私をからかった後、金本さんの背中をぽんぽんと叩いた。

「ちょっとアナタ、大丈夫なの?」
「……だいじょうぶ、です」

 金本さんの腕が緩み、やっと、離れてくれた。
 温もりが遠ざかるのを惜しいと思ってしまうのは……まぁ仕方ない。思うだけなら、タダだし、無害だし。

 店長は軽く腰を曲げて金本さんの顔を覗き込み、「ま、大丈夫でしょ」と、頷いた。
 酔っている人は自分の状況もきちんと把握できていない事が多いから、いつも店長は自分の目で見て判断する。
 けど、驚いた事に、金本さんはそれに食ってかかった。

「大丈夫って言ったじゃないですか」

 むっとしたような口調。
 酔った人は自分の言い分が通らないとすぐ機嫌を悪くするからなぁ。
 普段は金本さんも常識人、って感じのOLさんだけど、酔うとやっぱり酔っ払い特有のわがままっ子になるみたいだ。

「酔っ払いの言葉は信用しないの、アタシは」

 いつも店長が言う台詞だ。
 聞き慣れている私は苦笑しながら、ソファから立ち上がる。
 帰る前に、制服から着替えなきゃ。

 カーテンで仕切られた着替えスペースに引っ込む私を二人が無言で見送る。
 私の着替えの音をバックに、店長が金本さんに問う。

「いつもあんなに飲むの?」
「いえ……?」
「じゃあどうしてあんな無茶なペースで無茶な量飲むの」
「だって、雀ちゃんが相手してくれないから……」

 すみません、とカーテンの向こうへ声を掛けようとした私よりも早く、言葉を放ったのは店長だった。

「そんなの、仕方ないでしょう」

 カーテンで仕切られ、店長の声しか聞こえない状態でも、どんな顔をしているのか想像がつく声音だった。
 ”当然でしょ?”と云いたげで、呆れの混じった声。多少なりとも、金本さんを馬鹿にしたような色が混じっているのは、私の気のせいではないと思う。

 背中にヒヤとしたものを感じて、私は着替えるスピードを上げた。

「なんでですか」
「すーちゃんはアナタだけのバーテンダーじゃないのよ。お客様がいらしたら、相手をするのが当然」

 ま、まぁそうだけど……。

「チラシ、見たでしょ。バーが20時開店って書いてあるんだから、すーちゃんに相手して欲しかったら開店と同時に来るべきよ」
「仕事だったんだから仕方ないじゃないですか」

 た、確かに、仕事で遅いんだろうなぁと思ってたけど。
 ていうか……チラシ……?
 そんなものうちの店、配ってないだろ。チラシが無くても口コミで広がるような店だから。

 着替えを済ませた私はリュックを肩にかけ、カーテンを開けた。
 二人は私の方に視線も寄越さず、睨み合うようにして、見つめ合っている。

 その場の、嵐のような空気に思わず、ざっ、と足を止めてしまうくらいだ。



◇◇◇◇ ◇◇◇◇ ◇◇◇◇



 ――ひぇぇ……大人の女同士が戦ってる……。

「それを言うなら、すーちゃんがアナタの相手を出来ずにいたのも、仕事をしての結果。仕方ないわね」
「……」
「それに、すーちゃんはアナタを完全に放っていたわけではないでしょう」
「……?」

 ”どういうこと……?”と云いたげな表情で、金本さんは店長の言葉を待った。
 そんな彼女の前へ店長が仁王立ちして、見下ろしている姿はなんだか、女王様みたいだ。

「すーちゃんは、ちゃんとアナタを見ていたわよね。飲みすぎのアナタに、合図してるの見たわよ?」

 て、店長その時他のお客様と喋ってて笑ってなかったですっけ?
 どんだけ視野広いんだ……!?

 ていうか、いつの間にか、かなり険悪なムードに。
 いやいやいやこれはマズイぞと私は止めていた足を出す。嵐の中心地へと。
 ソファの傍へやってきた私に、店長だけがチラと視線を寄越したが、金本さんはその瞬間……というかその一瞬の隙で店長から視線を外し、下を向いた。

「なのに、それを無視して最後キツイの2杯も一気した挙句、潰れて」
「……」
「おまけに、こんな時間まですーちゃんを拘束して」
「……」
「どうせ、隣だからって、家まで送ってもらうんでしょう?」
「……店長」

 止まらない猛攻に、流石に口を挟む。

 ちょっと、まずい。
 金本さん、黙ってる下向いたままギュッて手を握り締めてるし。

 でも、この女王様の攻撃は、私ごときが口を挟んだ程度で止まるモノではなかった。

「アナタ、自分の都合ばっかり押し付けてない?」
「店長!」

 これには、私も語調を強めた。
 ここらで本当に止めておかないと、店長の責めはハンパない。
 私も店長と口論になったことがあるから分かるが、正論で責めてくるから、言い返せないのだ。

「なぁに、すーちゃん」

 金本さんを見下ろしていた彼女がこちらへ顔を向けた。それまでと一転して、超、笑顔。
 なんだか怖い。
 ”言ってやったわ”みたいな感じで、スッキリ爽快感を帯びている店長に、私は渋面を作って、金本さんの腕を掬うよう持ち上げ、ソファから立たせた。

「私が好きでやってるんですから。……言い過ぎです。金本さんは仮にもお客様ですよ」
「アタシのすーちゃんを泣かせたのはどこの誰だったかしらね。このくらいじゃ、足りないくらいよ?」

 あの日、店長にバイト終わり自宅へ連れ帰られ、遥さんと共に慰めてくれた日の事だろう。
 泣いたって言っても、ほんの数滴だ。
 あんなの泣いたうちにも入らないやい。

 でも、店長が私の味方の立場で、金本さんに物を言っているのは理解できる。
 だからこんなふうに、店長と対立するような事は言いたくないけれど、私にだって譲れない時はあるんだ。

「それでも……言い過ぎです」

 私は金本さんを連れてスタッフルームを後にした。



◇◇◇◇ ◇◇◇◇ ◇◇◇◇



 この時間になるとバーが点々と並ぶこの通りにはタクシーがよく停まって客を探している。
 丁度良かったのでそれに乗り込み、会話を聞かれないようラジオの音を大きくしてもらった。

「ええと……気にしないでいいですから」

 私の言葉に頷く金本さんは、表情ぜんぶは見えない。でも、少しだけ見えた口元では下唇を噛んでいるのが見えてしまった。

「店長はあんな言い方しかできないんですよ。駄目な人ですよね」
「……」

 う……返事が、ナイ。

「今日、席を取っておけなかったのも、私の不手際だし、すみませんでした。金本さんは気にしなくていいですから。ね?」

 ふるふる、と俯いたまま横に首をふる金本さん。もしかすると、首を振った拍子に、そのスーツのスカートにぽたりと涙が落ちるのではないかと思うくらいに、彼女の空気が暗くて重い。
 返事の声はなくても一応、話は聞いてくれてるみたいで安心したけど、やっぱり顔はあげてくれない。

「よかったら、また、来てくださいね」

 最後の言葉に、反応は、なかった。



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